新序 / 節士第七
齊崔杼者,齊之相也,弑荘公。止太史無書君弑及賊,太史不聴,遂書賊曰:「崔杼弑其君。」崔子殺之,其弟又嗣書之,崔子又殺之,死者二人,其弟又嗣復書之,乃舍之。南史氏是其族也,聞太史盡死,執簡以往,將復書之,聞既書矣,乃還。君子曰:「古之良史。」
新字:斉崔杼者,斉之相也,弑荘公。止太史無書君弑及賊,太史不聴,遂書賊曰:「崔杼弑其君。」崔子殺之,其弟又嗣書之,崔子又殺之,死者二人,其弟又嗣復書之,乃舎之。南史氏是其族也,聞太史尽死,執簡以往,将復書之,聞既書矣,乃還。君子曰:「古之良史。」
書き下し
齊の崔杼なる者は、齊の相なり。荘公を弑す。太史を止めて君の弑せられしこと及び賊を書く無からしむ。太史聽かず、遂に賊を書して曰く、崔杼其の君を弑す、と。崔子之を殺す。其の弟又た嗣ぎて之を書す。崔子又た之を殺す。死する者二人。其の弟又た嗣ぎて復た之を書す。乃ち之を舍く。南史氏は是れ其の族なり。太史盡く死せりと聞き、簡を執りて以て往く。將に復た之を書せんとす。既に書せりと聞き、乃ち還る。君子曰く、古の良史なり、と。
現代語訳
斉の崔杼という人は、斉の宰相である。荘公を弑した。太史を止めて、君が弑されたことと下手人を書かせないようにした。太史は聞かず、そのまま下手人を書いて「崔杼はその君を弑した」とした。崔子はこれを殺した。その弟がまた継いでこれを書いた。崔子はまたこれを殺した。死んだ者は二人。その弟がまた継いで、重ねてこれを書いた。そこでこれを放置した。南史氏はその一族である。太史がことごとく死んだと聞き、竹簡を持って向かった。重ねてこれを書こうとした。すでに書かれたと聞いて、そこで引き返した。君子は言った。「古の良い史官である」。
解説
百二十字の章です。同じ一行を書いて、二人が殺されました。三人目が同じ一行を書いて、宰相のほうが折れます。そこでこれを放置した。この章の眼目は、その後にあります。太史がことごとく死んだと聞き、竹簡を持って向かった。まだ書かれていなければ自分が書く、という人が別の家に控えていた。一人の勇気ではなく、絶えない仕組みとして描かれています。書かれたと聞いて、引き返しました。
この章句が説くこと
太史を止めて君の弑せられしこと及び賊を書く無からしむ太史聴かず遂に賊を書して曰く崔杼其の君を弑す死する者二人其の弟又た嗣ぎて復た之を書す南史氏太史尽く死せりと聞き簡を執りて以て往く記録史官
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