新序 / 節士第七
原憲居魯,環堵之室,茨以生蒿,蓬户甕牖,揉桑以為樞,上漏下濕,匡坐而弦歌。子贛聞之,乘肥馬,衣輕裘,中紺而表素,軒車不容巷,往見原憲。原憲冠桑葉冠,杖藜杖而應門,正冠則纓絶,衽襟則肘見,納屨則踵決。子贛曰:「嘻,先生何病也?」原憲仰而應之曰:「憲聞之無財之謂貧,學而不能行之謂病。憲貧也,非病也。若夫希世而行,比周而交,學以為人,敎以為己,仁義之慝,輿馬之飾憲不忍為也。」子贛逡巡,面有愧色,不辭而去。原憲曵杖拖履,行歌商頌而反,聲滿天地,如出金石,天子不得而臣也,諸侯不得而友也。故養志者忘身,身且不愛,孰能累之。詩曰:「我心匪石,不可轉也;我心匪席,不可卷也。」此之謂也。
新字:原憲居魯,環堵之室,茨以生蒿,蓬戸甕牖,揉桑以為枢,上漏下湿,匡坐而弦歌。子贛聞之,乗肥馬,衣軽裘,中紺而表素,軒車不容巷,往見原憲。原憲冠桑葉冠,杖藜杖而応門,正冠則纓絶,衽襟則肘見,納屨則踵決。子贛曰:「嘻,先生何病也?」原憲仰而応之曰:「憲聞之無財之謂貧,学而不能行之謂病。憲貧也,非病也。若夫希世而行,比周而交,学以為人,教以為己,仁義之慝,輿馬之飾憲不忍為也。」子贛逡巡,面有愧色,不辞而去。原憲曵杖拖履,行歌商頌而反,声満天地,如出金石,天子不得而臣也,諸侯不得而友也。故養志者忘身,身且不愛,孰能累之。詩曰:「我心匪石,不可転也;我心匪席,不可巻也。」此之謂也。
書き下し
原憲魯に居る。環堵の室、茨くに生蒿を以てす。蓬戸甕牖、桑を揉めて以て樞と爲す。上は漏り下は濕る。匡坐して弦歌す。子贛之を聞き、肥馬に乘り、輕裘を衣、中は紺にして表は素、軒車巷に容れられず、往きて原憲を見る。原憲桑葉の冠を冠り、藜杖を杖つきて門に應ず。冠を正せば則ち纓絶え、襟を衽すれば則ち肘見れ、屨を納るれば則ち踵決く。子贛曰く、嘻、先生何ぞ病めるや、と。原憲仰ぎて之に應えて曰く、憲之を聞く、財無きを之れ貧と謂い、學びて行う能わざるを之れ病と謂う、と。憲は貧なり、病に非ざるなり。夫の世に希いて行い、比周して交わり、學びて以て人の爲にし、敎えて以て己の爲にし、仁義の慝、輿馬の飾りの若きは、憲爲すに忍びざるなり、と。子贛逡巡し、面に愧づる色有り、辭せずして去る。原憲杖を曵き履を拖き、商頌を行歌して反る。聲天地に滿ち、金石より出づるが如し。天子も得て臣とせざるなり。諸侯も得て友とせざるなり。故に志を養う者は身を忘る。身すら且つ愛せず、孰か能く之を累わさん。詩に曰く、我が心は石に匪ず、轉ず可からざるなり、我が心は席に匪ず、卷く可からざるなり、と。此の謂いなり。
現代語訳
原憲は魯にいた。壁ひとまわりだけの部屋、屋根は生えた蓬で葺いてある。よもぎの戸に甕の口の窓、桑の枝をたわめて戸の軸とした。上から漏り、下は湿る。きちんと座って弦を弾き歌っていた。子貢はこれを聞いて、肥えた馬に乗り、軽い皮衣を着て、内は紺、外は白、屋根付きの車が路地に入らないほどで、原憲に会いに行った。原憲は桑の葉の冠をかぶり、あかざの杖をついて戸口に出た。冠を正せば紐が切れ、襟を合わせれば肘が出て、履を履けば踵が破れた。子貢は言った。「これは、先生はどうして病んでおられるのか」。原憲は仰いで答えた。「私はこう聞いている、財が無いのを貧といい、学んで行えないのを病という、と。私は貧しいのであって、病んでいるのではない。あの、世に取り入って行い、徒党を組んで交わり、学んでは人に見せるためにし、教えては自分のためにし、仁義を隠れ蓑にし、車馬を飾るようなことは、私にはする気になれない」。子貢はたじろぎ、顔に恥じる色を浮かべ、挨拶もせずに去った。原憲は杖を引き履を引きずり、商頌を歌いながら帰った。声は天地に満ち、金や石から出るようであった。天子もこれを臣とすることはできない。諸侯もこれを友とすることはできない。だから志を養う者は身を忘れる。身さえ惜しまないのに、誰がこれを煩わせられよう。『詩経』に「わが心は石ではない、転がすことはできない。わが心は敷物ではない、巻くことはできない」とある。このことである。
解説
この章句が説くこと
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