新序 / 節士第七
衛宣公之子伋也,夀也,朔也。伋前母子也。夀與朔後母子也,夀之母與朔謀,欲殺太子伋而立夀,也使人與伋乘舟於河中,將沉而殺之,壽知不能止也,因與之同舟,舟人不得殺伋。方乘舟時,伋傅母恐其死也,閔而作詩,二子乘舟之詩是也。其詩曰:「二子乘舟,汎汎其景,願言思子,中心養養。」於是夀閔其兄之且見害,作憂思之詩,黍離之詩是也。其詩曰:「行邁靡靡,中心揺揺知我者謂我心憂;不知我者,謂我何求?悠悠蒼天,此何人哉?」又使伋之齊,將使,盜見載旌,要而殺之,夀止伋,伋曰:「棄父之命非子道也,不可。」壽又與之偕行,夀之母知不能止也,因戒之曰:「夀無為前也。」夀又為前,竊伋旌以先行,㡬及齊矣,盗見而殺之,伋至,見夀之死,痛其代已死,涕泣悲哀,遂載其屍還,至境而自殺,兄弟俱死,故君子義此二人,而傷宣公之聽讒也。
新字:衛宣公之子伋也,寿也,朔也。伋前母子也。寿与朔後母子也,寿之母与朔謀,欲殺太子伋而立寿,也使人与伋乗舟於河中,将沈而殺之,寿知不能止也,因与之同舟,舟人不得殺伋。方乗舟時,伋傅母恐其死也,閔而作詩,二子乗舟之詩是也。其詩曰:「二子乗舟,汎汎其景,願言思子,中心養養。」於是寿閔其兄之且見害,作憂思之詩,黍離之詩是也。其詩曰:「行邁靡靡,中心揺揺知我者謂我心憂;不知我者,謂我何求?悠悠蒼天,此何人哉?」又使伋之斉,将使,盗見載旌,要而殺之,寿止伋,伋曰:「棄父之命非子道也,不可。」寿又与之偕行,寿之母知不能止也,因戒之曰:「寿無為前也。」寿又為前,窃伋旌以先行,㡬及斉矣,盗見而殺之,伋至,見寿之死,痛其代已死,涕泣悲哀,遂載其屍還,至境而自殺,兄弟倶死,故君子義此二人,而傷宣公之聴讒也。
書き下し
衞の宣公の子は伋なり、壽なり、朔なり。伋は前母の子なり。壽と朔とは後母の子なり。壽の母朔と謀り、太子伋を殺して壽を立てんと欲するなり。人をして伋と舟に河中に乘らしめ、將に沈めて之を殺さんとす。壽止むる能わざるを知るなり。因りて之と舟を同じくす。舟人伋を殺すを得ず。方に舟に乘る時、伋の傅母其の死せんことを恐るるなり。閔れみて詩を作る。二子乘舟の詩是れなり。其の詩に曰く、二子舟に乘り、汎汎たり其の景、願わくは言に子を思う、中心養養たり、と。是に於いて壽其の兄の且に害せられんとするを閔れみ、憂思の詩を作る。黍離の詩是れなり。其の詩に曰く、行き邁くこと靡靡たり、中心搖搖たり、我を知る者は我が心憂うと謂い、我を知らざる者は、我何をか求むと謂う。悠悠たる蒼天、此れ何人ぞや、と。又た伋をして齊に之かしむ。將に使いせしめんとするや、盜をして旌を載するを見て、要して之を殺さしむ。壽伋を止む。伋曰く、父の命を棄つるは子の道に非ざるなり。不可なり、と。壽又た之と偕に行く。壽の母止むる能わざるを知るなり。因りて之を戒めて曰く、壽前を爲す無かれ、と。壽又た前を爲し、竊かに伋の旌もて以て先行す。幾ど齊に及ばんとす。盜見て之を殺す。伋至り、壽の死せるを見る。其の己に代わりて死せるを痛み、涕泣悲哀し、遂に其の屍を載せて還る。境に至りて自殺す。兄弟俱に死す。故に君子此の二人を義とし、宣公の讒を聽けるを傷むなり。
現代語訳
衛の宣公の子は伋と、寿と、朔である。伋は前の母の子である。寿と朔は後の母の子である。寿の母は朔と謀り、太子の伋を殺して寿を立てようとした。人をやって伋と舟で川の中に出させ、沈めて殺そうとした。寿は止められないと知った。そこで一緒の舟に乗った。舟人は伋を殺すことができなかった。舟に乗ったとき、伋の傅母はその死を恐れた。憐れんで詩を作った。「二子乗舟」の詩がそれである。その詩にいわく、「二人の子が舟に乗り、ゆらゆらとその姿が見える、ああ子を思う、心の中はもの狂おしい」。そこで寿は兄が害されようとしているのを憐れみ、憂いの詩を作った。「黍離」の詩がそれである。その詩にいわく、「歩んでゆく足取りは重く、心の中は揺れ動く。私を知る者は私の心が憂えていると言い、私を知らない者は、私が何を求めていると言う。はるかな青空よ、これは誰のせいか」。また伋を斉に行かせた。使いに出そうとするとき、盗賊に旗を掲げているのを見たら、待ち伏せて殺させることにした。寿は伋を止めた。伋は言った。「父の命を捨てるのは子の道ではない。それはできない」。寿はまた一緒に行った。寿の母は止められないと知った。そこで戒めて言った。「寿よ、先に立つな」。寿はまた先に立ち、こっそり伋の旗を取って先行した。もう少しで斉に着くところだった。盗賊は見つけてこれを殺した。伋が着いて、寿が死んでいるのを見た。自分の身代わりに死んだのを痛み、涙を流して悲しみ、そのまま屍を載せて帰った。国境に至って自殺した。兄弟はともに死んだ。だから君子はこの二人を義とし、宣公が讒言を聞いたことを痛むのである。
解説
この章句が説くこと
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『春秋左氏伝』桓公十六年 急子と寿、身代わりの死十六年春正月、曹に會す。鄭を伐たんことを謀るなり。夏、鄭を伐つ。秋七月、公鄭を伐つより至る。飲至の禮を以てするなり。冬、向に城く。書するは、時なればなり。初め、衛の宣公夷姜に烝し、急子を生む。諸を右公子に屬す。之が為に齊に娶る。而して美なり。公之を取り、壽及び朔を生む。壽を左公子に屬す。夷姜縊る。宣姜と公子朔と急子を構ふ。公諸を齊に使ひせしめ、盜をして諸を莘に待たしめ、將に之を殺さんとす。壽子之に告げ、行らしめんとす。可かず。曰く、「父の命を棄てば、惡んぞ子を用ゐん。父無きの國有らば則ち可なり」と。行くに及び、飲ましむるに酒を以てす。壽子其の旌を載せて以て先んず。盜之を殺す。急子至りて曰く、「我を之れ求むるなり。此何の罪かある。請ふ我を殺せ」と。又之を殺す。二公子故に惠公を怨む。十一月、左公子泄・右公子職、公子黔牟を立つ。惠公齊に奔る。
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史記 周本紀崇侯虎西伯を殷の紂に譖して曰く、「西伯善を積み徳を累ね、諸侯皆之に向かふ。将に帝に不利ならんとす」と。帝紂乃ち西伯を羑里に囚ふ。閎夭の徒之を患ふ。乃ち有莘氏の美女、驪戎の文馬、有熊の九駟、他の奇怪の物を求め、殷の嬖臣費仲に因りて之を紂に献ず。紂大いに説びて、曰く、「此の一物以て西伯を釈すに足る、況んや其の多きをや」と。乃ち西伯を赦し、之に弓矢斧鉞を賜ひ、西伯をして征伐するを得しむ。曰く、「西伯を譖する者は、崇侯虎なり」と。西伯乃ち洛西の地を献じ、以て紂に炮格の刑を去らんことを請ふ。紂之を許す。
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