新序 / 善謀第十
大行曰:「不然。夫明於形者,分則不過於事;察於動者,用則不失於利;審於靜者,恬則免於患。髙帝被堅執鋭以除天下之害,䝉矢石,沾風雨,行㡬十年,伏尸滿澤,積首若山,死者什七,存者什三,行者垂泣而倪於兵。夫以天下未力,厭事之民,而䝉匈奴飽佚,其勢不便。故結和親之約者,所以休天下之民。髙皇帝明於形而以分事,通於動靜之時。盖五帝不相同樂,三王不相襲禮者,非故相反也,各因世之宜也。教與時變,備與敵化,守一而不易,不足以子民。今匈奴縱意日久矣,侵盜無已,係虜人民,戍卒死傷,中國道路,槥車相望,此仁人之所哀也。臣故曰擊之便。」
新字:大行曰:「不然。夫明於形者,分則不過於事;察於動者,用則不失於利;審於静者,恬則免於患。高帝被堅執鋭以除天下之害,䝉矢石,沾風雨,行㡬十年,伏尸満沢,積首若山,死者什七,存者什三,行者垂泣而倪於兵。夫以天下未力,厭事之民,而䝉匈奴飽佚,其勢不便。故結和親之約者,所以休天下之民。高皇帝明於形而以分事,通於動静之時。盖五帝不相同楽,三王不相襲礼者,非故相反也,各因世之宜也。教与時変,備与敵化,守一而不易,不足以子民。今匈奴縦意日久矣,侵盗無已,係虜人民,戍卒死傷,中国道路,槥車相望,此仁人之所哀也。臣故曰撃之便。」
書き下し
大行曰く、然らず。夫れ形に明らかなる者は、分かてば則ち事に過たず。動に察かなる者は、用うれば則ち利を失わず。靜に審かなる者は、恬なれば則ち患いを免る。高帝堅を被り銳を執りて以て天下の害を除き、矢石を蒙り、風雨に沾い、行くこと幾十年。伏尸澤に滿ち、積首山の若く、死者は什に七、存する者は什に三。行く者垂泣して兵に倪す。夫れ天下未だ力あらず、事に厭くの民を以てして、匈奴の飽佚を蒙る。其の勢い便ならず。故に和親の約を結ぶ者は、天下の民を休むる所以なり。高皇帝形に明らかにして以て事を分かち、動靜の時に通ず。蓋し五帝樂を相い同じくせず、三王禮を相い襲がざる者は、故らに相い反するに非ざるなり。各ミ世の宜しきに因るなり。敎えは時と變じ、備えは敵と化す。一を守りて易えざるは、以て民を子とするに足らず。今匈奴意を縱にすること日久し。侵盜已む無く、人民を係虜し、戍卒死傷し、中國の道路、槥車相い望む。此れ仁人の哀しむ所なり。臣故に曰く、之を擊つは便なり、と。
現代語訳
大行は言った。「そうではありません。そもそも形勢に明るい者は、分けて考えれば事を誤りません。動きに詳しい者は、用いれば利を失いません。静けさに通じた者は、安んじていれば患いを免れます。高帝は堅い甲を着け鋭い武器を取って天下の害を除き、矢と石を浴び、風雨に濡れ、行くこと十数年。倒れた屍は沢に満ち、積み上げた首は山のようで、死んだ者は十のうち七、生き残ったのは十のうち三。行く者は涙を流して兵を横目で見ました。そもそも天下にまだ力がなく、事に飽きた民をもって、匈奴の飽き足りて休んでいる勢いを受ける。その形勢は不利でした。だから和親の約を結んだのは、天下の民を休ませるためです。高皇帝は形勢に明るくて事を分け、動と静の時に通じておられた。そもそも五帝が楽を同じくせず、三王が礼を受け継がなかったのは、わざと違えたのではありません。それぞれの世の適切さに従ったのです。教えは時とともに変わり、備えは敵に応じて変わる。一つを守って変えないのでは、民を子として慈しむに足りません。いま匈奴は思うままに振る舞って久しい。侵し盗むことが止まず、人民を捕らえ、守備兵は死傷し、中国の道路には棺を載せた車が見渡すかぎり並んでいます。これは仁の人が哀しむところです。だから臣は、撃つのが得策だと申します」。
解説
この章句が説くこと
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