新序 / 節士第七
吳有士曰張胥鄙,譚夫吾,前交而後絶。張胥鄙有罪,拘將死。譚夫吾合徒而取之,出至於道,而後乃知其夫吾也。輟行而辭曰:「義不同於子,故前交而後絶。吾聞之君子不為危易行,今吾從子,是安則肆志,危則易行也。與吾因子而生,不若反拘而死。」闔閭聞之,令吏釋之。張胥鄙曰:「吾義不同於譚夫吾,故不受其任矣,今吏以是出我,以譚夫吾故免也,吾庸遽受之乎?」遂觸墻而死。譚夫吾聞之曰:「我任而不受,佞也;不知而出之,愚也。佞不可以接士,愚不可以事君,吾行虚矣。人惡以吾力生,吾亦耻以此立於世。」乃絶頸而死。君子曰:「譚夫吾其以失士矣,張胥鄙亦未為得也,可謂剛勇矣,未可謂得節也。」
新字:吳有士曰張胥鄙,譚夫吾,前交而後絶。張胥鄙有罪,拘将死。譚夫吾合徒而取之,出至於道,而後乃知其夫吾也。輟行而辞曰:「義不同於子,故前交而後絶。吾聞之君子不為危易行,今吾従子,是安則肆志,危則易行也。与吾因子而生,不若反拘而死。」闔閭聞之,令吏釈之。張胥鄙曰:「吾義不同於譚夫吾,故不受其任矣,今吏以是出我,以譚夫吾故免也,吾庸遽受之乎?」遂触墻而死。譚夫吾聞之曰:「我任而不受,佞也;不知而出之,愚也。佞不可以接士,愚不可以事君,吾行虚矣。人悪以吾力生,吾亦耻以此立於世。」乃絶頸而死。君子曰:「譚夫吾其以失士矣,張胥鄙亦未為得也,可謂剛勇矣,未可謂得節也。」
書き下し
吳に士有り張胥鄙・譚夫吾と曰う。前に交わりて後に絶つ。張胥鄙罪有り、拘われて將に死せんとす。譚夫吾徒を合わせて之を取る。出でて道に至り、而して後に乃ち其の夫吾なるを知る。行を輟めて辭して曰く、義子と同じからず。故に前に交わりて後に絶てり。吾之を聞く、君子は危うきが爲に行いを易えず、と。今吾子に從わば、是れ安ければ則ち志を肆にし、危うければ則ち行いを易うるなり。吾子に因りて生くるは、反り拘われて死するに若かず、と。闔閭之を聞き、吏をして之を釋さしむ。張胥鄙曰く、吾義譚夫吾と同じからず。故に其の任を受けざるなり。今吏是を以て我を出だす。譚夫吾の故を以て免るるなり。吾庸遽ぞ之を受けんや、と。遂に墻に觸れて死す。譚夫吾之を聞きて曰く、我任じて受けざるは、佞なり。知らずして之を出だすは、愚なり。佞は以て士に接す可からず。愚は以て君に事う可からず。吾が行い虚し。人吾が力を以て生くるを惡む。吾も亦た此を以て世に立つを恥ず、と。乃ち頸を絶ちて死す。君子曰く、譚夫吾は其れ以て士を失えり。張胥鄙も亦た未だ得たりと爲さず。剛勇と謂う可し。未だ節を得たりと謂う可からず、と。
現代語訳
呉に張胥鄙と譚夫吾という士がいた。以前は交わり、後に絶交していた。張胥鄙が罪を得て、捕らえられて死のうとしていた。譚夫吾は仲間を集めてこれを奪い取った。出て道に至って、それからやっと相手が夫吾だと知った。歩みを止めて断って言った。「義があなたとは同じでない。だから以前は交わり、後に絶ったのだ。私はこう聞いている、君子は危ういからといって行いを変えない、と。いま私があなたに従えば、それは安全なら志を通し、危うくなれば行いを変えることになる。あなたのおかげで生きるくらいなら、戻って捕らわれて死ぬほうがましだ」。闔閭はこれを聞いて、役人にこれを釈放させた。張胥鄙は言った。「私の義は譚夫吾と同じでない。だからその世話を受けなかった。いま役人がそれで私を出そうとする。譚夫吾のおかげで免れるのだ。私がどうしてこれを受けられよう」。そのまま壁に頭を打ちつけて死んだ。譚夫吾はこれを聞いて言った。「私が引き受けたのに受けてもらえなかったのは、へつらいである。相手を知らずに出したのは、愚かである。へつらう者は士と交われない。愚かな者は君に仕えられない。私の行いは空だ。人は私の力で生きることを嫌がる。私もまたこれをもって世に立つのを恥じる」。そこで首をはねて死んだ。君子は言った。「譚夫吾は士を失った。張胥鄙もまた得たとはいえない。剛く勇ましいとはいえる。節を得たとはいえない」。
解説
この章句が説くこと
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論語・先進篇子貢問う、「師と商とは孰れか賢れる。」子曰く、「師や過ぎたり、商や及ばず。」曰く、「然らば則ち師愈れるか。」子曰く、「過ぎたるは猶お及ばざるがごとし。」
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呂氏春秋・侈樂①人は其の生を以て生きざるは莫し、而れども其の生くる所以を知らず。人は其の知を以て知らざるは莫し、而れども其の知る所以を知らず。其の知る所以を知る、之を道を知ると謂う。其の知る所以を知らざる、之を寶を棄つと謂う。寶を棄つる者は必ず其の咎に離る。世の人主は、多く珠玉戈劍を以て寶と為し、愈々多くして民愈々怨み、國人愈々危うく、身愈々危累す。則ち寶の情を失うなり。亂世の樂は此と同じ。木革の聲を為せば則ち雷の若く、金石の聲を為せば則ち霆の若く、絲竹歌舞の聲を為せば則ち譟の若し。此を以て心気を駭かし、耳目を動かし、生を搖蕩せんとすれば則ち可なるも、此を以て樂と為せば則ち樂しからず。故に樂は愈々侈にして、民は愈々鬱し、國は愈々亂れ、主は愈々卑し。則ち亦た樂の情を失うなり。
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呂氏春秋・適音③夫れ音も亦た適有り。太だ鉅なれば則ち志蕩す。蕩するを以て鉅を聽けば則ち耳容れず、容れざれば則ち橫塞す。橫塞すれば則ち振く。太だ小なれば則ち志嫌す。嫌を以て小を聽けば則ち耳充たず。充たざれば則ち詹らず。詹らざれば則ち窕す。太だ清なれば則ち志危うし。危うきを以て清を聽けば則ち耳谿極す。谿極すれば則ち鑒せず、鑒せざれば則ち竭く。太だ濁なれば則ち志下る。下れるを以て濁を聽けば則ち耳收まらず。收まらざれば則ち摶ならず。摶ならざれば則ち怒る。故に太だ鉅なると、太だ小なると、太だ清なると、太だ濁なるとは、皆適に非ざるなり。
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『新序』節士第七趙武冠して成人と爲る。程嬰乃ち大夫を辭し、趙武に謂いて曰く、昔下宮の難、皆な能く死せり。我死する能わざるに非ず。趙氏の後を立てんことを思えばなり。今子既に立ちて成人と爲り、趙宗故に復す。我將に下りて趙孟と公孫杵臼とに報ぜんとす、と。趙武號泣し、固く請いて曰く、武願わくは筋骨を苦しめて以て子に報い死に至らん。而るに子我を棄てて死するに忍びんや、と。程嬰曰く、不可なり。彼れ我を以て能く事を成すと爲すが故に、皆な我に先んじて死せり。今我下りて之に報ぜずんば、是れ我が事を以て成らずと爲すなり、と。遂に自殺す。趙武衰を服すること三年。祭邑を爲り、春秋に之を祠り、世ミ絶えず。君子曰く、程嬰・公孫杵臼は、交わりに信あり厚き士と謂う可し。嬰の自殺して下に報ずるは亦た過ぎたり、と。