新序 / 雜事第四
有司請吏於齊桓公,桓公曰:「以告仲父。」有司又請,桓公曰:「以告仲父。」若是者三。在側者曰:「一則告仲父,二則告仲父,易哉為君。」桓公曰:「吾未得仲父則難,已得仲父,曷為其不易也。」故王者勞於求人,佚於得賢。舜舉衆賢在位,埀衣裳,恭己無為,而天下治。湯文用伊、吕,成王用周、召而刑措不用,兵偃而不動,用衆賢也。桓公用管仲則小也,故至於霸,而不能以王。故孔子曰:「小哉,管仲之器。」蓋善其遇桓公,惜其不能以王也。至明主則不然,所用大矣。詩曰:「濟濟多士,文王以寧。」此之謂也。
新字:有司請吏於斉桓公,桓公曰:「以告仲父。」有司又請,桓公曰:「以告仲父。」若是者三。在側者曰:「一則告仲父,二則告仲父,易哉為君。」桓公曰:「吾未得仲父則難,已得仲父,曷為其不易也。」故王者労於求人,佚於得賢。舜舉衆賢在位,埀衣裳,恭己無為,而天下治。湯文用伊、呂,成王用周、召而刑措不用,兵偃而不動,用衆賢也。桓公用管仲則小也,故至於覇,而不能以王。故孔子曰:「小哉,管仲之器。」蓋善其遇桓公,惜其不能以王也。至明主則不然,所用大矣。詩曰:「済済多士,文王以寧。」此之謂也。
書き下し
有司吏を齊の桓公に請う。桓公曰く、以て仲父に告げよ、と。有司又た請う。桓公曰く、以て仲父に告げよ、と。是くの若き者三たびなり。側に在る者曰く、一たびは則ち仲父に告げよ、二たびは則ち仲父に告げよ。易きかな君爲るは、と。桓公曰く、吾未だ仲父を得ざれば則ち難し。已に仲父を得たり。曷爲れぞ其れ易からざらんや、と。故に王者は人を求むるに勞し、賢を得るに佚す。舜衆賢を舉げて位に在らしめ、衣裳を垂れ、己を恭しくして爲す無くして、天下治まる。湯・文は伊・呂を用い、成王は周・召を用いて、刑措きて用いず、兵偃して動かず。衆賢を用うればなり。桓公管仲を用うるは則ち小なり。故に霸に至りて、以て王たる能わず。故に孔子曰く、小なるかな、管仲の器、と。蓋し其の桓公に遇いしを善しとし、其の以て王たる能わざるを惜しむなり。明主に至りては則ち然らず。用うる所大なり。詩に曰く、濟濟たる多士、文王以て寧し、と。此の謂いなり。
現代語訳
担当の役人が斉の桓公に人事を願い出た。桓公は言った。「仲父に告げよ」。役人がまた願い出た。桓公は言った。「仲父に告げよ」。このようなことが三度あった。そばにいた者が言った。「一度目は仲父に告げよ、二度目も仲父に告げよ。君主というのは楽なものですな」。桓公は言った。「私は仲父を得るまでは難しかった。すでに仲父を得た。どうして楽でないことがあろうか」。だから王者は人を求めるのに苦労し、賢者を得てからは楽になる。舜は多くの賢者を挙げて位に就け、衣を垂れ、身を慎んで何もせずに、天下が治まった。湯王・文王は伊尹・呂尚を用い、成王は周公・召公を用いて、刑罰は置いたまま使われず、兵は伏せられて動かなかった。多くの賢者を用いたからである。桓公が管仲を用いたのは、まだ小さい。だから覇者に至って、王者にはなれなかった。だから孔子は言った。「小さいな、管仲の器は」。おそらく桓公に巡り合ったことをよしとしながら、王者になれなかったことを惜しんだのである。明君となるとそうではない。用いるところが大きい。『詩経』に「多くの立派な士がいて、文王はそれで安らかであった」とある。これのことである。
解説
この章句が説くこと
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