新序 / 雜事第五
孔子北之山戎氏,有婦人哭於路者,其哭甚哀,孔子立輿而問曰:「曷為哭哀至於此也。」婦人對曰:「往年虎食我夫,今虎食我子,是以哀也。」孔子曰:「嘻,若是,則曷為不去也?」曰:「其政平,其吏不苛,吾以是不能去也。」孔子顧子貢曰:「弟子記之,夫政之不平而吏苛,乃甚於虎狼矣。」詩曰:「降䘮饑饉,斬伐四國。」夫政不平也,乃斬伐四國,而况二人乎?其不去宜哉?
新字:孔子北之山戎氏,有婦人哭於路者,其哭甚哀,孔子立輿而問曰:「曷為哭哀至於此也。」婦人対曰:「往年虎食我夫,今虎食我子,是以哀也。」孔子曰:「嘻,若是,則曷為不去也?」曰:「其政平,其吏不苛,吾以是不能去也。」孔子顧子貢曰:「弟子記之,夫政之不平而吏苛,乃甚於虎狼矣。」詩曰:「降喪饑饉,斬伐四国。」夫政不平也,乃斬伐四国,而況二人乎?其不去宜哉?
書き下し
孔子北のかた山戎氏に之く。婦人の路に哭する者有り。其の哭甚だ哀し。孔子輿に立ちて問いて曰く、曷爲れぞ哭して哀しむこと此に至るや、と。婦人對えて曰く、往年虎我が夫を食らい、今虎我が子を食らう。是を以て哀しむなり、と。孔子曰く、嘻、是くの若くんば、則ち曷爲れぞ去らざるや、と。曰く、其の政平らかに、其の吏苛ならず。吾是を以て去る能わざるなり、と。孔子子貢を顧みて曰く、弟子之を記せ。夫れ政の平らかならずして吏苛なるは、乃ち虎狼よりも甚だし、と。詩に曰く、喪饑饉を降し、四國を斬伐す、と。夫れ政平らかならざれば、乃ち四國を斬伐す。而るに况んや二人をや。其の去らざるは宜なるかな。
現代語訳
孔子が北の山戎氏の地へ行った。道で泣いている婦人がいた。その泣き方はたいそう哀しかった。孔子は車の上に立って問うた。「どうして泣き哀しむことがこれほどなのか」。婦人は答えた。「昨年は虎がわが夫を食い、今年は虎がわが子を食いました。だから哀しいのです」。孔子は言った。「ああ、それならば、どうしてここを去らないのか」。答えた。「ここは政が平らかで、役人が苛酷ではありません。だから私は去ることができないのです」。孔子は子貢を顧みて言った。「弟子たちよ、これを記しておけ。そもそも政が平らかでなく役人が苛酷なのは、虎や狼よりもひどいのだ」。『詩経』に「喪と飢饉を降し、四方の国を斬り伐つ」とある。そもそも政が平らかでなければ、四方の国を斬り伐つことになる。まして二人ならなおさらである。この婦人が去らないのももっともではないか。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
論語・公冶長篇子、子貢に謂いて曰く、「女と回と孰れか愈れる。」対えて曰く、「賜や何ぞ敢えて回を望まん。回や一を聞きて以て十を知る、賜や一を聞きて以て二を知る。」子曰く、「如かざるなり。吾と女と、如かざるなり。」
-
『墨子』經說下見ると見ざるとは離る。一と二とは相い盈たさず。廣と循と堅白となり。舉げて重からざるは箴と與にせず、力の任に非ざるなり。握る者の倍を為すは、智の任に非ざるなり。耳目の若し。異。木と夜と孰れか長き。智と粟と孰れか多き。爵と親と行と賈と、四者孰れか貴き。麋と霍と孰れか髙き。麋と霍と孰れか霍なる。虭と瑟と孰れか瑟なる。偏。倶に一にして變ずる無し。假。假は必ず非なり、而る後に假なり。狗の霍を假るは、猶お霍を氏とするがごときなり。物。或いは之を傷るは、然るなり。之を見るは、智なり。之を吉するは、智らしむるなり。疑。蓬、務を為せば則ち士なり。牛廬を為る者、夏、寒きは、蓬なり。之を舉ぐれば則ち輕く、之を廢すれば則ち重きは、力有るに非ざるなり。沛、削に従うは、巧に非ざるなり。石と羽との若きは、楯なり。鬬う者の敝るるや、飲酒を以てす。曰中を以てするが若し。是れ智る可からざるなり、愚なり。智なるか、已を以て然りと為すか。愚なり。
-
『学問のすゝめ』十二編・人の品行は高尚ならざるべからざるの論・事物の有様を比較して上流に向かいしからばすなわち、人の見識を高尚にして、その品行を提起するの法いかがすべきや。その要訣は事物の有様を比較して上流に向かい、みずから満足することなきの一事にあり。ただし有様を比較するとはただ一事一物を比較するにあらず、この一体の有様と、かの一体の有様とを並べて、双方の得失を残らず察せざるべからず。譬えば今、少年の生徒、酒色に溺るるの沙汰もなくして謹慎勉強すれば、父兄・長老に咎めらるることなく、あるいは得意の色をなすべきに似たれども、その得色はただ他の無頼生に比較してなすべき得色のみ。謹慎勉強は人類の常なり、これを賞するに足らず、人生の約束は別にまた高きものなかるべからず。広く古今の人物を計え、誰に比較して誰の功業に等しきものをなさばこれに満足すべきや。必ず上流の人物に向かわざるべからず。あるいは我に一得あるも彼に二得あるときは、我はその一得に安んずるの理なし。いわんや後進は先進に優るべき約束なれば、古を空しゅうして比較すべき人物なきにおいてをや。今人の職分は大にして重しと言うべし。
-
『論語と算盤』算盤と権利・仁に当つては師に譲らず基督や釈迦は始めより宗教家として世に立った人であるに反し、孔子は宗教をもって世に臨んだ人でないように思われる。基督や釈迦とは全然その成立を異にしたものである。ことに孔子の在世時代における支那の風習は、何でも義務を先にし、権利を後にする傾向を帯びた時であった。かくのごとき空気の中に成長し来った孔子をもって、二千年後の今日、全く思想を異にした基督に比するは、既に比較すべからざるものを比較するのであるから、この議論は最初よりその根本を誤ったものと言うべく、両者に相違を生ずることはもとより当然の結果たらざるを得ないのである。しからば孔子教には全然権利思想を欠いているであろうか。以下少しく余が所見を披瀝して世の蒙を啓きたいと思う。
-
『学問のすゝめ』十二編・人の品行は高尚ならざるべからざるの論・盲人に向かいて誇るがごとししかるに今わずかに謹慎勉強の一事をもって人類生涯の事となすべきや。思わざるのはなはだしきものなり。人として酒色に溺るる者はこれを非常の怪物と言うべきのみ。この怪物に比較して満足する者は、これを譬えば双眼を具するをもって得意となし、盲人に向かいて誇るがごとし。いたずらに愚を表するに足るのみ。ゆえに酒色云々の談をなして、あるいはこれを論破し、あるいはこれを是非するの間は、到底諸論の賤しきものと言わざるを得ず。人の品行少しく進むときはこれらの醜談はすでにすでに経過し了して、言に発するも人に厭わるるに至るべきはずなり。
-
『学問のすゝめ』五編・明治七年一月一日の詞・望洋の歎を免れず今や外国の交際にわかに開け、国内の事務一としてこれに関せざるものなし。事々物々みな外国に比較して処置せざるべからざるの勢いに至り、古来わが国人の力にてわずかに達し得たる文明の有様をもって、西洋諸国の有様に比すれば、ただに三舎を譲るのみならず、これに倣わんとしてあるいは望洋の歎を免れず、ますますわが独立の薄弱なるを覚ゆるなり。

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見る