新序 / 雜事第一
衛國逐獻公,晉悼公謂師曠曰:「衛人出其君,不亦甚乎?」對曰:「或者,其君實甚也。夫天生民而立之君,使司牧之,無使失性。良君將賞善而除民患,愛民如子,蓋之如天,容之若地。民奉其君,愛之如父母,仰之如日月,敬之如神明,畏之若雷霆。夫君,神之主也。而民之望也,天之愛民甚矣,豈使一人肆於民上,以縱其滛而棄天地之性乎?必不然矣。若困民之性,乏神之祀,百姓絶望,社稷無主,將焉用之?不去何?」為公曰:「善。」
新字:衛国逐献公,晋悼公謂師曠曰:「衛人出其君,不亦甚乎?」対曰:「或者,其君実甚也。夫天生民而立之君,使司牧之,無使失性。良君将賞善而除民患,愛民如子,蓋之如天,容之若地。民奉其君,愛之如父母,仰之如日月,敬之如神明,畏之若雷霆。夫君,神之主也。而民之望也,天之愛民甚矣,豈使一人肆於民上,以縦其淫而棄天地之性乎?必不然矣。若困民之性,乏神之祀,百姓絶望,社稷無主,将焉用之?不去何?」為公曰:「善。」
書き下し
衛國獻公を逐う。晉の悼公師曠に謂いて曰く、衛人其の君を出だす。亦た甚だしからずや、と。對えて曰く、或いは其の君實に甚だしきなり。夫れ天民を生じて之が君を立て、司りて之を牧せしめ、性を失わしむる無し。良君は將に善を賞して民の患いを除き、民を愛すること子の如く、之を蓋うこと天の如く、之を容るること地の若くならんとす。民其の君を奉ずること、之を愛すること父母の如く、之を仰ぐこと日月の如く、之を敬すること神明の如く、之を畏るること雷霆の若し。夫れ君は神の主なり、而して民の望みなり。天の民を愛すること甚だし。豈に一人をして民の上に肆にし、以て其の淫を縱にして天地の性を棄てしめんや。必ず然らざらん。若し民の性を困しめ、神の祀りを乏しくし、百姓望みを絶ち、社稷主無くんば、將に焉んぞ之を用いんとす。去らずして何ぞ、と。公曰く、善し、と。
現代語訳
衛の国が献公を追放した。晋の悼公が師曠に言った。「衛の人が自分の君を追い出した。あまりにひどいではないか」。師曠は答えて言った。「あるいは、その君のほうが本当にひどかったのでしょう。そもそも天は民を生んで、その君を立て、これを司って牧させ、民に生まれつきの性を失わせないようにしたのです。よい君は、善を賞して民の患いを除き、民を愛すること我が子のようであり、これを覆うこと天のようであり、これを容れること地のようです。民が君を奉ずるのは、これを愛すること父母のようであり、これを仰ぐこと日月のようであり、これを敬うこと神明のようであり、これを畏れること雷のようです。そもそも君は神を祀る主であり、民の望みです。天が民を愛することは甚だしいのです。どうして一人の者に民の上で好き勝手をさせ、そのみだらな欲を放縦にさせて、天地の生んだ性を捨てさせるでしょうか。必ずそうではありません。もし民の性を苦しめ、神への祀りを絶やし、百姓が望みを絶ち、国家に主がいないようであれば、どうしてその君を用いる必要がありましょう。追い出さないでどうしますか」。悼公は言った。「もっともだ」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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孔子家語・六本孔子曰わく、「舟は水に非ざれば、行かず。水舟に入れば、則ち没す。君は民に非ざれば、治まらず。民上を犯せば、則ち傾く。是の故に君子は厳ならざる可からざるなり、小人は整一ならざる可からざるなり。」
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『大和俗訓』巻之三・心術上一民を司どる人は、民の父母なれば、民をあはれむ心を本とすべし。民の心を以て心として、民の好む事を好みてほどこし、民のきらふ事をきらひてほどこさず、父母の子を思ふが如くする故、是を民の父母と云ふ。民の上に立つ人は、民をやしなふ職分を天より授け給ふ事を知りて、天道にしたがひ、民をくるしましむべからず。我一人の楽をきはめんとて、おほくの人を苦むるは、天道の御心にそむけり。天道おそるべし。すべて人は高きもひききも同じ人なれば、民の楽み苦みも、我と同じ。我が心を以て民の心をおしはかるに違はず。民のうれひ苦みを思ひはかりて、憐むべし。不仁なる人は、民をあはれまずして、民を愛すれば奢りて上をあなどるとて、民をあはれまず。
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『君子訓』巻之下一人を讒言する人は、人の小さき過をかざりて、大に言ひなすものなり。或は過なき人をもあやまりありと云ひ、君たる人能く察せずして其言を信ずるは、迷の甚しきなり。讒を聞きて善人を退くるは、其善人の災のみならず、万民の災なり。鄒の穆公といふ君、下に命じて鳧と雁とを飼ふに、米を飼はず、唯粃を以て餌となす。或時食に粃なし。民に買へば、折節粃少くして、米の価より高し。依て其司米をはましめんといふ。君用ひずして曰く、汝小利を知りて大損を知らず。百姓朝夕寒暑を厭はずして稲を作り出すは、鳥獣の為に非ず。且米は人の上食なり。何ぞ是を以て鳥を養はんや。蔵の米を出して、価高くとも臣の粃を買ひて鳥に飼ふべし、蔵の米を臣に与ふるは、則我が倉に在ると同じと言へり。
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『五常訓』巻之三・仁之下常に心を用ひて、天意にしたがひ、民をあはれみ、困苦をすくひ、政をおこし、仁をほどこさば、其功大にして、天道のむくいも亦限りなかるべし。富貴の人、多くは陰徳の行ふべきことを知らず、勢に乗じて、下の苦をかへり見ず、人のつひえを厭はず、わが身ひとつの栄花をきはむれば、陰徳なくして、天地のいかり、人民のうらみ積て、後はわざはひ出来、子孫にもむくふものなり。天道は、まことに畏るべきかな。又陰徳をば行はずして、鬼神にへつらひ祈りて、福をもとめ、禍をのがれんとして、無益のことをなし、民をくるしめて、財をつひやす。是をたのんで、禍を免れんとせば、天地神明の御心にそむきて、かへりて禍あり。仏家にて、是を業福と云ふ。
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『五常訓』巻之五・信是子貢にこたへ給へる意なるべし。又司馬温公の曰、信者人君の大宝なり。国は民に保ち、民は信にたもつ。信にあらざれば、民をつかふ事なく、民にあらざれば、国を守る事なし。故に古の王者は、四海を欺かずと云へり。夫国は民を以てたもつ。民したがはざれば、国ありても保ちがたし。民は信を以てたもつ。上より民を欺きいつはりて、信なければ、民上を信ぜずして、思ひつかず。民の心をたもちがたし。
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『五常訓』巻之二・仁之上是己をおす恕なり。又一には、仁を人に施すの道、我が心を以て人の心をおしはかるに、人も我も同じ心なれば、我が好む事は、人も亦必、好むものなり。我が心にきらふ事は、人も亦必きらふもの也。かくの如我が心を以て人の心にくらぶるは、つゆ違ふ事なし。不仁無礼を、人の我に施すは、我がきらふ所也。是を以て人の心をおしはかるに、人もまた不仁無礼をきらふ故に、人に不仁無礼を施さず。是恕なり。民を治むる道を以ていはば、わが身もし下にありて、困窮し饑ゑ寒え、妻を売り子を売りて、親子はなれ、兄弟妻子離散するにいたらば、我が甚きらふ事なるべし。其心を以て、民の心をおしはかるに、我がきらふ如く、民も亦きらふべき事を知りて、民の饑ゑず寒えず、困窮せず、妻子を売らざるやうに、あはれみて施すべし。

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