新序 / 雜事第五
荆人卞和得玉璞而獻之,荆厲王使玉尹相之曰:「石也。」王以和為謾而斷其左足。厲王薨,武王即位,和復奉玉璞而獻之武王。武王使玉尹相之曰:「石也。」又以為謾而斷其右足。武王薨,共王即位,和乃奉玉璞而哭於荆山中,三日三夜,泣盡,而繼之以血,共王聞之,使人問之曰:「天下刑之者衆矣,子刑何哭之悲也?」對曰:「寶玉而名之曰石,貞士而戮之以謾此臣之所以悲也。」共王曰:「惜矣,吾先王之聽難,剖石而易,斬人之足!夫死者不可生,斷者不可屬,何聽之殊也?」乃使人理其璞而得寶焉。故名之曰和氏之璧。故曰珠玉者,人主之所貴也,和雖獻寶,而美未為玉尹用也。進寶且若彼之難也,况進賢人乎?賢人與姦臣,猶仇讐也,於庸君意不合。夫欲使姦臣進其讐於不合意之君,其難萬倍於和氏之璧,又無斷兩足之臣以推其難,猶拔山也,千嵗一合,若繼踵,然後霸王之君興焉。其賢而不用,不可勝載,故有道者之不戮也,宜白玉之璞未獻耳。
新字:荆人卞和得玉璞而献之,荆厲王使玉尹相之曰:「石也。」王以和為謾而断其左足。厲王薨,武王即位,和復奉玉璞而献之武王。武王使玉尹相之曰:「石也。」又以為謾而断其右足。武王薨,共王即位,和乃奉玉璞而哭於荆山中,三日三夜,泣尽,而継之以血,共王聞之,使人問之曰:「天下刑之者衆矣,子刑何哭之悲也?」対曰:「宝玉而名之曰石,貞士而戮之以謾此臣之所以悲也。」共王曰:「惜矣,吾先王之聴難,剖石而易,斬人之足!夫死者不可生,断者不可属,何聴之殊也?」乃使人理其璞而得宝焉。故名之曰和氏之璧。故曰珠玉者,人主之所貴也,和雖献宝,而美未為玉尹用也。進宝且若彼之難也,況進賢人乎?賢人与姦臣,猶仇讐也,於庸君意不合。夫欲使姦臣進其讐於不合意之君,其難万倍於和氏之璧,又無断両足之臣以推其難,猶抜山也,千歳一合,若継踵,然後覇王之君興焉。其賢而不用,不可勝載,故有道者之不戮也,宜白玉之璞未献耳。
書き下し
荊人卞和玉璞を得て之を獻ず。荊の厲王玉尹をして之を相せしむ。曰く、石なり、と。王和を以て謾すと爲して其の左足を斷つ。厲王薨じ、武王位に即く。和復た玉璞を奉じて之を武王に獻ず。武王玉尹をして之を相せしむ。曰く、石なり、と。又た以て謾すと爲して其の右足を斷つ。武王薨じ、共王位に即く。和乃ち玉璞を奉じて荊山の中に哭す。三日三夜、泣き盡きて、之に繼ぐに血を以てす。共王之を聞き、人をして之を問わしめて曰く、天下の之を刑せらるる者衆し。子刑せられて何ぞ哭することの悲しきや、と。對えて曰く、寶玉にして之を名づけて石と曰い、貞士にして之を戮するに謾を以てす。此れ臣の悲しむ所以なり、と。共王曰く、惜しいかな。吾が先王の聽くこと難くして、石を剖くこと易く、人の足を斬れるや。夫れ死者は生く可からず、斷たれし者は屬ぐ可からず。何ぞ聽くことの殊なるや、と。乃ち人をして其の璞を理めしめて寶を得たり。故に之を名づけて和氏の璧と曰う。故に曰く、珠玉なる者は、人主の貴ぶ所なり。而して和寶を獻ずと雖も、美未だ玉尹の用と爲さざるなり。寶を進むること且つ彼の如きの難きなり。况んや賢人を進むるをや。賢人と姦臣とは、猶お仇讐のごときなり。庸君に於いて意合わず。夫れ姦臣をして其の讐を意合わざるの君に進めしめんと欲するは、其の難きこと和氏の璧に萬倍す。又た兩足を斷たるるの臣の以て其の難きを推す無くんば、猶お山を拔くがごとし。千歲に一たび合い、踵を繼ぐが若くにして、然る後に霸王の君興らん。其の賢にして用いられざる、勝げて載す可からず。故に有道者の戮せられざるは、宜しく白玉の璞未だ獻ぜざるのみ。
現代語訳
楚の人の卞和が玉の原石を得てこれを献じた。楚の厲王は玉の鑑定官にこれを鑑定させた。「石です」と言った。王は和が欺いたとしてその左足を切った。厲王が没し、武王が即位した。和はふたたび玉の原石を捧げてこれを武王に献じた。武王は鑑定官にこれを鑑定させた。「石です」と言った。また欺いたとしてその右足を切った。武王が没し、共王が即位した。和はそこで玉の原石を捧げて荊山の中で泣いた。三日三晩、涙が尽きて、血がそれに続いた。共王はこれを聞き、人をやって問わせた。「天下で刑を受けた者は多い。そなたは刑を受けて、どうしてそれほど悲しく泣くのか」。答えた。「宝玉であるのにこれを石と名づけられ、正しい士であるのにこれを欺いたとして刑されました。これが臣の悲しむゆえんです」。共王は言った。「惜しいことだ。わが先王が聞き入れることは難しく、石を割ることは易しいのに、人の足を切ったとは。そもそも死んだ者は生き返らず、切られた者はつなげない。どうして聞き方がこうも違うのか」。そこで人にその原石を磨かせて宝を得た。だからこれを和氏の璧と名づけた。だからいう、珠玉というものは、君主が貴ぶものである。それでも和が宝を献じても、その美しさは鑑定官に用いられなかった。宝を差し出すことでさえこれほど難しい。まして賢人を差し出すのはなおさらである。賢人と奸臣とは、仇のようなものである。凡庸な君主のもとでは意が合わない。そもそも奸臣にその仇を、意の合わない君に差し出させようとするのは、その難しさは和氏の璧の一万倍である。そのうえ両足を切られた臣がその難しさを押し通すのでもなければ、山を引き抜くようなものである。千年に一度合って、続けざまにそうなって、その後に覇王の君が興るのだ。賢者でありながら用いられなかった者は、数え上げられない。だから道を得た者が刑されずにいるのは、白玉の原石をまだ献じていないだけのことである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『韓非子』和氏第十三寶を論ずること此の若く其れ難きなり。
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『韓非子』和氏第十三夫の寶玉にして之に題するに石を以てし、貞士にして之に名づくるに誑くを以てするを悲しむ。
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『新序』雜事第一秦楚を伐たんと欲し、使者をして往きて楚の寶器を觀しむ。楚王之を聞き、令尹子西を召して問う。曰く、秦楚の寶器を觀んと欲す。吾が和氏の璧、隨侯の珠、以て諸を示す可きか、と。令尹子西對えて曰く、知らざるなり、と。昭奚恤を召して問う。昭奚恤對えて曰く、此れ吾が國の得失を觀て之を圖らんと欲するなり。寶器に在らず、賢臣に在り。珠玉玩好の物は、寶重なる者に非ず、と。王遂に昭奚恤をして之に應ぜしむ。
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『新序』節士第七宋人に玉を得たる者有り。諸を司城子罕に獻ず。子罕受けず。玉を獻ずる者曰く、以て玉人に示すに、玉人以て寶と爲す。故に敢えて之を獻ず、と。子罕曰く、我は不貪を以て寶と爲す。爾は玉を以て寶と爲す。若し我に與うれば、皆な寶を喪うなり。人各ミ其の寶を有つに若かず、と。故に宋國の長者曰く、子罕は寶無きに非ざるなり。寶とする所の者異なればなり。今百金と摶黍とを以て兒子に示さば、兒子必ず摶黍を取らん。和氏の璧と百金とを以て鄙人に示さば、鄙人必ず百金を取らん。和氏の璧と道德の至言とを以て、賢者に示さば、賢者必ず至言を取らん。其の知彌ミ精なれば、其の取る彌ミ精なり。其の知彌ミ觕なれば、其の取る彌ミ觕なり。子罕の寶とする所の者は至れり、と。
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『新序』雜事第三夫の秦は商鞅の法を用い、東のかた韓・魏を弱くし、立ちどころに天下に強し。而して卒に商君を車裂きにす。越は大夫種の謀を用い、勁吳を擒にし、中國に霸たり。卒に其の身を誅す。是を以て孫叔敖は三たび相を去りて悔いず。於陵仲子は三公を辭して、人の爲に園に灌ぐ。今世主誠に能く驕傲の心を去り、報ゆ可きの意を懷き、心腹を披き、情素を見わし、肝膽を隳し、德厚を施し、終に之と窮通し、士に變ずる無くんば、則ち桀の狗も、堯に吠えしむ可く、跖の客も、由を刺さしむ可し。况んや萬乘の權に因り、聖王の資を假るをや。然れば則ち荊軻の七族を沉め、要離の妻子を燔くも、豈に大王の爲に道うに足らんや。明月の珠、夜光の璧も、以て闇に人に道路に投ぜば、衆劍を按じて相い眄せざる無し。何となれば則ち、因りて前に至る無ければなり。蟠木の根抵輪囷離奇にして、萬乘の器と爲るは、左右先ず之が爲に容るればなり。故に因る無くして前に至らば、隨侯の珠、夜光の璧を出だすと雖も、秪だ怨みを結ぶに足りて德とせられず。故に人の先に游ぶ有らば、則ち枯木朽株を以てするも、功を樹てて忘れられず。今天下の布衣窮居の士をして、堯舜の術を蒙り、伊・管の辯を挾むと雖も、素より根柢の容無くして、精神を竭くし、忠信を開きて、人主の治を輔けんと欲せしめば、則ち人主必ず劍を按じ相い眄するの迹を襲わん。是れ布衣をして枯木朽株の資に當たるを得ざらしむるなり。
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史記 廉頗藺相如列伝趙の恵文王楚の和氏の璧を得たり。秦の昭王之を聞き、人をして趙王に書を遺り、十五城を以て璧に易へんことを請はんと願ふ。趙王藺相如をして璧を奉じ西のかた秦に入らしむ。秦王章台に坐して相如に見ゆ。相如璧を奉じて秦王に奏す。秦王大いに喜び、伝へて以て美人及び左右に示し、趙に城を償ふに意無し。相如乃ち紿きて璧を取り、従者をして璧を懐かしめ、間行して趙に帰らしむ。相如至り、秦王に謂ひて曰く、「秦繆公より以来、未だ嘗て約束を堅明する者有らざるなり。臣誠に王に欺かれて趙に負かんことを恐る、故に人をして璧を持ちて帰らしむ。臣大王を欺くの罪誅に当たるを知る、臣湯鑊に就かんことを請ふ」と。秦王群臣と相視て嘻す。秦王曰く、「今相如を殺すも、終に璧を得る能はず、而して秦趙の驩を絶つは、之を厚遇するに如かず」と。卒に相如を廷見し、礼を畢へて之を帰す。相如既に帰り、趙王拝して上大夫と為す。