新序 / 義勇第八
白公之難,楚人有莊善者,辭其母將往死之,其母曰:「棄其親而死其君,可謂義乎?」莊善曰:「吾聞事君者,内其禄而外其身,今所以養母者,君之禄也。身安得無死乎!」遂辭而行,比至公門,三廢車中,其僕曰:「子懼矣。」曰:「懼。」「既懼,何不返?」莊善曰:「懼者,吾私也;死義,吾公也。聞君子不以私害公。」及公門,刎頸而死。君子曰:「好義乎哉!」
新字:白公之難,楚人有荘善者,辞其母将往死之,其母曰:「棄其親而死其君,可謂義乎?」荘善曰:「吾聞事君者,内其禄而外其身,今所以養母者,君之禄也。身安得無死乎!」遂辞而行,比至公門,三廃車中,其僕曰:「子懼矣。」曰:「懼。」「既懼,何不返?」荘善曰:「懼者,吾私也;死義,吾公也。聞君子不以私害公。」及公門,刎頸而死。君子曰:「好義乎哉!」
書き下し
白公の難、楚人に莊善なる者有り。其の母に辭して將に往きて之に死せんとす。其の母曰く、其の親を棄てて其の君に死するは、義と謂う可きか、と。莊善曰く、吾聞く、君に事うる者は、其の祿を内にして其の身を外にす、と。今母を養う所以の者は、君の祿なり。身安くんぞ死する無きを得んや、と。遂に辭して行く。公門に至るに比び、三たび車中に廢る。其の僕曰く、子懼れたり、と。曰く、懼る、と。既に懼る、何ぞ返らざる、と。莊善曰く、懼るるは、吾が私なり。義に死するは、吾が公なり。聞く、君子は私を以て公を害せず、と。公門に及び、頸を刎ねて死す。君子曰く、義を好むかな、と。
現代語訳
白公の乱のとき、楚の人に荘善という者がいた。母に別れを告げて、行って君のために死のうとした。母は言った。「その親を捨ててその君に死ぬのは、義といえるのか」。荘善は言った。「私はこう聞いている、君に仕える者は、その禄を内に入れてその身を外に出す、と。いま母を養っているのは、君の禄です。この身がどうして死なずにいられましょう」。そのまま別れを告げて行った。宮門に着くまでに、三度車の中でくずおれた。従者は言った。「あなたは恐れている」。「恐れている」。「恐れているなら、どうして帰らないのか」。荘善は言った。「恐れているのは、私のことだ。義に死ぬのは、公のことだ。こう聞いている、君子は私によって公を害さない、と」。宮門に至って、首を刎ねて死んだ。君子は言った。「義を好むことよ」。
解説
この章句が説くこと
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葉隠・聞書第一古人(こじん)の覚悟は深き事なり。十三以上六十以下出陣と云う事あり。それ故に、古老(ころう)は年をかくすといえり。
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葉隠・聞書第一途中にて俄雨(にわかあめ)にあいて、濡れじとて道を急ぎ走り、軒下(のきした)などを通りても、濡るる濡るる事は替わらざるなり。初めより思いはまりて濡るる濡るる時、心に苦しみなく濡るる濡るる事は同じ。これ万(よろ)づにわたる心得なり。
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論語・憲問篇子曰く、『士にして居を懐(おも)えば、以て士と為すに足らず。』
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葉隠・聞書第一何某(なにがし)申し候は、「しおがれ浪人などと云うは、難儀千万(なんぎせんばん)この上なき様に皆人思うて、その期(ご)には殊(こと)の外(ほか)しおがれ草臥(くたび)るる事なり。浪人して後(のち)は左程(さほど)にはなきものなり。今一度(いまいちど)浪人仕(つかまつ)りたし。」と云う。もっともの事なり。死の道も、平生(へいぜい)に死習(しになら)うては、心安(こころやす)く死ぬべき事なり。奉公人の打留(うちどめ)は浪人切腹(せっぷく)に極(きわ)まりたると、兼ねて覚悟すべきなり。災難は前方(ぜんぽう)了簡(りょうけん)したる程には無きものなるを、先を量(はか)つて苦しむは愚かなる事なり。
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葉隠・聞書第一打返しの仕様(しよう)は、踏懸けて切り殺さるるまでなり。これにて恥(はじ)にならぬなり。仕果(しは)たすべしと思ふゆゑ、間(ま)に合はず。向(むこう)は大勢(おおぜい)などと云ひて時を移し、しまり止(どめ)になる相談に極(きわ)まるなり。相手何千人もあれ、片端(かたはし)より撫切(なでぎ)りと思ひ定めて、立ち向ふまでにて成就(じょうじゅ)なり。多分(たぶん)仕(し)済ますものなり。又(また)浅野殿(あさのどの)浪人(ろうにん)夜討(ようち)も、泉岳寺(せんがくじ)にて腹切らぬが落度(おちど)なり。又主(しゅ)を討たせて、敵(かたき)を討つ事延び延びなり。若(も)し、その内に吉良殿(きらどの)病死の時は残念千万なり。上方衆(かみがたしゅう)は智慧(ちえ)かしこきゆゑ、褒めらるる仕様は上手(じょうず)なれども、長崎喧嘩(ながさきけんか)の様に無分別(むふんべつ)にする事はならぬなり。又曾我殿(そがどの)夜討も殊(こと)の外(ほか)の延引(えんいん)。幕(まく)の紋(もん)見物(けんぶつ)の時、祐成(すけなり)図(ず)をはづしたり。不運の事なり。五郎(ごろう)申し様(よう)見事なり。総(そう)じてかやうの批判(ひはん)はせぬものなれども、これも武道(ぶどう)の吟味(ぎんみ)なれば申すなり。前方(ぜんぽう)に吟味して置かねば、行(ゆ)き当りて分別(ふんべつ)出来(でき)合はぬゆゑ、おおかた恥になり候。話を聞き覚え、物の本を見るも、かねての覚悟のためなり。就中(なかんずく)、武道は今日の事も知らずと思ひて、日々夜々(ひびよよ)に箇条(かじょう)を立てて吟味すべき事なり。時の行掛(ゆきがか)りにて勝負はあるべし。恥をかかぬ仕様は別(べつ)なり。死ぬまでなり。これには智慧も業(わざ)も入らぬなり。死ぬまでといふは勝負を考へず、無二無三(むにむざん)に死狂(しにぐる)ひするばかりなり。これにて夢(ゆめ)覚むるなり。
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