新序 / 節士第七
申徒狄非其世,將自投於河,崔嘉聞而止之曰:「吾聞聖人仁士之於天地之間,民之父母也,今為濡足之故,不救溺人,可乎?」申徒狄曰:「不然。昔者,桀殺闗龍逢,紂殺王子比干而亡天下;吳殺子胥,陳殺洩冶而滅其國。故亡國殘家,非無聖智也,不用故也。」遂負石沉於河。君子聞之曰:「廉矣乎,如仁與智,吾未見也。」詩曰:「天實為之,謂之何哉?」此之謂也。
新字:申徒狄非其世,将自投於河,崔嘉聞而止之曰:「吾聞聖人仁士之於天地之間,民之父母也,今為濡足之故,不救溺人,可乎?」申徒狄曰:「不然。昔者,桀殺関竜逢,紂殺王子比干而亡天下;呉殺子胥,陳殺洩冶而滅其国。故亡国残家,非無聖智也,不用故也。」遂負石沈於河。君子聞之曰:「廉矣乎,如仁与智,吾未見也。」詩曰:「天実為之,謂之何哉?」此之謂也。
書き下し
申徒狄其の世を非とし、將に自ら河に投ぜんとす。崔嘉聞きて之を止めて曰く、吾聞く、聖人仁士の天地の間に於けるは、民の父母なり、と。今足を濡らすの故を爲して、溺るる人を救わざるは、可ならんや、と。申徒狄曰く、然らず。昔者、桀は關龍逢を殺し、紂は王子比干を殺して天下を亡う。吳は子胥を殺し、陳は洩冶を殺して其の國を滅ぼす。故に國を亡ぼし家を殘なうは、聖智無きに非ざるなり。用いざるが故なり、と。遂に石を負いて河に沈む。君子之を聞きて曰く、廉なるかな。仁と智との如きは、吾未だ見ざるなり、と。詩に曰く、天實に之を爲す、之を謂うこと何ぞや、と。此の謂いなり。
現代語訳
申徒狄はその世を否定して、自ら黄河に身を投げようとした。崔嘉が聞いてこれを止めて言った。「私はこう聞いている、聖人や仁の士が天地のあいだにあるのは、民の父母だからだ、と。いま足を濡らすからといって、溺れる人を救わないのは、よいことだろうか」。申徒狄は言った。「そうではない。昔、桀は関竜逢を殺し、紂は王子比干を殺して天下を失った。呉は子胥を殺し、陳は洩冶を殺してその国を滅ぼした。だから国を滅ぼし家を損なうのは、聖人や知者がいなかったからではない。用いなかったからだ」。そのまま石を背負って黄河に沈んだ。君子はこれを聞いて言った。「廉直であるな。仁と知については、私はまだ見ていない」。『詩経』に「天がまことにこれをなした、これを何と言おうか」とある。このことである。
解説
この章句が説くこと
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