新序 / 節士第七
晏子之晉,見披裘負芻息於途者,以為君子也,使人問焉。曰:「曷為而至此?」對曰:「齊人纍之。吾名曰越石甫。」晏子曰:「嘻。」遽解左驂以贖之,載而與歸,至舍,不辭而入,越石甫怒而請絶,晏子使人應之曰:「嬰未嘗得交也,今免子於患,吾於子猶未可邪?」越石甫曰:「吾聞君子詘乎不知己,而信乎知己者,吾是以請絶也。」晏子乃出見之曰:「向也見客之容,而今也見客之意。嬰聞察實者不留聲,觀行者不幾辭,嬰可以辭而無棄乎?」越石甫曰:「夫子禮之,敢不敬從。」晏子遂以為上客。俗人之有功則徳,徳則驕。晏子有功,免人於厄而反詘下之,其去俗亦逺矣,此全功之道也。
新字:晏子之晋,見披裘負芻息於途者,以為君子也,使人問焉。曰:「曷為而至此?」対曰:「斉人纍之。吾名曰越石甫。」晏子曰:「嘻。」遽解左驂以贖之,載而与帰,至舎,不辞而入,越石甫怒而請絶,晏子使人応之曰:「嬰未嘗得交也,今免子於患,吾於子猶未可邪?」越石甫曰:「吾聞君子詘乎不知己,而信乎知己者,吾是以請絶也。」晏子乃出見之曰:「向也見客之容,而今也見客之意。嬰聞察実者不留声,観行者不幾辞,嬰可以辞而無棄乎?」越石甫曰:「夫子礼之,敢不敬従。」晏子遂以為上客。俗人之有功則徳,徳則驕。晏子有功,免人於厄而反詘下之,其去俗亦遠矣,此全功之道也。
書き下し
晏子晉に之く。裘を披て芻を負い途に息う者を見る。以て君子と爲すなり。人をして問わしむ。曰く、曷爲れぞ此に至れる、と。對えて曰く、齊人之を纍にす。吾が名は越石甫と曰う、と。晏子曰く、嘻、と。遽かに左驂を解きて以て之を贖い、載せて與に歸る。舍に至り、辭せずして入る。越石甫怒りて絶たんことを請う。晏子人をして之に應えしめて曰く、嬰未だ嘗て交わりを得ざるなり。今子を患いより免る。吾子に於いて猶お未だ可ならざるか、と。越石甫曰く、吾聞く、君子は己を知らざるに詘し、而して己を知る者に信ぶ、と。吾是を以て絶たんことを請うなり、と。晏子乃ち出でて之を見て曰く、向には客の容を見て、今や客の意を見たり。嬰聞く、實を察する者は聲に留まらず、行を觀る者は辭に幾めず、と。嬰辭して棄つる無かる可きか、と。越石甫曰く、夫子之を禮す。敢えて敬い從わざらんや、と。晏子遂に以て上客と爲す。俗人は功有れば則ち德とす。德とすれば則ち驕る。晏子は功有り、人を厄より免れしめて反って之に詘下す。其の俗を去ること亦た遠し。此れ功を全うするの道なり。
現代語訳
晏子が晋に行った。皮衣を着て秣を背負い、道端で休んでいる者を見た。君子だと思った。人をやって尋ねさせた。「どうしてこうなったのか」。答えて言った。「斉の人が私を捕らえたのだ。私の名は越石甫という」。晏子は「ああ」と言った。すぐに左側の添え馬を外してこれを買い戻し、車に乗せて一緒に帰った。屋敷に着くと、挨拶もせずに中へ入った。越石甫は怒って絶交を申し出た。晏子は人をやって答えさせた。「私はこれまで交わりを持ったことがない。いまあなたを苦難から救った。私はあなたに対して、まだ足りないだろうか」。越石甫は言った。「私はこう聞いている、君子は自分を知らない者には身を屈め、自分を知る者には伸び伸びとする、と。私はそれゆえに絶交を申し出るのだ」。晏子はそこで出て会って言った。「先ほどは客人の姿を見たが、いまは客人の心を見た。私はこう聞いている、実質を見る者は評判にとどまらず、行いを見る者は言葉を責めない、と。私が詫びれば、捨てずにいてもらえようか」。越石甫は言った。「先生が礼をもって遇してくださる。どうして敬い従わずにおられよう」。晏子はそのまま上客とした。俗な人は功があると恩に着せる。恩に着せると驕る。晏子は功がありながら、人を苦境から救ってかえって身を低くした。その俗を離れていることは、はるかである。これが功を全うする道である。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『翁問答』上卷之本大臣は家の重脊、君の腹心なれば、高位大禄を与へ、大方の事打任せて計らはせ、礼儀正しく敬て、情深く有る可し、位刑賞威恵の権柄をかりそめにも貸し預けぬものなり、大臣より下の諸士は其位分相応の程々を能く分別して、真実に情深く侮り軽しめず、夫々の器量を能く見分けてさし使ひ、忠臣あるには、其大小軽重に従ひて、褒美を与へ位を揚げ、知行を加增して群臣の勧めとす、士は国の幹君の爪牙なれば、其心を失ふ可からざる事勿論なり、扨農工商は国の資なれば、一入憐みはくみて、其利を利として、其楽を楽む如く、政を成すは君の仁礼を行ふ大槪なり、
-
『翁問答』下卷之本又周公旦はその御子伯禽魯国の主となりて、はじめて国入したまふ時、周公旦伯禽を戒めて曰く、我は文王の子、武王の弟、成王の叔父なり、我天下に於いて亦賤しからず、然れども我一沐に三たび髪を握り、一飯に三たび哺を吐き、起ちて以て士を待つ、猶ほ天下の賢人を失はんことを恐る、子魯に之かば慎んで国を以て人に驕ること無かれ、この聖戒の心は我親は文王なり、我兄は武王なり、当今の天子はわが甥なり、我位は摂政家宰なり、天下に我をこすべきものなく類すくなき尊位なり、しかれども一たび髪を洗ふうちには、三たびあらひさして髪を握りて目見えにきたる諸士をあいしらひ、一たび飯を食するうちに、三度口にくゝみたる食物をはきいだして、諸士をあいしらひぬれども、なほ天下の諸さふらいにおごりたる無礼のあいしらひありて、賢人のうらみあらん事をおそれつゝしむばかりなり、汝魯国へゆきて国を鼻にあてゝおごり、無礼にして人をあなどりかろしめる事なかれ、我ごとく慎むべしと教へいましめ給ふなり、
-
『韓非子』外儲說左下第三十三魯の哀公孔子に問ひて曰く、「吾聞く古者夔一足有りと、其れ果して信に一足有るか。」孔子対へて曰く、「不なり、夔は一足に非ざるなり。夔は忿戾悪心にして、人多く説喜せざるなり。然りと雖も、其の以て人の害を免るるを得る所以の者は、其の信を以てなり。人皆曰く、独り此の一あれば、足れり、と。夔は一足に非ざるなり、一にして足るなり。」哀公曰く、「審かに而り、固より足れり。」一に曰く、哀公孔子に問ひて曰く、「吾聞く夔は一足なりと、信か。」曰く、「夔は、人なり、何の故に一足ならん。彼其れ他に異なること無し、而して独り声に通ず。堯曰く、夔は一にして足れり、と。楽正と為さしむ。故に君子曰く、夔は一有り、足れり、と。一足に非ざるなり。」三。文王崇を伐ち、鳳黄の虚に至る、韈の係解く、因りて自ら結ぶ。太公望曰く、「何為れぞや。」王曰く、「上は、君と処るもの皆其の師なり。中は、皆其の友なり。下は、尽く其の使なり。今皆先君の臣なり、故に使ふべきもの無きなり。」一に曰く、晋の文公楚と戦ひ、黄鳳の陵に至る、履の係解く、因りて自ら之を結ぶ。左右曰く、「以て人を使ふべからざるか。」公曰く、「吾聞く、上は、君の与に居る所、皆其の畏るる所なり。中は、君の与に居る所、皆其の愛する所なり。下は、君の与に居る所、皆其の侮る所なり。寡人不肖なりと雖も、先君の人皆在り、是を以て之を難るなり。」季孫士を好み、終身荘にして、居処衣服常に朝廷の如し。而して季孫適ま懈り、過失有り、而して長く為すこと能はざるなり。故に客以て己を厭易すと為し、相与に之を怨み、遂に季孫を殺す。故に君子は泰を去り甚を去る。一に曰く、南宮敬子顔涿聚に問ひて曰く、「季孫孔子の徒を養ひ、朝服して与に坐する所の者十を以て数ふるに賊に遇ふは、何ぞや。」
-
『弁名』王覇後世の儒者は口に能く徳を以て之を化すと言ふと雖も、然れども之を化する所以の術を知らず。是れ其の過は本と道を以て当然の理と為して、其の民を安んずるの術たるを知らざるに在り。故に又徳を以て仁義孝悌の類と為して、有徳の人を挙用して以て民を導くを知らざるなり。故に其れ務めて己の徳を以て之を導かんと欲す。是れ其の意既に急迫にして、自ら用ひて術無し、何を以てか能く民をして其の風に嚮はしめんや。又誤りて礼を以て法と為し、上下尊卑等威明白にして少しも差忒せざるを以て説と為す。則ち名家者流の意を出でず、豈に以て先王の天下を陶鋳するの術と為すに足らんや。夫れ桓文は先王に及ばずと雖も、猶ほ其の術有り。豈に後世の儒者の不学無術の倫の若くならんや。吁、古言を知らざるの失、一に斯に至る。悲しいかな。
-
『学則』答屈景山書菅童子の西游するに及ぶや、足下の周旋甚だ勤むるを聞き、李陰君喜びて以て諗げらる。且つ言ふ、足下も亦た不佞に意有りと。因りて之を扣き、以て其の屈先生の裔たるを識る。則ち予不佞も亦た喜ぶこと甚だし。足下の五馬に従ひて東下するを聞くに及ぶや、榻を懸けて以て竢つ者之を久しうす。詎ぞ意はん、竟外の交はり、足下斯須も以て長ずるを得ざらんとは。是の日乃ち尺一に接するを得て、愈〻益〻遺範の泯びざるを信じ、而して素願の愜ふ有るを幸ふかな。
-
言志四録・言志耋録 第百五十五条 奇花異草の不幸草木は固より山野の物なり。山野に在れば、則ち其の所を得て、人の灌漑を煩はさず。会々奇花異草の其の間に生ずる有れば、則ち花匠抜き取りて、以て盆翫と為し、之を王侯に晋む。第だ花匠に於ては幸と為せども、花卉は則ち不幸と為す。人事も亦或は此に類す。

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見る