新序 / 善謀第十
大行曰:「不然。夫草木之中霜霧,不可以風過;清水明鏡,不可以形遯也;通方之人,不可以文亂。今臣言擊之者,固非發而深入也,將順因單于之欲,誘而致之邊,吾伏輕卒鋭士以待之,隂□險阻以備之。吾勢以成,或當其左,或當其右;或當其前,或當其後,單于可擒,百全必取。臣以為擊之便。」於是遂從大行之言。孝武皇帝自將師伏兵於馬邑,誘致單于。單于既入塞,道覺之,奔走而去。其後交兵接刃,結怨連禍,相攻擊十年,兵凋民勞,百姓空虚道殣相望,槥車相屬,冦盜滿山,天下揺動。孝武皇帝後悔之。御史大夫桑𢎞羊請佃輪臺。詔卻曰:「當今之務,務在禁暴,止擅賦。今乃逺西佃,非所以慰民也。朕不忍聞。」封丞相號曰富民侯,遂不復言兵事。國家以寧,繼嗣以定,從韓安國之本謀也。
新字:大行曰:「不然。夫草木之中霜霧,不可以風過;清水明鏡,不可以形遯也;通方之人,不可以文乱。今臣言撃之者,固非発而深入也,将順因単于之欲,誘而致之辺,吾伏軽卒鋭士以待之,陰□険阻以備之。吾勢以成,或当其左,或当其右;或当其前,或当其後,単于可擒,百全必取。臣以為撃之便。」於是遂従大行之言。孝武皇帝自将師伏兵於馬邑,誘致単于。単于既入塞,道覚之,奔走而去。其後交兵接刃,結怨連禍,相攻撃十年,兵凋民労,百姓空虚道殣相望,槥車相属,寇盗満山,天下揺動。孝武皇帝後悔之。御史大夫桑弘羊請佃輪台。詔却曰:「当今之務,務在禁暴,止擅賦。今乃遠西佃,非所以慰民也。朕不忍聞。」封丞相号曰富民侯,遂不復言兵事。国家以寧,継嗣以定,従韓安国之本謀也。
書き下し
大行曰く、然らず。夫れ草木の霜霧に中たるは、風を以て過ぐ可からず。清水明鏡は、形を以て遯る可からざるなり。方に通ずるの人は、文を以て亂す可からず。今臣の之を擊つと言うは、固より發して深く入るに非ざるなり。將に單于の欲に順因し、誘いて之を邊に致し、吾輕卒銳士を伏して以て之を待ち、陰かに險阻を〔一字を欠く〕して以て之に備えん。吾が勢い以て成る。或いは其の左に當たり、或いは其の右に當たり、或いは其の前に當たり、或いは其の後に當たらば、單于擒らう可く、百全必ず取らん。臣以爲えらく之を擊つは便なり、と。是に於いて遂に大行の言に從う。孝武皇帝自ら師を將い兵を馬邑に伏し、單于を誘致す。單于既に塞に入り、道に之を覺り、奔走して去る。其の後兵を交え刃を接し、怨みを結び禍を連ね、相い攻擊すること十年。兵凋み民勞し、百姓空虛にして道殣相い望み、槥車相い屬き、寇盜山に滿ち、天下搖動す。孝武皇帝後に之を悔ゆ。御史大夫桑弘羊輪臺に佃らんことを請う。詔して卻けて曰く、當今の務めは、務め暴を禁じ、擅賦を止むるに在り。今乃ち遠く西のかた佃る。民を慰むる所以に非ざるなり。朕聞くに忍びず、と。丞相を封じて號して富民侯と曰う。遂に復た兵事を言わず。國家以て寧く、繼嗣以て定まるは、韓安國の本謀に從えばなり。
現代語訳
大行は言った。「そうではありません。そもそも草木が霜や霧に当たったのは、風でやり過ごせません。澄んだ水と明るい鏡からは、姿を隠せません。道理に通じた人は、文飾で惑わせられません。いま臣が撃つと言っているのは、もとより出発して深く入ることではありません。単于の欲に沿って、誘って辺境に来させ、こちらは身軽な兵と精鋭を伏せて待ち、ひそかに険しい地形を〔一字を欠く〕して備えます。こちらの形勢が整います。ある者は左に当たり、ある者は右に当たり、ある者は前に当たり、ある者は後ろに当たれば、単于は捕らえられ、万全のうちに必ず取れます。臣は撃つのが得策だと思います」。そこでとうとう大行の言に従った。孝武皇帝は自ら軍を率いて兵を馬邑に伏せ、単于を誘い寄せた。単于は塞に入ったものの、道中でこれに気づき、逃げ去った。その後、兵を交え刃を接し、怨みを結び禍を連ね、互いに攻撃すること十年。兵は損なわれ民は疲れ、民は困窮して道に行き倒れが見渡すかぎり並び、棺を載せた車が続き、盗賊が山に満ち、天下は揺れ動いた。孝武皇帝は後にこれを悔いた。御史大夫の桑弘羊が輪台で屯田することを願い出た。詔してこれを退けて言った。「いまの務めは、暴を禁じ、勝手な取り立てを止めることにある。いま遠く西で屯田するというのは、民を慰めるやり方ではない。朕は聞くに忍びない」。丞相を封じて富民侯と号した。そのまま二度と兵事を言わなかった。国家が安らかとなり、後継が定まったのは、韓安国の本来の謀に従ったからである。
解説
この章句が説くこと
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