新序 / 善謀第九
虞卿聞之,往見王曰:「危哉!樓子之所以為秦者,是愈疑天下,而何慰秦之心哉?獨不言示天下弱乎?且臣言勿予,非固勿予而已也。秦索六城於王,而王以六城賂齊。齊,秦之深讎也。得王之六城,并力而西擊秦,齊之聴王,不待辭之畢也。則是王失之於齊,而取償於秦也。而齊、趙之讎可以報矣,而示天下有能為也。王以此為發聲,兵未窺於境,臣見秦之重賂,而反構於王。也從秦為構,韓、魏聞之,必盡重王,重王,必出重寶以先於王,則是王一舉而結三國之親,而與秦易道也。」趙王曰:「善。」即發虞卿東見齊王,與之謀秦。虞卿之謀行而趙覇,此存亡之樞機,樞機之發,間不及旋踵,是故虞卿一言,而秦之震懼趨風馳指而請備,故善謀之臣,其於國豈不重哉?㣲虞卿,趙以亡矣。
新字:虞卿聞之,往見王曰:「危哉!楼子之所以為秦者,是愈疑天下,而何慰秦之心哉?独不言示天下弱乎?且臣言勿予,非固勿予而已也。秦索六城於王,而王以六城賂斉。斉,秦之深讎也。得王之六城,并力而西撃秦,斉之聴王,不待辞之畢也。則是王失之於斉,而取償於秦也。而斉、趙之讎可以報矣,而示天下有能為也。王以此為発声,兵未窺於境,臣見秦之重賂,而反構於王。也従秦為構,韓、魏聞之,必尽重王,重王,必出重宝以先於王,則是王一舉而結三国之親,而与秦易道也。」趙王曰:「善。」即発虞卿東見斉王,与之謀秦。虞卿之謀行而趙覇,此存亡之枢機,枢機之発,間不及旋踵,是故虞卿一言,而秦之震懼趨風馳指而請備,故善謀之臣,其於国豈不重哉?微虞卿,趙以亡矣。
書き下し
虞卿之を聞き、往きて王に見えて曰く、危うきかな。樓子の秦の爲にする所以の者は、是れ愈ミ天下を疑わしむ。而して何ぞ秦の心を慰めんや。獨り天下に弱きを示すと言わざるか。且つ臣の予うる勿かれと言うは、固より予うる勿きのみに非ざるなり。秦六城を王に索む。而して王六城を以て齊に賂え。齊は、秦の深讎なり。王の六城を得ば、力を并せて西のかた秦を擊たん。齊の王に聽くこと、辭の畢わるを待たざるなり。則ち是れ王之を齊に失いて、償いを秦に取るなり。而して齊・趙の讎報ゆ可し。而して天下に能く爲す有るを示さん。王此を以て聲を發さば、兵未だ境を窺わざるに、臣秦の重賂して、反って王に構するを見ん。秦より構を爲さば、韓・魏之を聞き、必ず盡く王を重んぜん。王を重んぜば、必ず重寶を出だして以て王に先んぜん。則ち是れ王一舉にして三國の親を結び、而して秦と道を易うるなり、と。趙王曰く、善し、と。即ち虞卿を發して東のかた齊王に見え、之と秦を謀らしむ。虞卿の謀行われて趙覇たり。此れ存亡の樞機なり。樞機の發するは、間踵を旋らすに及ばず。是の故に虞卿一言して、秦の震懼し風に趨り指を馳せて備えんことを請う。故に善謀の臣は、其の國に於けるや豈に重からずや。虞卿微かりせば、趙は以て亡びん。
現代語訳
虞卿はこれを聞き、王のもとへ行って言った。「危ういことです。楼子が秦のためにしていることは、ますます天下を疑わせるだけです。どうして秦の心を慰めることになりましょう。天下に弱さを見せることだとは言わないのですか。そのうえ臣が与えるなと言うのは、もとより与えないだけではありません。秦は六城を王に求めています。ならば王は六城を斉に贈りなさい。斉は、秦の深い仇です。王の六城を得れば、力を合わせて西の秦を撃つでしょう。斉が王に従うのは、言葉が終わるのも待たないでしょう。それは王が斉に失って、償いを秦から取るということです。そして斉と趙の仇は報いられます。しかも天下に何かをなす力があることを示せます。王がこれで声を上げれば、兵がまだ国境をうかがわないうちに、臣は秦が重い贈り物をして、逆に王に講和を求めるのを見るでしょう。秦のほうから講和すれば、韓と魏はこれを聞いて、必ずみな王を重んじます。王を重んじれば、必ず重い宝を出して王に先んじようとします。それは王が一挙にして三国の親しみを結び、秦と立場を入れ替えるということです」。趙王は「よろしい」と言った。すぐに虞卿を出して東の斉王に会わせ、ともに秦を謀らせた。虞卿の謀が行われて趙は覇者となった。これが存亡の要である。要が動くときは、踵を返す間もない。だから虞卿の一言で、秦は震え恐れ、風のように駆けつけ指を走らせて備えを求めた。だから優れた謀の臣は、その国にとって重くないはずがない。虞卿がいなければ、趙は滅んでいた。
解説
この章句が説くこと
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『墨子』魯問魯君、子墨子に謂いて曰く、「吾れ齊の吾を攻めんことを恐る。救う可きか」と。子墨子曰く、「可なり。昔者、三代の聖王、禹・湯・文・武は、百里の諸侯なり。忠を説き義を行いて、天下を取る。三代の暴王、桀・紂・幽・厲は、讐怨し暴を行いて、天下を失う。吾れ願わくは主君の、上は天を尊び鬼に事え、下は百姓を愛し利し、厚く皮幣を為り、辭令を卑くし、函く徧く四隣の諸侯を禮し、國を敺りて以て齊に事えんことを。患い救う可きなり。願うに非ざれば為す可き者無し」と。
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人生を、一行の式にしてみた。
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