新序 / 雜事第三
樂毅使人獻書燕王曰:「臣不肖,不能奉承王命,以順左右之心,恐抵斧鉞之罪,以傷先王之明,有害足下之義,故遁逃自負,以不肖之罪,而不敢有辭説。今王數之以罪,恐侍御者不察先王之所以畜臣之理,不白乎臣之所以事先王之心,故不敢不以書對。
新字:楽毅使人献書燕王曰:「臣不肖,不能奉承王命,以順左右之心,恐抵斧鉞之罪,以傷先王之明,有害足下之義,故遁逃自負,以不肖之罪,而不敢有辞説。今王数之以罪,恐侍御者不察先王之所以畜臣之理,不白乎臣之所以事先王之心,故不敢不以書対。
書き下し
樂毅人をして書を燕王に獻ぜしめて曰く、臣不肖にして、王命を奉承して以て左右の心に順う能わず。斧鉞の罪に抵りて、以て先王の明を傷つけ、足下の義を害する有らんことを恐る。故に遁逃して自ら負い、不肖の罪を以てして、敢えて辭説有らざるなり。今王之を數うるに罪を以てす。恐らくは侍御者の、先王の臣を畜う所以の理を察せず、臣の先王に事うる所以の心を白らかにせざらんことを。故に敢えて書を以て對えざらざるなり。
現代語訳
楽毅は人をやって書を燕王に献じさせて言った。「臣は不才で、王命を承って側近の方々の心に沿うことができませんでした。斧鉞の罪に触れ、それによって先王の明を傷つけ、あなたの義を損なうことになるのを恐れました。だから逃げ去って自ら責めを負い、不才の罪を引き受けて、あえて弁解を申しませんでした。いま王は臣を罪をもって数えておられます。恐れますのは、おそばの方々が、先王が臣を養われた理由を察せず、臣が先王にお仕えした心を明らかにされないことです。だからあえて、書面をもってお答えしないわけにはいかないのです」。
解説
返書の書き出しです。まず逃げた理由を、恨みではなく配慮として置き直しました。斧鉞の罪に触れ、それによって先王の明を傷つけ、あなたの義を損なうことになるのを恐れました。そして今まで何も言わなかったことも述べます。あえて弁解を申しませんでした。では、なぜ今は書くのか。理由が一つだけ挙げられます。先王が臣を養われた理由を察せず、臣が先王にお仕えした心を明らかにされない。自分の名誉ではなく、先王の判断のために書く、という立て方でした。
この章句が説くこと
臣不肖にして王命を奉承して以て左右の心に順う能わず故に遁逃して自ら負い不肖の罪を以てして敢えて辞説有らざるなり今王之を数うるに罪を以てす先王の臣を畜う所以の理を察せず臣の先王に事うる所以の心を白らかにせざらん返書沈黙
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