新序 / 善謀第九
臣為王慮,莫若善楚,秦、楚合為一而以臨韓,韓必拱手,王施之以東山之險,帶以曲河之利,韓必為闗内之侯,若是而王以十萬伐鄭,梁氏寒心,許𨻳陵、嬰城,而上蔡、召陵不往來也,如此而魏亦闗内侯矣。王一善楚而闗内兩萬乗之王注入地於齊,齊右壌可拱手而取也。王之地一桎兩海,要約天下,是燕、趙無齊、楚;齊、楚無燕、趙,然後危動燕、趙,直揺齊、楚,此四國者,不待痛而服也。」昭王曰:「善。」於是乃止白起,謝韓、魏,發使賂楚,約爲與國。黃歇受約歸楚,解弱楚之禍,全彊秦之兵,黃歇之謀也。
新字:臣為王慮,莫若善楚,秦、楚合為一而以臨韓,韓必拱手,王施之以東山之険,帯以曲河之利,韓必為関内之侯,若是而王以十万伐鄭,梁氏寒心,許𨻳陵、嬰城,而上蔡、召陵不往来也,如此而魏亦関内侯矣。王一善楚而関内両万乗之王注入地於斉,斉右壌可拱手而取也。王之地一桎両海,要約天下,是燕、趙無斉、楚;斉、楚無燕、趙,然後危動燕、趙,直揺斉、楚,此四国者,不待痛而服也。」昭王曰:「善。」於是乃止白起,謝韓、魏,発使賂楚,約為与国。黄歇受約帰楚,解弱楚之禍,全彊秦之兵,黄歇之謀也。
書き下し
臣王の爲に慮るに、楚を善くするに若くは莫し。秦・楚合して一と爲りて以て韓に臨まば、韓必ず拱手せん。王之に施すに東山の險を以てし、帶ぶるに曲河の利を以てせば、韓必ず關内の侯と爲らん。是くの若くにして王十萬を以て鄭を伐たば、梁氏心を寒くし、許・鄢陵・嬰城し、而して上蔡・召陵往來せざるなり。此くの如くして魏も亦た關内の侯ならん。王一たび楚を善くして關内に兩萬乘の王あり。地を齊に注入せば、齊の右壤拱手して取る可きなり。王の地一たび兩海に桎り、天下を要約す。是れ燕・趙に齊・楚無く、齊・楚に燕・趙無し。然る後に燕・趙を危動し、直ちに齊・楚を揺るがす。此の四國は、痛みを待たずして服するなり、と。昭王曰く、善し、と。是に於いて乃ち白起を止め、韓・魏を謝し、使いを發して楚に賂い、約して與國と爲す。黃歇約を受けて楚に歸る。楚を弱むるの禍を解き、秦を彊むるの兵を全うす。黃歇の謀なり。
現代語訳
「臣が王のために考えるに、楚と善くするに越したことはありません。秦と楚が合わさって一つとなって韓に臨めば、韓は必ず手をこまねくでしょう。王がこれに東山の険を用い、曲がった黄河の利を帯びさせれば、韓は必ず関内の侯となります。そうしておいて王が十万で鄭を伐てば、魏氏は肝を冷やし、許と鄢陵は城に籠もり、上蔡と召陵は行き来ができなくなります。こうなれば魏もまた関内の侯です。王がひとたび楚と善くすれば、関内に二人の万乗の王を得ることになります。土地を斉に注ぎ込めば、斉の右の地は手をこまねいて取れます。王の地はひとたび二つの海までを縛り、天下を締めくくります。そうなれば燕と趙には斉と楚がなく、斉と楚には燕と趙がありません。そのうえで燕と趙を揺さぶり、まっすぐに斉と楚を動かす。この四国は、痛い目に遭わずとも服します」。昭王は「よろしい」と言った。そこで白起を止め、韓と魏に断りを入れ、使者を出して楚に贈り物をし、約して同盟国とした。黄歇は約束を受けて楚に帰った。楚を弱める禍いを解き、秦を強くする兵を全うした。黄歇の謀である。
解説
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『新序』善謀第九楚黃歇を秦に使いせしむ。秦の昭王白起をして韓・魏を攻めしむ。韓・魏服して秦に事う。昭王方に白起をして韓・魏と共に楚を伐たしめんとす。黃歇適ミ至り、其の計を聞く。是の時秦已に白起をして楚を攻め數縣を取らしむ。楚の頃襄王東に徙る。黃歇書を秦の昭王に上る。秦をして遠く楚に交わりて韓・魏を攻めしめ、以て楚を解かんと欲す。其の書に曰く、天下秦・楚より强きは莫し。今王楚を伐たんと欲すと聞く。此れ猶お兩虎相い與に鬭うがごとし。兩虎相い與に鬭いて駑犬其の弊を受くるなり。楚を善くするに如かず。臣請う其の說を言わん。臣之を聞く、物至れば則ち反る、冬夏是れなり。高きを致せば則ち危うし、棊を累ぬる是れなり、と。今大國の地は天下に徧く、其の二垂を有つ。此れ生民より以來、萬乘の地、未だ嘗て有らざるなり。今王盛橋をして韓に守事せしむ。盛橋其の地を以て秦に入る。是れ王甲を用いず威を信べずして、百里の地を得るなり。王能くすと謂う可し。王又た甲を舉げて魏を攻め、大梁の門を杜ぎ、河内を舉げ、燕・酸棗・虚桃を攻め、邢に入る。魏の兵雲翔して敢えて救わず。王の功も亦た多し。王甲を休め衆を息わしめ、二年にして之を復す。滿・衍・首・垣を取り、以て仁・平丘・黃・濟陽・甄城に臨む有り。而して魏氏服す。王又た濮・歷の北を割き、之を秦齊の要に注ぎ、楚・趙の脊を絶つ。天下五たび合し六たび聚まるも敢えて相い救わず。王の威も亦た單くせり。
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戦国策・頃襄王二十年頃襄王二十年、秦の白起楚の西陵を拔き、或は鄢・郢・夷陵を拔き、先王の墓を燒く。王東北に徙り、陳城に保つ、楚遂に削弱し、秦の輕んずる所と爲る。是に於て白起又兵を將ゐて來り伐たんとす。楚人に黃歇なる者有り、游學博聞、襄王以て辯と爲す、故に秦に使す。昭王に說きて曰く、「天下秦・楚より強きは莫し、今大王楚を伐たんと欲すと聞く、此れ猶ほ兩虎相鬥ひて駑犬其の弊を受くるがごとし、楚に善くするに如かず。臣請ふ其の說を言はん。臣之を聞く、『物至れば反る、冬夏是れなり。致りて至れば危ふし、累碁是れなり』と。今大國の地天下に半ばし、二垂有り、此れ生民以來、萬乘の地未だ嘗て有らざるなり。先帝文王・莊王、王の身、三世にして齊に地を接せず、以て從親の要を絕つ。今王三たび盛橋をして韓に事を守らしめ、成橋以北燕に入る。是れ王甲を用ゐず、威を伸べずして、百里の地を出だす、王能と謂ふ可し。王又甲兵を舉げて魏を攻め、大梁の門を杜(ふさ)ぎ、河內を舉げ、燕・酸棗・虛・桃人を拔き、楚・燕の兵云翔して敢へて校せず、王の功亦た多し。王眾を申息すること二年、然る後之を復し、又蒲・衍・首垣を取り、以て仁・平兵に臨み、小黃・濟陽城を嬰(めぐ)らし、魏氏服せり。王又濮・磨の北を割きて之を燕に屬し、齊・秦の要を斷ち、楚・魏の脊を絕つ。天下五たび合し六たび聚まるも敢へて救はず、王の威亦た憚らる。王若し能く功を持し威を守り、攻伐の心を省きて仁義の誡を肥やし、復た後患無からしめば、三王も四に足らず、五伯も六に足らざらん。「王若し人徒の眾きを負み、兵甲の強きを材とし、壹に魏氏の威を毀ちて、力を以て天下の主に臣たらしめんと欲せば、臣恐らくは後患有らん。詩に云ふ、『初め有らざる靡く、克く終り有ること鮮し』と。易に曰く、『狐其の尾を濡らす』と。此れ始の易くして、終の難きを言ふなり。何を以て其の然るを知るや。智氏趙を伐つの利を見て、榆次の禍を知らざりき。吳齊を伐つの便を見て、干隧の敗を知らざりき。此の二國は、大功無きに非ざるなり、利を前に設けて、患を後に易くするなり。呉の越を信ずるや、從ひて齊を伐ち、既に齊人に艾陵に勝ちしも、還りて越王の爲に三江の浦に禽にせられたり。智氏韓・魏を信じ、從ひて趙を伐ち、晉陽の城を攻め、勝つこと日有らんとせしに、韓・魏之に反き、智伯瑤を鑿臺の上に殺せり。今王楚の毀たれざるを妒みて、楚を毀ちて魏を強くするを忘る。臣大王の爲に慮りて取らざるなり。詩に云ふ、『大武は遠宅に涉らず』と。此より之を觀れば、楚國は、援なり。鄰國は、敵なり。詩に云ふ、『他人心有り、予之を忖度す。躍躍たる毚兔、犬に遇ひて獲らる』と。今王中道にして韓・魏の王を善くするを信ず、此れ正に呉の越を信ずるなり。臣聞く、敵は易(あなど)る可からず、時は失ふ可からず、と。臣恐らくは韓・魏の辭を卑くして患を慮るは、實に大國を欺くならん。此れ何ぞや。王既に重世の德韓・魏に無くして、累世の怨有ればなり。韓・魏の父子兄弟踵を接して秦に死する者、百世なり。本國殘れ、社稷壞れ、宗廟隳(こぼ)たれ、腹を刳られ頤を折られ、首身分離し、骨を草澤に暴し、頭顱僵仆し、相ひ境に望み、父子老弱係虜せられて、相ひ路に隨ひ、鬼神狐祥食する所無く、百姓聊生せず、族類離散し、流亡して臣妾と爲る者、海內に滿つ。韓・魏の亡びざるは、秦社稷の憂ひなり。今王の楚を攻むる、亦た失(あやま)たざらんや。是れ王楚を攻むるの日、則ち惡(いづ)くにか兵を出ださん。王將に路を仇讎の韓・魏に藉らんとするか。兵出づるの日にして王其の反らざるを憂へば、是れ王兵を以て仇讎の韓・魏に資するなり。王若し路を仇讎の韓・魏に藉らずんば、必ず陽・右壤を攻めん。陽・右壤に隨へば、此れ皆廣川大水、山林谿谷の不食の地なり、王之を有すと雖も、地を得たりと爲さず。是れ王楚を毀つの名有りて、地を得るの實無きなり。「且つ王楚を攻むるの日、四國必ず應じて悉く起ちて王に應ぜん。秦・楚の構へて離れざるに、魏氏將に兵を出だして留・方與・銍・胡陵・碭・蕭・相を攻めんとし、故宋必ず盡きん。齊人南面し、泗北必ず舉げん。此れ皆平原四達、膏腴の地なり、而して王之をして獨り攻めしむ。王楚を破りて以て韓・魏を中國に肥やして齊を勁からしめば、韓・魏の強きは以て秦に校するに足らん。齊南は泗を以て境と爲し、東は海を負ひ、北は河に倚りて、後患無し、天下の國、齊より強きは莫し。齊・魏地を得て利を葆(たも)ち、詳らかに下吏に事へしめば、一年の後、帝と爲ること未だ能はざるが若きも、以て王の帝と爲るを禁ずるに餘り有らん。夫れ王の壤土の博きを以て、人徒の眾きを以て、兵革の強きを以て、一たび眾を舉げて地を楚に注ぎ、令を韓・魏に詘し、帝の重きを齊に歸せしむるは、是れ王の計を失ふなり。「臣王の爲に慮るに、楚に善くするに如くは莫し。秦・楚合して一と爲り、臨むに韓を以てせば、韓必ず首を授けん。王襟とするに山東の險を以てし、帶とするに河曲の利を以てせば、韓必ず關中の候たらん。是くの若くならば、王十を以て鄭を成し、梁氏心を寒くし、許・鄢陵城を嬰らし、上蔡・召陵往來せざらん。此くの如くならば、魏も亦た關內の候たらん。王一たび楚に善くせば、關內の二萬乘の主齊に地を注ぎ、齊の右壤拱手して取る可し。是れ王の地一に兩海を任じ、天下を要絕するなり。是れ燕・趙齊・楚無くんば、燕・趙無きなり。然る後燕・趙を危動し、齊・楚を持せば、此の四國は、痛みを待たずして服せん。」
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『新序』善謀第九且つ王楚を攻むるに、將に惡くより兵を出ださんとす。王將に路を仇讎の韓・魏に藉らんとするか。兵を出だすの日にして、王其の反らざるを憂うるなり。是れ王兵を以て仇讎の韓・魏に資するなり。王若し路を仇讎の韓・魏に借らずんば、必ず隨水の右壤を攻めん。此れ皆な廣川大水、山林谿谷の食らわざるの地なり。王之を有つと雖も、地を得たりと爲さず。是れ王に楚を毀つの名有りて、地を得るの實無きなり。且つ王楚を攻むるの日、四國必ず悉く兵を起こして以て王に應ぜん。秦楚の兵構えて離れず、韓・魏氏將に兵を出だして留・方・與・銍・胡陵・碭・蕭・相を攻めんとす。故の宋必ず盡きん。齊人南面し、泗北必ず舉がらん。此れ皆な平原四達膏腴の地なり。而して獨り攻めしむ。王楚を破りて以て韓・魏を中國に肥やして齊を勁くす。韓・魏の彊きは、以て秦に枝るに足る。齊は南のかた泗水を以て境と爲し、東は海に負い、北は河に倚りて後患無し。天下の國、齊・魏より彊きは莫し。齊・魏地を得利を保ちて詳りて下吏に事う。一年の後、帝と爲るは未だ能わざるも、其の王の帝と爲るを禁ずるに於いては餘り有らん。夫れ王の壤土の博きを以てし、人徒の衆きを以てし、兵革の彊きを以てして、一たび事を舉げて怨みを楚に樹つ。出でて韓・魏をして帝を歸し齊を重からしむ。是れ王の失計なり。
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