新序 / 雜事第四
鍾子期夜聞擊磬聲者而悲旦召問之曰:「何哉!子之擊磬若此之悲也。」對曰:「臣之父殺人而不得臣之母得而為公家𨽻臣得而為公家擊磬。臣不睹臣之母三年於此矣,昨日為舍市而睹之,意欲贖之無財,身又公家之有也,是以悲也。」鍾子期曰:「悲在心也,非在手也,非木非石也,悲於心而木石應之,以至誠故也。」人君苟能至誠動於内。萬民必應而感移,堯舜之誠,感於萬國,動於天地,故荒外從風,鳯麟翔舞,下及微物,咸得其所。易曰:「中孚豚魚吉。」此之謂也。
新字:鍾子期夜聞撃磬声者而悲旦召問之曰:「何哉!子之撃磬若此之悲也。」対曰:「臣之父殺人而不得臣之母得而為公家𨽻臣得而為公家撃磬。臣不睹臣之母三年於此矣,昨日為舎市而睹之,意欲贖之無財,身又公家之有也,是以悲也。」鍾子期曰:「悲在心也,非在手也,非木非石也,悲於心而木石応之,以至誠故也。」人君苟能至誠動於内。万民必応而感移,堯舜之誠,感於万国,動於天地,故荒外従風,鳳麟翔舞,下及微物,咸得其所。易曰:「中孚豚魚吉。」此之謂也。
書き下し
鍾子期夜磬を撃つ聲を聞く者にして悲しむ。旦に召して之を問いて曰く、何ぞや、子の磬を撃つこと此くの若く悲しきや、と。對えて曰く、臣の父人を殺して得られず。臣の母得られて公家の隸と爲る。臣得られて公家の磬を撃つと爲る。臣臣の母を睹ざること三年此に於いてす。昨日舍市を爲して之を睹る。意うに之を贖わんと欲するも財無く、身も又た公家の有なり。是を以て悲しむなり、と。鍾子期曰く、悲しみは心に在るなり。手に在るに非ず。木に非ず石に非ざるなり。心に悲しみて木石之に應ずるは、至誠を以ての故なり、と。人君苟くも能く至誠内に動かば、萬民必ず應じて感移せん。堯舜の誠は、萬國に感じ、天地に動く。故に荒外風に從い、鳳麟翔舞し、下は微物に及ぶまで、咸な其の所を得たり。易に曰く、中孚、豚魚も吉、と。此の謂いなり。
現代語訳
鍾子期が夜、磬を打つ音を聞いて悲しくなった。朝に呼び出して問うた。「どうしたのだ、そなたの磬の打ち方がこれほど悲しいのは」。答えた。「臣の父は人を殺して捕まりませんでした。臣の母は捕まって公室の下女となりました。臣は捕まって公室の磬打ちとなりました。臣は臣の母を見ないことこの三年になります。昨日、市に出て母を見かけました。思うに身請けしたいのですが財がなく、この身も公室の持ち物です。だから悲しいのです」。鍾子期は言った。「悲しみは心にあるのだ。手にあるのではない。木でもなく石でもない。心で悲しんで木や石がそれに応じるのは、至誠のゆえである」。君主がまことに至誠を内に動かすことができれば、万民は必ず応じて感化されるだろう。堯舜の誠は、万国に感じ、天地を動かした。だから辺境の外までが風になびき、鳳凰と麒麟が舞い、下は小さな生き物にまで、みなその居場所を得た。『易』に「中孚は、豚や魚にまで及んで吉」とある。これのことである。
解説
この章句が説くこと
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『洗心洞箚記』卷下・第九十一條是の故に賢愚と無く、学に志せば、則ち断じて是を以て準的と為す。則ち康荘大道の上を行くの人にして、邪径曲路を踏む者に非ざるなり。而して其の成不成も亦命なるのみ。君子は命を云はず、只義を以て主と為す。則ち誠を以て準的と為す、義焉より大なるは莫し。陽明先生曰く、大学の要は、誠意のみと。此を以てなり。而して程朱居敬窮理の工も、要するに亦誠に帰するのみ。豈に他有らんや。而して其の学者静坐し、其の子陽辟して書を読み、其の勤惰を知らず、或いは冊子の上に放著して、心を治むるの工を知らず。是れ皆其の末学の弊なり。程朱の学にして安んぞ之有らんや。故に湯潜菴先生曰く、宋儒は主敬を言ふ。陽明は学者の一の敬の字を執著呆守するに過ぎて、反つて是れ不敬なるを恐る。故に人に教へて只良知を提醒せしむ。吾謂へらく、良知を昏まさざる者は、敬なり。敬の執著せざる所の者は、良知なりと。要するに誠に帰するを以て準的と為して問学すれば、則ち主敬と曰ふも亦可なり、致良知と曰ふも亦可なり。否ずんば則ち博学浩聞も、即ち門外の乞児なり。反観内省も、即ち葱嶺の髡徒なり。豈に道を学ぶと曰はんや。
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言志四録・南洲手抄意の誠否は、須らく夢寐中の事に於て之を験すべし。
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『弁名』誠又た仁斎先生の無妄と無偽とを以て其の優劣を争ふが如きも、亦た朱子の意は虚妄無きを謂ふのみなるを知らず。其の所謂春当に温かなるべくして反つて寒く、夏当に熱かるべくして反つて冷え、夏に霜ふり、冬に雷なり、桃李華さき、五星逆行し、日月度を失ふの類、豈に虚妄と為すべけんや。東坡の所謂「人は至らざる所無し、惟だ天のみ偽を容れず」とは、其の人の偽を容れざるを謂ふのみ。天の偽らざるを謂ふに非ざるなり。嗚呼、天豈に偽不偽を以て言ふべけんや。是れ其の今言に於いて猶ほ未だ之を知らず。況んや古言に於いてをや。
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