新序 / 善謀第九
計未定,樓緩從秦來,趙王與樓緩計之曰:「予秦地與無予,孰吉?」緩辭譲曰:「此非臣之所能知也。」王曰:「雖然,試言公之私。」樓緩對曰:「亦聞夫公父文伯母乎,公父文伯仕於魯,病死,女子為自殺於房中者二人,其母聞之,不肯哭也。其相室曰:『焉有子死而不哭者乎?』其母曰:『孔子,賢人也,逐於魯,而是人不隨也。今死而婦人為自殺者二人,若是者必其於長者薄,而於婦人厚也。』故從母言,是為賢母,從妻言,是必不免為妬婦。故其言一也,言者異則人心變矣。今臣新從秦來而言勿予,則非計也:言予之,恐王以臣為秦也,故不敢對。使臣得為大王計,不如予之。」王曰:「諾。」
新字:計未定,楼緩従秦来,趙王与楼緩計之曰:「予秦地与無予,孰吉?」緩辞譲曰:「此非臣之所能知也。」王曰:「雖然,試言公之私。」楼緩対曰:「亦聞夫公父文伯母乎,公父文伯仕於魯,病死,女子為自殺於房中者二人,其母聞之,不肯哭也。其相室曰:『焉有子死而不哭者乎?』其母曰:『孔子,賢人也,逐於魯,而是人不随也。今死而婦人為自殺者二人,若是者必其於長者薄,而於婦人厚也。』故従母言,是為賢母,従妻言,是必不免為妬婦。故其言一也,言者異則人心変矣。今臣新従秦来而言勿予,則非計也:言予之,恐王以臣為秦也,故不敢対。使臣得為大王計,不如予之。」王曰:「諾。」
書き下し
計未だ定まらず。樓緩秦より來たる。趙王樓緩と之を計りて曰く、秦に地を予うると予うる無きと、孰れか吉なる、と。緩辭讓して曰く、此れ臣の能く知る所に非ざるなり、と。王曰く、然りと雖も、試みに公の私を言え、と。樓緩對えて曰く、亦た夫の公父文伯の母を聞くか。公父文伯魯に仕え、病みて死す。女子の爲に房中に自殺する者二人。其の母之を聞き、肯えて哭せざるなり。其の相室曰く、焉くんぞ子死して哭せざる者有らんや、と。其の母曰く、孔子は、賢人なり。魯に逐わる。而して是の人隨わざるなり。今死して婦人の爲に自殺する者二人。是くの若き者は必ず其の長者に於いて薄くして、婦人に於いて厚ければなり、と。故に母より言えば、是れ賢母と爲す。妻より言えば、是れ必ず妬婦爲るを免れず。故に其の言一なるも、言う者異なれば則ち人心變ずるなり。今臣新たに秦より來たりて予うる勿かれと言わば、則ち計に非ざるなり。之を予えよと言わば、王臣を以て秦の爲にすと爲さんことを恐る。故に敢えて對えず。臣をして大王の爲に計るを得しめば、之を予うるに如かず、と。王曰く、諾、と。
現代語訳
計は決まらなかった。楼緩が秦から来た。趙王は楼緩とこれを相談して言った。「秦に土地を与えるのと与えないのと、どちらが吉か」。緩は辞退して言った。「これは臣の知り得ることではありません」。王は言った。「そうであっても、試みにあなた個人の考えを言え」。楼緩は答えて言った。「あの公父文伯の母のことをお聞きになりませんか。公父文伯は魯に仕え、病んで死にました。彼のために部屋の中で自殺した女が二人ありました。その母はこれを聞いて、泣こうとしませんでした。家の女中頭が『子が死んで泣かない者がありましょうか』と言いました。その母は『孔子は賢人である。魯を追われた。それなのにこの子は従わなかった。いま死んで婦人で自殺した者が二人ある。こういう者は必ず年長者に薄く、婦人に厚かったのだ』と言いました。だから母の側から言えば、これは賢母です。妻の側から言えば、これは必ず嫉妬深い女ということを免れません。だから同じ言葉でも、言う者が違えば人の心が変わるのです。いま臣が新しく秦から来て与えるなと言えば、それは計として通りません。与えよと言えば、王が臣を秦のために動いていると思われるのを恐れます。だからあえて答えませんでした。臣に大王のために計らせていただけるなら、与えるに越したことはありません」。
解説
この章句が説くこと
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