新序 / 雜事第五
齊有閭丘卭年十八,道遮宣王曰:「家貧親老,願得小仕。」宣王曰:「子年尚稚,未可也。」閭丘卭對曰:「不然,昔有顓頊行年十二而治天下,秦項槖七嵗為聖人師,由此觀之,卭不肖耳,年不稚矣。」宣王曰:「未有咫角驂駒而能服重致逺者也,由此觀之,夫士亦華髪墮顛而後可用耳。」閭丘卭曰:「不然。夫尺有所短,寸有所長,驊騮緑驥,天下之俊馬也,使之與貍鼬試於釡竈之間,其疾未必能過貍鼬也;黄鵠白鶴,一舉千里,使之與燕服翼,試之堂廡之下,廬室之間,其便未必能過燕服翼也。辟閭巨闕,天下之利器也,擊石不缺,刺石不銼,使之與管槀决目出眯,其便未必能過管槀也,由此觀之,華髪墮顛與卭何以異哉?」宣王曰:「善。子有善言,何見寡人之晩也?」卭對曰:「夫雞豚讙嗷,即奪鐘鼔之音;雲霞充咽則奪日月之明,讒人在側,是以見晚也。詩曰:『聽言則對,譖言則退。』庸得進乎?」宣王拊軾曰:「寡人有過。」遂載與之俱歸而用焉。故孔子曰:「後生可畏,安知來者之不如今?」此之謂也。
新字:斉有閭丘卭年十八,道遮宣王曰:「家貧親老,願得小仕。」宣王曰:「子年尚稚,未可也。」閭丘卭対曰:「不然,昔有顓頊行年十二而治天下,秦項槖七歳為聖人師,由此観之,卭不肖耳,年不稚矣。」宣王曰:「未有咫角驂駒而能服重致遠者也,由此観之,夫士亦華髪堕顛而後可用耳。」閭丘卭曰:「不然。夫尺有所短,寸有所長,驊騮緑驥,天下之俊馬也,使之与貍鼬試於釡竈之間,其疾未必能過貍鼬也;黄鵠白鶴,一舉千里,使之与燕服翼,試之堂廡之下,廬室之間,其便未必能過燕服翼也。辟閭巨闕,天下之利器也,擊石不欠,刺石不銼,使之与管槀決目出眯,其便未必能過管槀也,由此観之,華髪堕顛与卭何以異哉?」宣王曰:「善。子有善言,何見寡人之晩也?」卭対曰:「夫雞豚讙嗷,即奪鐘鼔之音;雲霞充咽則奪日月之明,讒人在側,是以見晩也。詩曰:『聴言則対,譖言則退。』庸得進乎?」宣王拊軾曰:「寡人有過。」遂載与之倶帰而用焉。故孔子曰:「後生可畏,安知来者之不如今?」此之謂也。
書き下し
齊に閭丘卭なる者有り、年十八。道に宣王を遮りて曰く、家貧しく親老いたり。願わくは小仕を得ん、と。宣王曰く、子は年尚お稚し。未だ可ならざるなり、と。閭丘卭對えて曰く、然らず。昔顓頊有り、行年十二にして天下を治む。秦の項槖は七歲にして聖人の師と爲る。此に由りて之を觀れば、卭は不肖なるのみ。年は稚からざるなり、と。宣王曰く、未だ咫角の驂駒にして能く重きに服し遠きを致す者有らざるなり。此に由りて之を觀れば、夫れ士も亦た華髮墮顛にして後に用う可きのみ、と。閭丘卭曰く、然らず。夫れ尺にも短き所有り、寸にも長き所有り。驊騮・緑驥は、天下の俊馬なり。之をして貍鼬と釜竈の間に試みしめば、其の疾きこと未だ必ずしも貍鼬に過ぐる能わざるなり。黄鵠・白鶴は、一擧千里なり。之をして燕・服翼と、之を堂廡の下、廬室の間に試みしめば、其の便なること未だ必ずしも燕・服翼に過ぐる能わざるなり。辟閭・巨闕は、天下の利器なり。石を擊ちて缺けず、石を刺して銼れず。之をして管槀と目を決き眯を出だすことを爲さしめば、其の便なること未だ必ずしも管槀に過ぐる能わざるなり。此に由りて之を觀れば、華髮墮顛と卭と何を以て異ならんや、と。宣王曰く、善し。子に善言有り。何ぞ寡人に見ゆることの晩きや、と。卭對えて曰く、夫れ雞豚讙嗷すれば、即ち鐘鼓の音を奪う。雲霞充咽すれば則ち日月の明を奪う。讒人側に在り。是を以て見ゆること晩きなり。詩に曰く、言を聽けば則ち對え、譖言なれば則ち退く、と。庸ぞ進むを得んや、と。宣王軾を拊ちて曰く、寡人過ち有り、と。遂に載せて之と俱に歸りて用う。故に孔子曰く、後生畏る可し。安んぞ來者の今に如かざるを知らんや、と。此の謂いなり。
現代語訳
斉に閭丘卭という者がいて、年は十八であった。道で宣王を遮って言った。「家は貧しく親は老いております。どうか小さな官職をいただきたい」。宣王は言った。「そなたは年がまだ幼い。まだよろしくない」。閭丘卭は答えた。「そうではありません。昔、顓頊は年十二で天下を治めました。秦の項槖は七歳で聖人の師となりました。ここから見れば、卭が至らないだけで、年が幼いのではありません」。宣王は言った。「角が少し出たばかりの子馬で、重い荷を負って遠くまで行けるものはない。ここから見れば、士もまた白髪になり頭が禿げてから用いるべきものだ」。閭丘卭は言った。「そうではありません。そもそも一尺にも短いところがあり、一寸にも長いところがあります。驊騮や緑驥は、天下の駿馬です。これを狸やいたちと竈のあいだで競わせれば、その速さは必ずしも狸やいたちにまさりません。黄鵠や白鶴は、ひと飛びで千里です。これを燕やこうもりと、堂の軒下や小屋のあいだで競わせれば、その身軽さは必ずしも燕やこうもりにまさりません。辟閭や巨闕は、天下の鋭い刃物です。石を打っても欠けず、石を刺しても鈍りません。これを細い茎と、目をこじあけてごみを取り出すことで競わせれば、その使いよさは必ずしも細い茎にまさりません。ここから見れば、白髪で頭の禿げた者と卭と、どこが違いましょう」。宣王は言った。「もっともだ。そなたにはよい言葉がある。どうして私に会うのがこんなに遅かったのか」。卭は答えた。「そもそも鶏や豚が騒げば、鐘や太鼓の音をかき消します。雲や霞が立ちこめれば、日月の明るさを奪います。讒言する者がそばにおります。だからお目にかかるのが遅くなったのです。『詩経』に『まっとうな言葉は聞き入れ、讒言は退ける』とあります。どうして進み出られましょう」。宣王は車の横木を打って言った。「私に過ちがあった」。そこで車に乗せてともに帰り、用いた。だから孔子は言った。「後から生まれる者は畏るべきだ。これから来る者が今の者に及ばないと、どうして分かろうか」。これのことである。
解説
この章句が説くこと
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『新序』雜事第五昔者、楚丘先生行年七十、裘を披り索を帶し、往きて孟嘗君に見ゆ。趨らんと欲するも進む能わず。孟嘗君曰く、先生老いたり。春秋高し。何を以て之を教えん、と。楚丘先生曰く、噫、將た我をして老いしめんか。噫、將た我をして車を追いて馬に赴かしめんか。石を投じて距を超えしめんか。麋鹿を逐いて豹虎を搏たしめんか。吾已に死せり。何ぞ老ゆるに暇あらんや。噫、將た我をして正辭を出だして諸侯に當たらしめんか。嫌疑を決して猶豫を定めしめんか。吾始めて壯なり。何の老ゆること之れ有らん、と。孟嘗君逡巡して席を避け、面に愧色有り。詩に曰く、老夫は灌灌たり、小子は蹻蹻たり、と。老夫は其の謀を盡くさんと欲するも、少き者驕りて受けざるを言うなり。秦の穆公の其の師を敗る所以、殷紂の天下を亡う所以なり。故に書に曰く、黄髮の言は、則ち愆つ所無し、と。詩に曰く、壽ぞ胥に與に試みん、と。老人の言を用いて以て國を安んずるを美とするなり。
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説苑・善說齊の宣王社山に出獵す。社山の父老十三人相與に王を勞う。王曰く、「父老苦しめり。」左右に謂いて父老に田租を賜わずして、父老皆拜す。閭丘先生拜せず。王曰く、「父老以て少しと爲すか。」左右に謂いて復た父老に徭役無きを賜う。父老皆拜す。閭丘先生又た拜せず。王曰く、「拜する者は去れ、拜せざる者は前め。」曰く、「寡人今父老の幸いにして之を勞うるを觀て、故に父老に田租無きを賜い、父老皆拜す。先生獨り拜せず。寡人自ら少しと爲すを以て、故に父老に徭役無きを賜い、父老皆拜す。先生又た獨り拜せず。寡人過ち有ること無きを得んか。」閭丘先生對えて曰く、「惟だ大王の來遊すと聞き、大王を勞う所以なり。大王に壽を得んことを望み、大王に富を得んことを望み、大王に貴を得んことを望むなり。」王曰く、「天の殺生時有り、寡人の與り得る所に非ず、以て先生を壽せしむる無し。倉廩實つと雖も、以て災害に備う、以て先生を富ましむる無し。大官缺くる無く、小官卑賤なり、以て先生を貴くする無し。」閭丘先生對えて曰く、「此れ人臣の敢えて望む所に非ざるなり。願わくは大王良富の家の子、修行有る者を選びて以て吏と爲し、其の法度を平らかにせよ。此くの如くんば臣少しく以て壽を得べし。春秋冬夏、之を振うに時を以てし、百姓を煩擾する無かれ。是くの如くんば臣少しく以て富を得べし。願わくは大王令を出だし、少き者をして長を敬わしめ、長ずる者をして老を敬わしめよ。是くの如くんば臣少しく以て貴を得べし。今大王幸いに臣に田租無きを賜えば、然らば則ち倉廩將に虛しからんとす。臣に徭役無きを賜えば、然らば則ち官府使う無からん。此れ固より人臣の敢えて望む所に非ざるなり。」齊王曰く、「善し。願わくは先生を請いて相と爲さん。」
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説苑・雜言孔子、陳・蔡の間に困しみ、環堵の内に居り、三経の席を席とし、七日食らわず、藜羹に糝せず、弟子皆饑色有れども、詩書を読み礼を治めて休まず。子路進み諫めて曰く、「凡そ人の善を為す者は天福を以て報い、不善を為す者は天禍を以て報ゆ。今先生徳行を積み、善を為すこと久し。意うに尚お遺行有るか。奚ぞ居ること隠るるや」と。孔子曰く、「由よ、来たれ、汝知らざるなり。坐せよ、吾汝に語らん。子は夫の知者を以て知らざる無しと為すか。則ち王子比干は何為れぞ心を剖かれて死せる。諫むる者を以て必ず聴かると為すか。伍子胥は何為れぞ目を呉の東門に抉らる。子は廉なる者を以て必ず用いらると為すか。伯夷・叔齊は何為れぞ首陽山の下に餓死せる。子は忠なる者を以て必ず用いらると為すか。則ち鮑莊は何為れぞ肉枯る。荊の公子高は終身顕れず、鮑焦は木を抱きて立ちながら枯れ、介子推は山に登りて焚かれて死す。故に夫れ君子の博学深謀にして時に遇わざる者衆し、豈に独り丘のみならんや。賢と不肖とは才なり、為すと為さざるとは人なり、遇うと遇わざるとは時なり、死生は命なり。其の才有りて其の時に遇わざれば、才有りと雖も用いられず。苟くも其の時に遇わば、何の難きことか之れ有らん。故に舜は歴山を耕して河畔に逃れしも、立ちて天子と為れるは、則ち其の堯に遇えばなり。傅說は壌土を負い板築を釈きしも、立ちて天子を佐けしは、則ち其の武丁に遇えばなり。伊尹は有莘氏の媵臣なりしも、鼎俎を負い五味を調して天子を佐けしは、則ち其の成湯に遇えばなり。呂望は行年五十にして棘津に食を売り、行年七十にして牛を朝歌に屠り、行年九十にして天子の師と為りしは、則ち其の文王に遇えばなり。管夷吾は束縛せられ目を膠がれ、檻車の中に居りしも、車中より起ちて仲父と為りしは、則ち其の齊桓公に遇えばなり。百里奚は自ら売りて五羊の皮を取り、伯氏羊を牧わしめしも、以て卿大夫と為りしは、則ち其の秦穆公に遇えばなり。沈尹は名天下に聞こえ、以て令尹と為すべきも、孫叔敖に讓りしは、則ち其の楚莊王に遇えばなり。伍子胥は前に功多く、後に戮死せしは、其の智の益々衰えたるに非ず、前には闔廬に遇い、後には夫差に遇えばなり。夫れ驥の鹽車に厄しむは、驥の状無きに非ず、夫れ世能く知る莫ければなり。驥をして王良・造父を得しめば、驥に千里の足無からんや。芝蘭は深林に生ずるも、人無きが為に香らざるに非ず。故に学ぶ者は通ぜんが為に非ず、窮しても困しまざらんが為なり、憂えても衰えざらんが為なり。此れ禍福の始めを知りて心惑わざるなり、聖人の深く念いて独り知り独り見る所なり。舜も亦賢聖なるも、南面して天下を治めしは、唯だ其の堯に遇えばなり。舜をして桀紂の世に居らしめば、能く自ら刑戮を免るるは固に可なるも、又何の官か治むるを得ん。夫れ桀は関龍逄を殺し、紂は王子比干を殺す。是の時に当たりて、豈に関龍逄知無く、比干惠無からんや。此れ桀紂無道の世の然らしむるなり。故に君子は学を疾しみ身を修め行いを端して、以て其の時を須つなり」と。
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『新序』雜事第一晉の大夫祁奚老ゆ。晉君問いて曰く、孰か嗣がしむ可き、と。祁奚對えて曰く、解狐可なり、と。君曰く、子の讐に非ずや、と。對えて曰く、君は可を問えるにして、讐を問えるに非ざるなり、と。晉遂に解狐を舉ぐ。後に又た問う、孰か以て國尉と爲す可き、と。祁奚對えて曰く、午や可なり、と。君曰く、子の子に非ずや、と。對えて曰く、君は可を問えるにして、子を問えるに非ざるなり、と。君子祁奚を能く善を舉ぐと謂えり。其の讐を稱するは謟と爲さず、其の子を立つるは比と爲さず。書に曰く、偏せず黨せざれば、王道蕩蕩たり、と。祁奚の謂いなり。外に舉げて仇讐を避けず、内に舉げて親戚を回らざるは、至公と謂う可し。唯だ善なり、故に能く其の類を舉ぐ。詩に曰く、唯だ其れ之れ有り、是を以て之に似たり、と。祁奚焉れ有り。
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『新序』雜事第五寗戚齊の桓公に干めんと欲す。窮困して以て自ら進む無し。是に於いて商旅と爲り、車を賃して以て齊に適き、暮に郭門の外に宿す。桓公郊に客を迎え、夜門を開く。車を賃する者を辟け、火を執ること甚だ盛んに、從者甚だ衆し。寗戚牛に車下に飯し、桓公を望みて悲しみ、牛角を撃ちて商歌を疾くす。桓公之を聞き、其の僕の手を執りて曰く、異なるかな、此の歌う者は常人に非ざるなり、と。後車をして之を載せしむ。桓公反り至る。從者以て請う。桓公曰く、之に衣冠を賜え。將に之に見えんとす、と。寗戚見え、桓公に説くに境内を合わすを以てす。明日復た見え、桓公に説くに天下を爲むるを以てす。桓公大いに説び、將に之に任ぜんとす。羣臣之を爭いて曰く、客は衞人なり。齊を去ること五百里、遠からず。人をして之を問わしむるに如かず。固より賢人ならば、之に任ずるも未だ晩からざるなり、と。桓公曰く、然らず。之を問わば、其の小惡有らんことを恐る。其の小惡を以て、人の大美を忘る。此れ人主の天下の士を失う所以なり。且つ人固より全くし難し。權りて其の長ずる者を用う、と。遂に舉げて大いに之を用い、之に授くるに以て卿と爲す。此の舉に當たりて、桓公之を得たり。霸たる所以なり。
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説苑・臣術子貢、孔子に問いて曰く、「今の人臣孰か賢と為す」と。孔子曰く、「吾未だ識らざるなり、往者斉に鮑叔有り、鄭に子皮有り、賢者なり」と。子貢曰く、「然らば則ち斉に筦仲無く、鄭に子産無きか」と。子曰く、「賜、汝徒だ其の一を知りて、其の二を知らず。汝進賢を賢と為すを聞くか、力を用うるを賢と為すを聞くか」と。子貢曰く、「進賢を賢と為すか」と。子曰く、「然り、吾鮑叔の筦仲を進むるを聞き、子皮の子産を進むるを聞く、未だ筦仲子産の進むる所有るを聞かざるなり」と。魏の文侯且に相を置かんとし、李克を召して問いて曰く、「寡人将に相を置かんとす、季成子と翟触とに置かん、我孰にか置きて可ならん」と。李克曰く、「臣之を聞く、賤は貴を謀らず、外は内を謀らず、疏は親を謀らず、臣は疏賤なり、敢えて命を聞かず」と。文侯曰く、「此れ国事なり、願わくは先生と与に事に臨みて辞する勿かれ」と。李克曰く、「君察せざるが故なり、知るべきなり。貴は其の挙ぐる所を視、富は其の与うる所を視、貧は其の取らざる所を視、窮は其の為さざる所を視る。此に由りて之を観れば、知るべきなり」と。文侯曰く、「先生出でよ、寡人の相定まれり」と。李克出で、翟黄を過ぐ。翟黄問いて曰く、「吾君相を先生に問うと聞く、未だ知らず果たして孰をか相と為すか」と。李克曰く、「季成子相と為る」と。翟黄色を作して説ばずして曰く、「触先生に失望す」と。李克曰く、「子何ぞ遽かに我に失望するや、我子の君に於けるや、豈に我と比周して大官を求めんや。君相を我に問い、臣対えて曰く、『君察せざるが故なり、貴は其の挙ぐる所を視、富は其の与うる所を視、貧は其の取らざる所を視、窮は其の為さざる所を視る、此に由りて之を観れば知るべきなり』と。君曰く『出でよ、寡人の相定まれり』と。是を以て季成子相と為るを知る」と。翟黄説ばずして曰く、「触何ぞ遽かに相と為らざるや。西河の守は触の任ずる所なり。計事内史は触の任ずる所なり。王中山を攻めんと欲す、吾楽羊を進む。之を治むる臣使わす無くば、吾先生を進む。其の子を傅くる使わす無くば、吾屈侯附を進む。触何ぞ季成子に負けんや」と。李克曰く、「季成子に如かず。季成子采千鐘を食み、什九外に居りて一中に居り、是を以て東のかた卜子夏・田子方・段干木を得たり、彼其の挙ぐる所は人主の師なり。子の挙ぐる所は人臣の才なり」と。翟黄方然として慚じて曰く、「触先生に失対す、請う自ら修めて、然る後に学ばん」と。言未だ卒わらずして、左右季成子立ちて相と為れりと言う。是に於いて翟黄默然として色を変じ内に慚じ、敢えて出でざること三月なり。