新序 / 雜事第二
莊辛諫楚襄王曰:「君王左州侯,右夏侯,從新安君與壽陵君同軒,淫衍侈靡而忘國政,郢其危矣。」王曰:「先生老惽歟?妄為楚國妖歟?」莊辛對曰:「臣非敢為楚妖,誠見之也。君王卒近此四子者,則楚必亡矣!辛請留於趙以觀之。」於是不出十月,王果亡巫山江漢鄢郢之地。於是王乃使召莊辛至於趙。辛至,王曰:「嘻!先生來邪!寡人以不用先生言至於此,為之柰何?」莊辛曰:「君王用辛言則可,不用辛言又將甚乎!此庶人有稱曰:『亡羊而固牢未為遲,見兎而呼狗未為晩湯武以百里王,桀紂以天下亡,今楚雖小,絶長繼短,以千里數,豈特百里哉!且君王獨不見夫青蛉乎?六足四翼,蜚翔乎天地之間,求蚊虻而食之,時甘露而飲之,自以為無患,與民無争也。不知五尺之童子,膠絲竿,加之乎四仞之上,而下為蟲蛾食巳。」
新字:荘辛諫楚襄王曰:「君王左州侯,右夏侯,従新安君与寿陵君同軒,淫衍侈靡而忘国政,郢其危矣。」王曰:「先生老惽歟?妄為楚国妖歟?」荘辛対曰:「臣非敢為楚妖,誠見之也。君王卒近此四子者,則楚必亡矣!辛請留於趙以観之。」於是不出十月,王果亡巫山江漢鄢郢之地。於是王乃使召荘辛至於趙。辛至,王曰:「嘻!先生来邪!寡人以不用先生言至於此,為之柰何?」荘辛曰:「君王用辛言則可,不用辛言又将甚乎!此庶人有称曰:『亡羊而固牢未為遅,見兎而呼狗未為晩湯武以百里王,桀紂以天下亡,今楚雖小,絶長継短,以千里数,豈特百里哉!且君王独不見夫青蛉乎?六足四翼,蜚翔乎天地之間,求蚊虻而食之,時甘露而飲之,自以為無患,与民無争也。不知五尺之童子,膠糸竿,加之乎四仞之上,而下為虫蛾食巳。」
書き下し
莊辛楚の襄王に諫めて曰く、君王左に州侯、右に夏侯、新安君と壽陵君とを從えて軒を同じくし、淫衍侈靡にして國政を忘る。郢其れ危うし、と。王曰く、先生老いて惽めるか。妄りに楚國の爲に妖を爲すか、と。莊辛對えて曰く、臣敢えて楚の爲に妖を爲すに非ず。誠に之を見ればなり。君王卒に此の四子なる者に近づかば、則ち楚必ず亡びん。辛請う趙に留まりて以て之を觀ん、と。是に於いて十月を出でずして、王果たして巫山・江漢・鄢郢の地を亡う。是に於いて王乃ち使いをして莊辛を趙に召さしむ。辛至る。王曰く、嘻、先生來たれるか。寡人先生の言を用いざるを以て此に至れり。之を爲すこと柰何、と。莊辛曰く、君王辛の言を用いば則ち可なり。辛の言を用いずんば又た將に甚だしからんとす。此れ庶人に稱すること有りて曰く、羊を亡いて牢を固くするも未だ遲しと爲さず、兎を見て狗を呼ぶも未だ晩しと爲さず、と。湯武は百里を以て王たり、桀紂は天下を以て亡ぶ。今楚は小なりと雖も、長を絶ちて短を繼がば、千里を以て數う。豈に特だ百里ならんや。且つ君王獨り夫の青蛉を見ざるか。六足四翼、天地の間に蜚翔し、蚊虻を求めて之を食らい、甘露に時して之を飲む。自ら以爲えらく患い無く、民と爭う無しと。知らず、五尺の童子、絲を膠して竿し、之を四仞の上に加え、而して下りて蟲蛾の食と爲るを、と。
現代語訳
荘辛が楚の襄王に諫めて言った。「君王は左に州侯、右に夏侯、新安君と寿陵君を従えて同じ車に乗り、放埒に贅を尽くして国政を忘れておられます。郢は危うございます」。王は言った。「先生は老いてぼけたのか。みだりに楚国のために不吉なことを言うのか」。荘辛は答えた。「臣はあえて楚のために不吉なことを言うのではありません。まことにそれが見えるからです。君王が最後までこの四人に近づかれるなら、楚は必ず滅びます。辛はどうか趙にとどまって、それを見させていただきたい」。そこで十か月とたたないうちに、王は案の定、巫山・江漢・鄢郢の地を失った。そこで王は使者をやって荘辛を趙から召した。辛が着いた。王は言った。「ああ、先生が来られたか。私は先生の言葉を用いなかったためにここまで来てしまった。どうすればよいか」。荘辛は言った。「君王が辛の言を用いられるならまだよろしい。辛の言を用いられないなら、さらにひどくなりましょう。庶民の言葉にこうあります。『羊が逃げてから囲いを固めても遅くはない。兎を見てから犬を呼んでも遅くはない』と。湯王・武王は百里の地から王となり、桀・紂は天下を持ちながら滅びました。いま楚は小さいとはいえ、長いところを切って短いところに継げば、千里の数になります。どうしてただの百里でしょうか。そのうえ君王は、あのとんぼをご覧になったことがありませんか。六本の足に四枚の羽で、天地の間を飛び回り、蚊やあぶを求めて食い、甘露を待って飲む。自分では憂いがなく、人と争うこともないと思っています。ところが知らないのです。五尺の子どもが、糸に膠を付けて竿にし、それを四仞の高さに差し出して、落ちて虫や蛾の餌になることを」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『春秋左氏伝』僖公十五年 韓原の戦い壬戌、韓原に戰ふ。晉の戎馬濘に還りて止まる。公慶鄭を號ぶ。慶鄭曰く、「諫に愎り卜に違ふ、固より敗を是れ求む、又何ぞ逃れん」と。遂に之を去る。梁由靡韓簡を御し、虢射右と為り、秦伯を輅へ、將に之を止めんとす。鄭公を救ふを以て之を誤らしめ、遂に秦伯を失ふ。秦晉侯を獲て以て歸る。晉の大夫首を反し舍を拔きて、之に從ふ。秦伯使ひして辭せしめて曰く、「二三子何ぞ其れ慼へるや。寡人の君に從ひて西するや、亦た晉の妖夢を是れ踐むのみ、豈に敢へて以て至らんや」と。晉の大夫三拜稽首して曰く、「君は后土を履みて皇天を戴く。皇天后土、實に君の言を聞く、群臣敢へて下風に在らん」と。穆姬晉侯の將に至らんとするを聞き、大子罃・弘と女簡・璧とを以て、臺に登りて薪を履む。免服衰絰を以て逆へしめ、且つ告げしめて曰く、「上天災を降し、我が兩君をして玉帛を以て相見えずして、戎を興すを以てせしむ。若し晉君朝に以て入らば、則ち婢子夕べに以て死せん。夕べに以て入らば、則ち朝に以て死せん。唯だ君之を裁け」と。乃ち諸を靈臺に舍らしむ。
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葉隠・聞書第一諫言(かんげん)の道に、我(われ)其の位(くらい)にあらずば、其の位の人に言はせて、御誤(おあやまり)直(なお)る様にするが大忠(たいちゅう)なり。此の階(かい)の為に諸人(しょにん)と懇意(こんい)する所なり。我が為にすれば追従(ついしょう)なり。一方(いっぽう)は我等(われら)荷(にな)ひ申す心入(こころいれ)からなり。成程(なるほど)なるものなり。
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史記 宋微子世家微子開は、殷の帝乙の首子にして帝紂の庶兄なり。紂既に立ち、明らかならず、政に淫乱す。微子数々諫むるも、紂聴かず。祖伊周の西伯昌の徳を修め、黎国を滅ぼすを以て、禍の至らんことを懼れ、以て紂に告ぐるに及ぶ。紂曰く、「我が生は命天に在る有らずや。是れ何をか能く為さん」と。是に於て微子、紂の終に諫むべからざるを度り、之に死せんと欲し、及び去らんとするも、未だ自ら決すること能はず。乃ち太師・少師に問ひて曰く、「殷は治政有らず、四方を治めず。我が祖遂に上に陳ぶ。紂酒に沈湎し、婦人是れ用ひ、湯の徳を下に乱敗す。殷既に小大好んで草窃姦宄し、卿士師師度に非ず、皆罪辜有り、乃ち維れ獲ること无し。小民乃ち并び興り、相敵讎と為る。今殷其れ典喪へり。水を渉るに津涯无きが若し。殷遂に喪ひ、越に今に至る」と。曰く、「太師、少師、我其れ発して出で往かんか。吾が家喪に保たんか。今女故无くして予に告ぐ。顛躋(てんせい)せば、之を如何せん」と。太師若(かく)のごとく曰く、「王子、天篤く菑(わざはひ)を下して殷国を亡ぼす。乃ち畏るべきを畏れず、老長を用ひず。今殷の民乃ち神祇の祀を陋淫す。今誠に国を治むるを得ば、国治まりて身死すとも恨みず。死を為して、終に治むるを得ずんば、去るに如かず」と。遂に亡ぐ。箕子は、紂の親戚なり。紂始めて象箸を為る。箕子嘆じて曰く、「彼象箸を為らば、必ず玉桮を為らん。桮を為らば、則ち必ず遠方の珍怪の物を思ひて之を御せん。輿馬宮室の漸、此より始まり、振ふべからず」と。紂淫泆を為す。箕子諫むるも、聴かず。人或いは曰く、「以て去るべし」と。箕子曰く、「人臣為りて諫めて聴かれずして去るは、是れ君の悪を彰らかにして自ら民に説(よろこ)ばるるなり。吾為すに忍びざるなり」と。乃ち髪を被り詳狂して奴と為る。遂に隠れて琴を鼓きて以て自ら悲しむ。故に之を伝へて箕子操と曰ふ。王子比干は、亦た紂の親戚なり。
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史記 季布欒布列伝中郎将と為る。単于嘗て書を為りて呂后を嫚り、不遜なり、呂后大いに怒り、諸将を召して之を議す。上将軍樊噲曰く「臣願はくは十万の衆を得て、匈奴の中に横行せん」と。諸将皆呂后の意に阿り、「然り」と曰ふ。季布曰く「樊噲斬るべきなり。夫れ高帝兵四十余万の衆を将ゐて、平城に困しむ、今噲柰何ぞ十万の衆を以て匈奴の中に横行せんとするは、面欺なり。且つ秦胡に事とするを以て、陳勝等起こる。今に于て創痍未だ瘳えず、噲又面諛し、天下を揺動せんと欲す」と。是の時殿上皆恐れ、太后朝を罷め、遂に復た匈奴を撃つ事を議せず。
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史記 楽書上は朝廷より、下は人民に至るまで、以て歓喜を接し、殷勤を合するを得、此の和説に非ずんば通ぜず、解沢流れず、亦各々一世の化、時を度るの楽なり、何ぞ必ずしも華山の騄耳にして而る後に遠きを行かんや」と。二世之を然りとす。高祖、沛を過りて三侯の章を詩し、小児をして之を歌はしむ。高祖崩じ、沛をして四時に宗廟に歌舞するを得しむ。孝恵・孝文・孝景は増更する所無く、楽府に於いて常を習ひ旧を肄ふのみ。今上即位するに至り、十九章を作り、侍中李延年をして其の声を次序せしめ、拝して協律都尉と為す。一経に通ずるの士も独り其の辞を知る能はず、皆五経の家を集会し、相与に共に講習して之を読み、乃ち能く其の意を通知す、多く爾雅の文なり。漢家常に正月上辛を以て太一を甘泉に祠り、昏時を以て夜祠り、明に到りて終はる。常に流星の祠壇の上を経る有り。僮男僮女七十人をして俱に歌はしむ。春は青陽を歌ひ、夏は朱明を歌ひ、秋は西暤を歌ひ、冬は玄冥を歌ふ。世に多く有り、故に論ぜず。又嘗て神馬を渥洼の水中に得て、復た次して以て太一の歌と為す。歌曲に曰く、「太一貢ぎて天馬下る、赤汗に霑ひて沫赭を流す。騁せて容与として万里を跇ゆ、今安んぞ匹せん、龍を友と為す」と。後に大宛を伐ちて千里の馬を得、馬の名は蒲梢、次して作りて以て歌と為す。歌詩に曰く、「天馬来たる、西極よりす。万里を経て有徳に帰す。霊威を承けて外国を降し、流沙を渉りて四夷服す」と。中尉汲黯進みて曰く、「凡そ王者の楽を作るは、上は以て祖宗を承け、下は以て兆民を化す。今陛下馬を得て、詩して以て歌と為し、宗廟に協す、先帝百姓豈に能く其の音を知らんや」と。上黙然として説ばず。丞相公孫弘曰く、「黯は聖制を誹謗す、当に族すべし」と。凡そ音の起こるは、人心より生ずるなり。人心の動くは、物之をして然らしむるなり。
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『十善法語』巻第十・不邪見戒之上又喩ヘテ云ハ。賢君明主ハ忠臣ヲ信任シ。諫言ヲ用ル如クシヤ。漢ノ高祖カ諫ニ従フコト流ノ如ク。唐ノ太宗ノ魏徴カ苦諫ノ言ヲ用ヒアリシ類。ソノ如ク。正法ノ因縁アル者ハ必ス不邪見戒ニ随順スルシヤ。此ニ反シテ宿福ナキ者ハ。智者モ愚者モ。学者モ不学者モ仏アルコトヲ信セヌ。法アルコトヲ信セヌ。聖賢アルコトヲ信セヌ。神祇有コトヲ信セヌ。善悪報応有コトヲ信セヌシヤ。

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