新序 / 雜事第四
哀公問孔子曰:「寡人生乎深宫之中,長於婦人之手,寡人未嘗知哀也,未嘗知憂也,未嘗知勞也,未嘗知懼也,未嘗知危也。」孔子辟席曰:「吾君之問,乃聖君之問也,丘小人也,何足以言之?」哀公曰:「否。吾子就席,微吾子,無所聞之矣。」孔子就席曰:「然君入廟門,升自阼階,仰見榱棟,俯見几筵,其器存,其人亡,君以此思哀,則哀將安不至矣?君昧爽而櫛冠,平旦而聴朝,一物不應,亂之端也,君以此思憂,則憂將安不至矣?君平旦而聴朝,日昃而退,諸侯之子孫,必有在君之門廷者,君以此思勞,則勞將安不至矣?君出魯之四門,以望魯之四郊,亡國之墟,列必有數矣,君以此思懼,則懼將安不至矣?丘聞之君者舟也,庶人者水也,水則載舟,水則覆舟,君以此思危,則危將安不至矣。夫執國之柄,履民之上,懍乎如以腐索御犇馬。易曰:『履虎尾。』詩曰:『如履薄冰不亦危乎?」哀公再拜曰:「寡人雖不敏,請事斯語矣。」
新字:哀公問孔子曰:「寡人生乎深宮之中,長於婦人之手,寡人未嘗知哀也,未嘗知憂也,未嘗知労也,未嘗知懼也,未嘗知危也。」孔子辟席曰:「吾君之問,乃聖君之問也,丘小人也,何足以言之?」哀公曰:「否。吾子就席,微吾子,無所聞之矣。」孔子就席曰:「然君入廟門,升自阼階,仰見榱棟,俯見几筵,其器存,其人亡,君以此思哀,則哀将安不至矣?君昧爽而櫛冠,平旦而聴朝,一物不応,乱之端也,君以此思憂,則憂将安不至矣?君平旦而聴朝,日昃而退,諸侯之子孫,必有在君之門廷者,君以此思労,則労将安不至矣?君出魯之四門,以望魯之四郊,亡国之墟,列必有数矣,君以此思懼,則懼将安不至矣?丘聞之君者舟也,庶人者水也,水則載舟,水則覆舟,君以此思危,則危将安不至矣。夫執国之柄,履民之上,懍乎如以腐索御犇馬。易曰:『履虎尾。』詩曰:『如履薄冰不亦危乎?」哀公再拝曰:「寡人雖不敏,請事斯語矣。」
書き下し
哀公孔子に問いて曰く、寡人深宮の中に生まれ、婦人の手に長ず。寡人未だ嘗て哀を知らざるなり、未だ嘗て憂いを知らざるなり、未だ嘗て勞を知らざるなり、未だ嘗て懼れを知らざるなり、未だ嘗て危うきを知らざるなり、と。孔子席を辟けて曰く、吾が君の問いは、乃ち聖君の問いなり。丘は小人なり。何ぞ以て之を言うに足らんや、と。哀公曰く、否。吾子席に就け。吾子微かりせば、之を聞く所無からん、と。孔子席に就きて曰く、然り。君廟門に入り、升るに阼階よりし、仰ぎて榱棟を見、俯して几筵を見る。其の器存し、其の人亡し。君此を以て哀を思わば、則ち哀將に安くんぞ至らざらんとす。君昧爽にして冠を櫛り、平旦にして朝を聽く。一物應ぜざれば、亂の端なり。君此を以て憂いを思わば、則ち憂い將に安くんぞ至らざらんとす。君平旦にして朝を聽き、日昃きて退く。諸侯の子孫、必ず君の門廷に在る者有らん。君此を以て勞を思わば、則ち勞將に安くんぞ至らざらんとす。君魯の四門を出でて、以て魯の四郊を望まば、亡國の墟、列なること必ず數有らん。君此を以て懼れを思わば、則ち懼れ將に安くんぞ至らざらんとす。丘之を聞く、君は舟なり、庶人は水なり。水は則ち舟を載せ、水は則ち舟を覆す、と。君此を以て危うきを思わば、則ち危うき將に安くんぞ至らざらんとす。夫れ國の柄を執り、民の上に履むは、懍乎として腐索を以て犇馬を御するが如し。易に曰く、虎の尾を履む、と。詩に曰く、薄氷を履むが如し、と。亦た危うからずや、と。哀公再拜して曰く、寡人不敏なりと雖も、請う斯の語を事とせん、と。
現代語訳
哀公が孔子に問うた。「私は奥深い宮殿の中に生まれ、婦人の手で育った。私はいまだかつて哀しみを知らず、憂いを知らず、労苦を知らず、恐れを知らず、危うさを知らない」。孔子は席を外して言った。「わが君の問いは、聖君の問いです。丘は小人です。どうしてそれを申し上げられましょう」。哀公は言った。「いや。あなたは席に着きなさい。あなたがいなければ、それを聞くところがない」。孔子は席に着いて言った。「では申します。君が廟の門に入り、東の階から昇り、仰いで垂木と棟木を見、うつむいて机と敷物を見る。その器は残り、その人はいない。君がこれによって哀しみを思われるなら、哀しみがどうして至らないことがありましょう。君が明け方に冠を整え、日の出に朝政を聴く。一つでも思うようにいかなければ、乱れの端緒です。君がこれによって憂いを思われるなら、憂いがどうして至らないことがありましょう。君が日の出に朝政を聴き、日が傾いて退く。諸侯の子孫で、必ず君の門庭に控えている者があります。君がこれによって労苦を思われるなら、労苦がどうして至らないことがありましょう。君が魯の四方の門を出て、魯の四方の郊外を望まれれば、滅んだ国の廃墟が、いくつも並んでいましょう。君がこれによって恐れを思われるなら、恐れがどうして至らないことがありましょう。丘はこう聞いております、君は舟であり、民は水である。水は舟を載せ、水は舟を覆す、と。君がこれによって危うさを思われるなら、危うさがどうして至らないことがありましょう。そもそも国の権柄を執り、民の上に立つのは、ぞっとするほど、腐った縄で暴れ馬を御するようなものです。『易』に『虎の尾を踏む』とあり、『詩経』に『薄氷を踏むようだ』とあります。危ういことではありませんか」。哀公は二度拝んで言った。「私は愚かではありますが、どうかこの言葉を実行いたします」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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孔子家語・六本孔子曰わく、「舟は水に非ざれば、行かず。水舟に入れば、則ち没す。君は民に非ざれば、治まらず。民上を犯せば、則ち傾く。是の故に君子は厳ならざる可からざるなり、小人は整一ならざる可からざるなり。」
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『大和俗訓』巻之三・心術上一民を司どる人は、民の父母なれば、民をあはれむ心を本とすべし。民の心を以て心として、民の好む事を好みてほどこし、民のきらふ事をきらひてほどこさず、父母の子を思ふが如くする故、是を民の父母と云ふ。民の上に立つ人は、民をやしなふ職分を天より授け給ふ事を知りて、天道にしたがひ、民をくるしましむべからず。我一人の楽をきはめんとて、おほくの人を苦むるは、天道の御心にそむけり。天道おそるべし。すべて人は高きもひききも同じ人なれば、民の楽み苦みも、我と同じ。我が心を以て民の心をおしはかるに違はず。民のうれひ苦みを思ひはかりて、憐むべし。不仁なる人は、民をあはれまずして、民を愛すれば奢りて上をあなどるとて、民をあはれまず。
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『君子訓』巻之下一人を讒言する人は、人の小さき過をかざりて、大に言ひなすものなり。或は過なき人をもあやまりありと云ひ、君たる人能く察せずして其言を信ずるは、迷の甚しきなり。讒を聞きて善人を退くるは、其善人の災のみならず、万民の災なり。鄒の穆公といふ君、下に命じて鳧と雁とを飼ふに、米を飼はず、唯粃を以て餌となす。或時食に粃なし。民に買へば、折節粃少くして、米の価より高し。依て其司米をはましめんといふ。君用ひずして曰く、汝小利を知りて大損を知らず。百姓朝夕寒暑を厭はずして稲を作り出すは、鳥獣の為に非ず。且米は人の上食なり。何ぞ是を以て鳥を養はんや。蔵の米を出して、価高くとも臣の粃を買ひて鳥に飼ふべし、蔵の米を臣に与ふるは、則我が倉に在ると同じと言へり。
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『五常訓』巻之三・仁之下常に心を用ひて、天意にしたがひ、民をあはれみ、困苦をすくひ、政をおこし、仁をほどこさば、其功大にして、天道のむくいも亦限りなかるべし。富貴の人、多くは陰徳の行ふべきことを知らず、勢に乗じて、下の苦をかへり見ず、人のつひえを厭はず、わが身ひとつの栄花をきはむれば、陰徳なくして、天地のいかり、人民のうらみ積て、後はわざはひ出来、子孫にもむくふものなり。天道は、まことに畏るべきかな。又陰徳をば行はずして、鬼神にへつらひ祈りて、福をもとめ、禍をのがれんとして、無益のことをなし、民をくるしめて、財をつひやす。是をたのんで、禍を免れんとせば、天地神明の御心にそむきて、かへりて禍あり。仏家にて、是を業福と云ふ。
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『五常訓』巻之五・信是子貢にこたへ給へる意なるべし。又司馬温公の曰、信者人君の大宝なり。国は民に保ち、民は信にたもつ。信にあらざれば、民をつかふ事なく、民にあらざれば、国を守る事なし。故に古の王者は、四海を欺かずと云へり。夫国は民を以てたもつ。民したがはざれば、国ありても保ちがたし。民は信を以てたもつ。上より民を欺きいつはりて、信なければ、民上を信ぜずして、思ひつかず。民の心をたもちがたし。
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『五常訓』巻之二・仁之上是己をおす恕なり。又一には、仁を人に施すの道、我が心を以て人の心をおしはかるに、人も我も同じ心なれば、我が好む事は、人も亦必、好むものなり。我が心にきらふ事は、人も亦必きらふもの也。かくの如我が心を以て人の心にくらぶるは、つゆ違ふ事なし。不仁無礼を、人の我に施すは、我がきらふ所也。是を以て人の心をおしはかるに、人もまた不仁無礼をきらふ故に、人に不仁無礼を施さず。是恕なり。民を治むる道を以ていはば、わが身もし下にありて、困窮し饑ゑ寒え、妻を売り子を売りて、親子はなれ、兄弟妻子離散するにいたらば、我が甚きらふ事なるべし。其心を以て、民の心をおしはかるに、我がきらふ如く、民も亦きらふべき事を知りて、民の饑ゑず寒えず、困窮せず、妻子を売らざるやうに、あはれみて施すべし。

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