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新序 / 雜事第一

晉大夫祁奚老,晉君問曰:「孰可使嗣?」祁奚對曰:「解狐可。」君曰:「非子之讐耶?」對曰:「君問可,非問讐也。」晉遂舉解狐。後又問:「孰可以為國尉?」祁奚對曰:「午也可。」君曰:「非子之子耶?」對曰:「君問可,非問子也。」君子謂祁奚能舉善矣。稱其讐不為謟;立其子,不為比。書曰:「不偏不黨,王道蕩蕩。」祁奚之謂也。外舉不避仇讐内舉不囘親戚,可謂至公矣。唯善,故能舉其類。詩曰:「唯其有之,是以似之。」祁奚有焉。

新字:晉大夫祁奚老,晉君問曰:「孰可使嗣?」祁奚対曰:「解狐可。」君曰:「非子之讐耶?」対曰:「君問可,非問讐也。」晉遂舉解狐。後又問:「孰可以為国尉?」祁奚対曰:「午也可。」君曰:「非子之子耶?」対曰:「君問可,非問子也。」君子謂祁奚能舉善矣。称其讐不為謟;立其子,不為比。書曰:「不偏不党,王道蕩蕩。」祁奚之謂也。外舉不避仇讐内舉不囘親戚,可謂至公矣。唯善,故能舉其類。詩曰:「唯其有之,是以似之。」祁奚有焉。

書き下し

晉の大夫祁奚老ゆ。晉君問いて曰く、孰か嗣がしむ可き、と。祁奚對えて曰く、解狐可なり、と。君曰く、子の讐に非ずや、と。對えて曰く、君は可を問えるにして、讐を問えるに非ざるなり、と。晉遂に解狐を舉ぐ。後に又た問う、孰か以て國尉と爲す可き、と。祁奚對えて曰く、午や可なり、と。君曰く、子の子に非ずや、と。對えて曰く、君は可を問えるにして、子を問えるに非ざるなり、と。君子祁奚を能く善を舉ぐと謂えり。其の讐を稱するは謟と爲さず、其の子を立つるは比と爲さず。書に曰く、偏せず黨せざれば、王道蕩蕩たり、と。祁奚の謂いなり。外に舉げて仇讐を避けず、内に舉げて親戚を回らざるは、至公と謂う可し。唯だ善なり、故に能く其の類を舉ぐ。詩に曰く、唯だ其れ之れ有り、是を以て之に似たり、と。祁奚焉れ有り。

現代語訳

晋の大夫の祁奚が年老いた。晋の君が問うた。「誰に跡を継がせるのがよいか」。祁奚は答えた。「解狐がよろしいでしょう」。君は言った。「そなたの仇ではないか」。答えた。「君はよい者を問われたのであって、仇を問われたのではありません」。晋はそこで解狐を用いた。後にまた問うた。「誰を国尉にするのがよいか」。祁奚は答えた。「午がよろしいでしょう」。君は言った。「そなたの子ではないか」。答えた。「君はよい者を問われたのであって、子を問われたのではありません」。君子は祁奚を、よく善き者を挙げたと評した。その仇を挙げたのはへつらいではなく、その子を立てたのは身びいきではない。『書経』に「偏らず党せざれば、王道は広々としている」とあるのは、祁奚のことである。外に挙げて仇を避けず、内に挙げて身内を回避しない。至公というべきである。ただ善であればこそ、その同類を挙げることができる。『詩経』に「ただそれが自分にあるから、それに似た者を挙げられる」とあり、祁奚にはそれがある。

解説

二度とも同じ形で返しています。君はよい者を問われたのであって、仇を問われたのではありません。君はよい者を問われたのであって、子を問われたのではありません。問いを言い直しているだけで、弁明をしていません。そして最後の一句が、この人がなぜそう答えられたのかを説明します。ただ善であればこそ、その同類を挙げることができる。仇でも身内でも構わず善い者を見分けられるのは、自分の中に基準があるからだ、と。人を選ぶ話であると同時に、選ぶ人の話です。

この章句が説くこと

孰か嗣がしむ可き解狐可なり子の讐に非ずや君は可を問えるにして讐を問えるに非ざるなり其の讐を称するは謟と為さず其の子を立つるは比と為さず外に舉げて仇讐を避けず内に舉げて親戚を回らざるは至公と謂う可し人選公平

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