新序 / 雜事第五
秦二世胡亥之為公子也,昆弟數人,詔置酒饗羣臣,召諸子,諸子賜食先罷,胡亥下堦視羣臣,陳履狀善者,因行踐敗而去。諸子聞見之者,莫不太息。及二世即位,皆知天下必棄之也。故二世惑於趙髙,輕大臣,不顧下民。是以陳勝奮臂於闗東,閻樂作亂於望夷。閻樂,趙髙之婿也,為咸陽令,詐為逐賊,將吏卒入望夷宫,攻射二世,就數二世,欲加刃,二世懼,入將自殺,有一宦者從之,二世謂:「曰何謂至於此也?」宦者曰:「知此久矣。」二世曰:「子何不早言?」對曰:「臣以不言,故得至於此,使臣言,死久矣。」然後二世喟然悔之,遂自殺。
新字:秦二世胡亥之為公子也,昆弟数人,詔置酒饗羣臣,召諸子,諸子賜食先罷,胡亥下階視羣臣,陳履状善者,因行践敗而去。諸子聞見之者,莫不太息。及二世即位,皆知天下必棄之也。故二世惑於趙高,軽大臣,不顧下民。是以陳勝奮臂於関東,閻楽作乱於望夷。閻楽,趙高之婿也,為咸陽令,詐為逐賊,将吏卒入望夷宫,攻射二世,就数二世,欲加刃,二世懼,入将自殺,有一宦者従之,二世謂:「曰何謂至於此也?」宦者曰:「知此久矣。」二世曰:「子何不早言?」対曰:「臣以不言,故得至於此,使臣言,死久矣。」然後二世喟然悔之,遂自殺。
書き下し
秦の二世胡亥の公子爲るや、昆弟數人あり。詔して酒を置き羣臣を饗す。諸子を召す。諸子食を賜わりて先に罷む。胡亥階を下りて羣臣を視るに、履を陳ぬる狀の善き者あり。因りて行きて踐み敗りて去る。諸子の之を聞き見る者、太息せざる莫し。二世位に即くに及び、皆な天下の必ず之を棄てんことを知るなり。故に二世趙高に惑い、大臣を輕んじ、下民を顧みず。是を以て陳勝關東に臂を奮い、閻樂望夷に亂を作す。閻樂は趙高の婿なり。咸陽の令と爲る。詐りて賊を逐うと爲し、吏卒を將いて望夷宮に入り、二世を攻射す。就きて二世を數え、刃を加えんと欲す。二世懼れ、入りて將に自殺せんとす。一の宦者有りて之に從う。二世謂いて曰く、何ぞ此に至れりと謂うや、と。宦者曰く、此を知ること久し、と。二世曰く、子何ぞ早く言わざる、と。對えて曰く、臣言わざるを以て、故に此に至るを得たり。臣をして言わしめば、死すること久しからん、と。然る後に二世喟然として之を悔い、遂に自殺す。
現代語訳
秦の二世胡亥が公子であったころ、兄弟が数人いた。詔が下って酒宴を設け群臣をもてなした。公子たちを召した。公子たちは食事を賜って先に退出した。胡亥は階段を降りて群臣の様子を見ると、脱いで並べてある履で立派なものがあった。そこで歩いて踏みつぶして去った。公子たちでこれを見聞きした者は、ため息をつかない者がなかった。二世が位に即くと、みな天下が必ずこれを見捨てるだろうと分かった。だから二世は趙高に惑わされ、大臣を軽んじ、下々の民を顧みなかった。それで陳勝が関東で腕を奮い、閻楽が望夷宮で乱を起こした。閻楽は趙高の婿である。咸陽の令となっていた。賊を追うと偽って、吏卒を率いて望夷宮に入り、二世を攻め射た。近づいて二世の罪を数え、刃を加えようとした。二世は恐れ、奥に入って自殺しようとした。一人の宦官がこれに従っていた。二世は言った。「どうしてここまで来てしまったのか」。宦官は言った。「このことは長く分かっておりました」。二世は言った。「そなたはなぜ早く言わなかったのか」。答えた。「臣が言わなかったからこそ、ここまで来られたのです。もし臣が言っていたら、とうに死んでおりました」。その後で二世は深くため息をついて悔い、そのまま自殺した。
解説
この章句が説くこと
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