新序 / 雜事第二
晉文公逐麋而失之,問農夫老古曰:「吾麋何在?」老古以足指曰:「如是往。」公曰:「寡人問子,以足指,何也?」老古振衣而起曰:「一不意人君如此也,虎豹之居也,厭閒而近人,故得;魚鼈之居也,厭深而之淺,故得;諸侯厭衆而亡其國。詩云:『維鵲有巢,維鳩居之。』君放不歸,人將君之。」於是文公恐,歸遇欒武子。欒武子曰:「獵得獸乎?而有悦色!」文公曰:「寡人逐麋而失之,得善言,故有悦色。」欒武子曰:「其人安在乎?」曰:「吾未與來也。」欒武子曰:「居上位而不恤其下,驕也;緩令急誅,暴也;取人之言而棄其身,盗也。」文公曰:「善。」還載老古,與俱歸。
新字:晉文公逐麋而失之,問農夫老古曰:「吾麋何在?」老古以足指曰:「如是往。」公曰:「寡人問子,以足指,何也?」老古振衣而起曰:「一不意人君如此也,虎豹之居也,厭閒而近人,故得;魚鼈之居也,厭深而之浅,故得;諸侯厭衆而亡其国。詩云:『維鵲有巣,維鳩居之。』君放不帰,人将君之。」於是文公恐,帰遇欒武子。欒武子曰:「猟得獣乎?而有悦色!」文公曰:「寡人逐麋而失之,得善言,故有悦色。」欒武子曰:「其人安在乎?」曰:「吾未与来也。」欒武子曰:「居上位而不恤其下,驕也;緩令急誅,暴也;取人之言而棄其身,盗也。」文公曰:「善。」還載老古,与倶帰。
書き下し
晉の文公麋を逐いて之を失う。農夫老古に問いて曰く、吾が麋は何くに在る、と。老古足を以て指して曰く、是くの如く往けり、と。公曰く、寡人子に問うに、足を以て指すは、何ぞや、と。老古衣を振るいて起ちて曰く、一に人君の此くの如きを意わざるなり。虎豹の居るや、閒を厭いて人に近づく。故に得らる。魚鼈の居るや、深きを厭いて淺きに之く。故に得らる。諸侯は衆を厭いて其の國を亡う。詩に云う、維れ鵲に巢有り、維れ鳩之に居る、と。君放きて歸らずんば、人將に君たらんとす、と。是に於いて文公恐る。歸りて欒武子に遇う。欒武子曰く、獵して獸を得たるか。而も悦色有り、と。文公曰く、寡人麋を逐いて之を失う。善言を得たり。故に悦色有り、と。欒武子曰く、其の人安くに在りや、と。曰く、吾未だ與に來たらざるなり、と。欒武子曰く、上位に居りて其の下を恤れまざるは、驕なり。令を緩くして誅を急にするは、暴なり。人の言を取りて其の身を棄つるは、盜なり、と。文公曰く、善し、と。還りて老古を載せ、與に俱に歸る。
現代語訳
晋の文公が大鹿を追って見失った。農夫の老古に問うた。「わしの鹿はどこにいる」。老古は足で指して言った。「こちらへ行きました」。文公は言った。「私がそなたに問うたのに、足で指すのはどういうわけだ」。老古は衣を払って立ち上がり言った。「まったく、君主というものがこのようだとは思いませんでした。虎や豹の住みかというものは、静かなところに飽きて人に近づく。だから捕らえられます。魚やすっぽんの住みかというものは、深いところに飽きて浅いところへ行く。だから捕らえられます。諸侯は人の多いところに飽きて、その国を失います。『詩経』に『鵲に巣あり、鳩がそこに住む』とあります。君が放り出して帰らなければ、他人が君主になりましょう」。そこで文公は恐れた。帰る途中で欒武子に出会った。欒武子は言った。「狩りで獣が獲れましたか。うれしそうなお顔ですが」。文公は言った。「私は鹿を追って見失った。だが善い言葉を得た。だからうれしそうにしているのだ」。欒武子は言った。「その人はどこにおりますか」。言った。「連れて来ていない」。欒武子は言った。「上の位にいながらその下の者を憐れまないのは、驕りです。命令をゆるくして処罰を厳しくするのは、乱暴です。人の言葉を取り上げてその人自身を捨てるのは、盗みです」。文公は言った。「もっともだ」。引き返して老古を車に乗せ、ともに帰った。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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葉隠・聞書第一或人(あるひと)覚悟の体(てい)覚書に、主君の身辺(しんぺん)勤むる者は別けて身持(みもち)覚悟慎むべきことなり。御側(おそば)の者の様子を見て、主人のたけを人が積(つも)るものなり。今は御機嫌悪し、序(つい)でになどと思うて居る内に、不図(ふと)御誤(おんあやまり)もあるべきことなり。又諫言(かんげん)は時を移さず申し上ぐべきことなり。仰せ出(いで)済みて後も、其の者に理を附け、少しづつもよき様に云いなせば、帰参(きさん)も早きものなり。又仕合せ(しあわせ)よき人には、無音(ぶいん)しても苦しからず、侍の義理なり。又科人(とがにん)をわろく云うは不義理の事なり。落ちぶれたる者には随分不憫(ふびん)を加え、何とぞ立ち直す様に致すべきこと、侍の義理なりと、これあり候。
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葉隠・聞書第一御縁組(ごえんぐみ)の時、何某(なにがし)一分(いちぶん)を申し達し候。この事、若き衆(しゅう)よく心得(こころえ)置くべき事なり。その身(み)気味(きみ)よく思うて、云(い)ふべき事を云うて腹切(はらき)りても本望(ほんもう)と思ふべし。よくよく了簡(りょうけん)候へ、何の益(えき)にも立たぬ事なり。我(われ)かやうの事を云うて腹切りても本望と思ふは、なるほど聞(きこ)えたり。曲者(くせもの)などと思ふは以(もっ)ての外(ほか)なる取違(とりちが)ひなり。まづ申し出でたる事その詮(せん)なく、我が身は引き取り、御養育(ごよういく)も仕(つかまつ)らず、追付(おっつ)け御死去(ごしきょ)なされ候に、御看病(ごかんびょう)も仕らず、残念千万(ざんねんせんばん)なり。気過(きす)ぎなる人は多分(たぶん)誤(あやま)る所なり。総(そう)じてその位(くらい)に至らずして諫言(かんげん)するは却(かえ)つて不忠(ふちゅう)なり。誠(まこと)の者ならば、我が存(ぞん)じ寄りたる事を似合(にあ)ひたる人に潜(ひそ)かに内談(ないだん)して、その人の思ひ寄りにさせて云へば、その事調(ととの)はるなり。これ忠節(ちゅうせつ)なり。もし、内談にてその人請(う)け合はずば、また外(ほか)の人にも内談し、とかく色々心遣(こころづか)ひをして、その事さへ調はるる様にすれば、大忠節(だいちゅうせつ)も知れぬ様にして居るものなり。幾人(いくにん)に内談しても、埒(らち)明かざる時は力に及ばず、その分(ぶん)にて打ち過ぎ、または起こし立て起こし立てすれば、多分叶(かな)ふものなり。我こそ曲者と云はるる名聞(みょうもん)ばかりにて、我が手柄(てがら)にするゆゑ調はざるなり。申し出でたる事益には立たず、人に難(なん)ぜられ、我が身を崩(くず)したる人数多(あまた)これあるなり。畢竟(ひっきょう)真(しん)の志(こころざし)なきゆゑなり。我が身を一向(いっこう)に捨て捨てて、主君の上(うえ)どうなりとも好き様にとさへ思へば、紛(まぎ)るる事はこれなく候なり。
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葉隠・聞書第一主人に諫言(かんげん)をするに色々あるべし。志(こころざし)の諫言は、脇(わき)に知れぬ様にするなり。御気(おんき)にさからわぬ様にして御癖(おんくせ)を直し申すものなり。細川頼之(ほそかわよりゆき)が忠義などなり。昔、御道中にて、御年寄(おとしより)何某(なにがし)承り、「某(それがし)、一命を捨てて申し上ぐべく候。段々御延引(ごえんいん)の上に脇寄(わきよ)りなど遊ばされ候節(せつ)、以ての外(ほか)然(しか)るべからず候。」と、諸人(しょにん)に向かい、「御暇乞(おいとまごい)仕り候。」と詞(ことば)を渡し、行水(ぎょうずい)、白帷子(しろかたびら)下着(したぎ)にて御前(ごぜん)へ罷出(まかりい)でられ、追付(おっつけ)退出、また諸人に向かい、「拙者(せっしゃ)申し上げ候儀、聞召(きこしめ)し分けられ本望至極(ほんもうしごく)、皆様へ一度御目に懸(かか)り候儀、不思議の仕合(しあわ)せ。」など広言(こうげん)申され候。これ皆、主人の非を顕(あらわ)し、我が忠を揚げ、威勢(いせい)を立つる仕事なり。多分、他国者(たこくもの)にこれあるなり。
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葉隠・聞書第一諫言(かんげん)の道に、我(われ)其の位(くらい)にあらずば、其の位の人に言はせて、御誤(おあやまり)直(なお)る様にするが大忠(たいちゅう)なり。此の階(かい)の為に諸人(しょにん)と懇意(こんい)する所なり。我が為にすれば追従(ついしょう)なり。一方(いっぽう)は我等(われら)荷(にな)ひ申す心入(こころいれ)からなり。成程(なるほど)なるものなり。
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荀子・大略篇人の臣下たる者は、諫むること有るも訕ること無く、亡ること有るも疾むこと無く、怨むこと有るも怒ること無し。
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尚書・皐陶謨予(われ)違(たが)わば、汝(なんじ)弼(たす)けよ。汝、面従(めんじゅう)することなく、退(しりぞ)きて後言(こうげん)あることなかれ。