新序 / 節士第七
屈原者,名平,楚之同姓大夫。有博通之知,清潔之行,懷王用之。秦欲吞滅諸侯,并兼天下。屈原為楚東使於齊,以結强黨。秦國患之,使張儀之楚,貨楚貴臣上官大夫靳尚之屬,上及令尹子闌,司馬子椒;内賂夫人鄭袖,共譛屈原。屈原遂放於外,乃作離騷。張儀因使楚絶齊,許謝地六百里,懷王信左右之姦謀,聴張儀之邪說,遂絶强齊之大輔。楚既絶齊,而秦欺以六里。懷王大怒,舉兵伐秦,大戰者數,秦兵大敗楚師,斬首數萬級。秦使人願以漢中地謝懷王,不聽,願得張儀而甘心焉。張儀曰:「以一儀而易漢中地,何愛儀!」請行,遂至楚,楚囚之。上官大夫之屬共言之王,王歸之。是時懷王悔不用屈原之䇿,以至於此,於是復用屈原。
新字:屈原者,名平,楚之同姓大夫。有博通之知,清潔之行,懐王用之。秦欲呑滅諸侯,并兼天下。屈原為楚東使於斉,以結強党。秦国患之,使張儀之楚,貨楚貴臣上官大夫靳尚之属,上及令尹子闌,司馬子椒;内賂夫人鄭袖,共譛屈原。屈原遂放於外,乃作離騷。張儀因使楚絶斉,許謝地六百里,懐王信左右之姦謀,聴張儀之邪説,遂絶強斉之大輔。楚既絶斉,而秦欺以六里。懐王大怒,舉兵伐秦,大戦者数,秦兵大敗楚師,斬首数万級。秦使人願以漢中地謝懐王,不聴,願得張儀而甘心焉。張儀曰:「以一儀而易漢中地,何愛儀!」請行,遂至楚,楚囚之。上官大夫之属共言之王,王帰之。是時懐王悔不用屈原之策,以至於此,於是復用屈原。
書き下し
屈原なる者は、名は平、楚の同姓の大夫なり。博通の知、清潔の行有り。懷王之を用う。秦諸侯を吞滅し、天下を并兼せんと欲す。屈原楚の爲に東のかた齊に使いし、以て强黨を結ぶ。秦國之を患う。張儀をして楚に之かしめ、楚の貴臣上官大夫靳尚の屬に貨し、上は令尹子闌・司馬子椒に及ぶ。内には夫人鄭袖に賂い、共に屈原を譖す。屈原遂に外に放たる。乃ち離騷を作る。張儀因りて楚をして齊を絶たしむ。謝地六百里を許す。懷王左右の姦謀を信じ、張儀の邪說を聽き、遂に强齊の大輔を絶つ。楚既に齊を絶つ。而して秦は欺くに六里を以てす。懷王大いに怒り、兵を舉げて秦を伐つ。大戰すること數ミ。秦兵大いに楚師を敗り、首を斬ること數萬級。秦人をして漢中の地を以て懷王に謝せんことを願わしむ。聽かず、張儀を得て心に甘んぜんことを願う。張儀曰く、一儀を以て漢中の地に易う。何ぞ儀を愛しまんや、と。行かんことを請い、遂に楚に至る。楚之を囚う。上官大夫の屬共に之を王に言う。王之を歸す。是の時懷王屈原の策を用いずして、以て此に至れるを悔ゆ。是に於いて復た屈原を用う。
現代語訳
屈原という人は、名は平、楚の王と同姓の大夫である。広く通じた知と、清らかな行いがあった。懐王はこれを用いた。秦は諸侯を呑み込み、天下を併合しようとしていた。屈原は楚のために東の斉に使いし、強い味方と結んだ。秦の国はこれを憂えた。張儀を楚に行かせ、楚の重臣である上官大夫の靳尚らに賄賂を贈り、上は令尹の子蘭、司馬の子椒にまで及んだ。内には夫人の鄭袖に賄賂し、ともに屈原を讒言した。屈原はそのまま外に放たれた。そこで「離騒」を作った。張儀はそこで楚に斉と断交させた。詫びの土地六百里を約束した。懐王は側近の悪だくみを信じ、張儀の邪な説を聞いて、そのまま強い斉という大きな支えを断った。楚が斉と断交すると、秦は六里だといって欺いた。懐王は大いに怒り、兵を挙げて秦を伐った。何度も大きく戦った。秦の兵は楚の軍を大いに破り、首を斬ること数万。秦は人をやって漢中の地をもって懐王に詫びたいと願った。聞き入れず、張儀を手に入れて気を晴らしたいと願った。張儀は言った。「儀ひとりで漢中の地と換えるのだ。どうして儀を惜しもうか」。行くことを願い出て、そのまま楚に至った。楚はこれを捕らえた。上官大夫らがそろってこれを王に取りなした。王はこれを帰した。このとき懐王は屈原の策を用いずにこうなったことを悔いた。そこでふたたび屈原を用いた。
解説
この章句が説くこと
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