新序 / 善謀第十
漢五年,追擊項王陽夏南,止軍,與淮隂侯韓信,建成侯彭越期會而擊楚軍,至固陵不會,楚擊漢軍,大破之。漢王復入壁,深塹而守之,謂張子房曰:「諸侯不從約,奈何?」對曰:「楚兵且破,而未有分地,其不至固冝,君王能與共天下,今可立致也;則不能,事未可知也。君王能自陳以東傅海盡與韓信,睢陽以北至榖城盡與彭越,使各自為戰,則楚易敗也。」漢王乃使使者告韓信、彭越曰:「并力擊楚,楚已破,自陳以東傅海與齊王,睢陽以北糓城與彭相國。」使者至,韓信、彭越皆喜,報曰:「請今進兵。」韓信乃從齊行,彭越兵自梁至,諸侯來會,遂破楚軍于垓下,追項王,誅之於淮津,二君之功,張子房之謀也。
新字:漢五年,追撃項王陽夏南,止軍,与淮陰侯韓信,建成侯彭越期会而撃楚軍,至固陵不会,楚撃漢軍,大破之。漢王復入壁,深塹而守之,謂張子房曰:「諸侯不従約,奈何?」対曰:「楚兵且破,而未有分地,其不至固冝,君王能与共天下,今可立致也;則不能,事未可知也。君王能自陳以東傅海尽与韓信,睢陽以北至穀城尽与彭越,使各自為戦,則楚易敗也。」漢王乃使使者告韓信、彭越曰:「并力撃楚,楚已破,自陳以東傅海与斉王,睢陽以北糓城与彭相国。」使者至,韓信、彭越皆喜,報曰:「請今進兵。」韓信乃従斉行,彭越兵自梁至,諸侯来会,遂破楚軍于垓下,追項王,誅之於淮津,二君之功,張子房之謀也。
書き下し
漢の五年、項王を陽夏の南に追擊し、軍を止む。淮陰侯韓信・建成侯彭越と期會して楚軍を擊たんとす。固陵に至るも會せず。楚漢軍を擊ち、大いに之を破る。漢王復た壁に入り、深く塹して之を守る。張子房に謂いて曰く、諸侯約に從わず。奈何せん、と。對えて曰く、楚兵且に破れんとす。而して未だ分地有らず。其の至らざるは固より宜なり。君王能く與に天下を共にせば、今立ちどころに致す可きなり。則ち能わずんば、事未だ知る可からざるなり。君王能く自ら陳より以東海に傅うまで盡く韓信に與え、睢陽より以北穀城に至るまで盡く彭越に與え、各ミ自ら戰いを爲さしめば、則ち楚敗り易きなり、と。漢王乃ち使者をして韓信・彭越に吿げしめて曰く、力を并せて楚を擊て。楚已に破らば、陳より以東海に傅うまでを齊王に與え、睢陽より以北穀城までを彭相國に與えん、と。使者至る。韓信・彭越皆な喜び、報じて曰く、請う今兵を進めん、と。韓信乃ち齊より行き、彭越の兵梁より至る。諸侯來會す。遂に楚軍を垓下に破り、項王を追いて、之を淮津に誅す。二君の功は、張子房の謀なり。
現代語訳
漢の五年、項王を陽夏の南に追撃し、軍を止めた。淮陰侯の韓信、建成侯の彭越と日を約して落ち合い、楚の軍を撃とうとした。固陵に着いたが合流しなかった。楚が漢の軍を撃ち、大いにこれを破った。漢王はまた砦に入り、堀を深くして守った。張子房に言った。「諸侯が約束に従わない。どうする」。答えて言った。「楚の兵はいまにも破れます。ところがまだ分ける土地が決まっていません。彼らが来ないのはもっともです。君王が天下を共にできるなら、いますぐ呼べます。できないのなら、事の先は分かりません。君王が陳から東は海に至るまでをすべて韓信に与え、睢陽から北は穀城に至るまでをすべて彭越に与え、それぞれ自分の戦いとさせれば、楚は破りやすくなります」。漢王はそこで使者に韓信と彭越に告げさせた。「力を合わせて楚を撃て。楚を破ったら、陳から東は海に至るまでを斉王に与え、睢陽から北は穀城までを彭相国に与える」。使者が着いた。韓信と彭越はみな喜び、返答して言った。「ただちに兵を進めます」。韓信は斉から行き、彭越の兵は梁から至った。諸侯が集まった。そのまま楚の軍を垓下で破り、項王を追って、淮津で誅した。二人の功は、張子房の謀である。
解説
この章句が説くこと
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『長短経』覇図項王、解きて東す。漢王、西せんと欲す。張良曰く「今、漢は天下の大半を有ちて、諸侯皆な附く。楚兵は疲れ、食は尽く。此れ天の楚を亡ぼすの時なり。其の東するに因りて之を取るに如かず」と。漢王乃ち羽を追う。斉王韓信・魏相彭越と、期して会して楚を撃たんとするも、皆な会せず。張良の計を用い、信等皆な兵を進めて羽を垓下に囲み、遂に項氏を滅ぼす。〈漢王、張良に問いて曰く「諸侯従わず。奈何」と。良曰く「楚兵、且に破れんとするに、未だ分地有らず。其の至らざるは固より宜なり。君王、能く与に天下を共にせば、立ちどころに致す可きなり。斉王信の立つは、君王の意に非ず。信も亦た自ら堅からず。彭越は本と梁地を定む。始め君、魏豹の故を以て、越、相国と為るを拝するを得たり。今、豹死し、越も亦た王を望む。而るに君王、早く定めず。今、能く睢陽以北より穀城に至るを取りて、以て彭越を王とし、陳より以東海に傅うるを、斉王信に与えよ。信の家は楚に在り。其の意、復た故邑を得んと欲す。能く此の地を出捐して、以て両人に許し、各々自ら為に戦わしめば、則ち楚は破り易からん」と。是に於て漢王、使いを発し、韓信・彭越・劉賈等をして皆な兵を引きて羽を垓下に囲ましむ。〉
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史記 魏豹彭越列伝彭越は本梁の地を定め、功多し。始め君王魏豹の故を以て、彭越を拝して魏の相国と為す。今豹死して後毋く、且つ越も亦王たらんと欲す。而るに君王蚤く定めず。此の両国と約せよ。即し楚に勝たば、睢陽以北穀城に至るまでは、皆以て彭相国に王とし、陳より以東海に傅ふまでは、斉王信に与へよ。斉王信の家は楚に在り。此れ其の意復た故邑を得んと欲す。君王能く此の地を出捐して二人に許さば、二人今致すべし。即し能はずんば、事未だ知るべからざるなり」と。是に於て漢王乃ち使を発して彭越に使ひせしむること、留侯の策の如し。使者至る。彭越乃ち悉く兵を引きて垓下に会し、遂に楚を破る。(五年)項籍已に死す。春、
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史記 項羽本紀曰く、「此れ天下の辯士なり、居る所国を傾く、故に号して平国君と為す。」と。項王已に約し、乃ち兵を引きて解きて東帰す。漢西帰せんと欲す、張良・陳平説きて曰く、「漢天下の太半を有ち、而して諸侯皆之に附く。楚の兵罷れ食尽く、此れ天の楚を亡ぼすの時なり、其の機に因りて遂に之を取るに如かず。今釈きて撃たずんば、此れ所謂『虎を養ひて自ら患ひを遺す』なり。」と。漢王之を聴く。漢の五年、漢王乃ち項王を追ひて陽夏の南に至り、軍を止め、淮陰侯韓信・建成侯彭越と期会して楚の軍を撃たんとす。固陵に至り、而して信・越の兵会せず。楚漢の軍を撃ち、大いに之を破る。漢王復た壁に入り、塹を深くして自ら守る。張子房に謂ひて曰く、「諸侯約に従はず、之を為すこと柰何。」と。対へて曰く、「楚の兵且に破れんとす、信・越未だ分地有らず、其の至らざること固より宜なり。君王能く与に天下を共分せば、今立ちどころに致すべきなり。即し能はずんば、事未だ知るべからざるなり。君王能く陳より以東海に傅(つ)くまでを、尽く韓信に与へ、睢陽以北穀城に至るまでを、以て彭越に与へ、各々自ら戦ひを為さしめば、則ち楚敗り易きなり。」と。漢王曰く、「善し。」と。是に於て乃ち使者を発して韓信・彭越に告げて曰く、「力を并せて楚を撃て。楚破れば、陳より以東海に傅くまでを斉王に与へ、睢陽以北穀城に至るまでを彭相国に与へん。」と。使者至る、韓信・彭越皆報じて曰く、「請ふ今兵を進めん。」と。韓信乃ち斉より往き、劉賈の軍寿春より并行し、城父を屠りて、垓下に至る。大司馬周殷楚に叛き、舒を以て六を屠り、九江の兵を挙げ、劉賈・彭越に随ひて皆垓下に会し、項王に詣る。項王の軍垓下に壁す、兵少なく食尽く、漢の軍及び諸侯の兵之を囲むこと数重。夜漢の軍の四面皆楚歌するを聞き、項王乃ち大いに驚きて曰く、「漢皆已に楚を得たるか。是れ何ぞ楚人の多きや。」と。項王則ち夜起きて、帳中に飲む。
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史記 高祖本紀項王漢王の父母妻子を帰す、軍中皆万歳を呼ぶ、乃ち帰りて別れ去る。項羽解きて東帰す。漢王引きて西帰せんと欲す、留侯・陳平の計を用ゐ、乃ち兵を進めて項羽を追ひ、陽夏の南に至りて軍を止め、斉王信・建成侯彭越と期会して楚の軍を撃たんとす。固陵に至る、会せず。楚漢の軍を撃ち、大いに之を破る。漢王復た壁に入り、塹を深くして之を守る。張良の計を用ゐ、是に於て韓信・彭越皆往く。劉賈楚の地に入り、寿春を囲むに及び、漢王碧陵に敗れ、乃ち使者をして大司馬周殷を召さしめ九江の兵を挙げて(之)武王を迎へ、行くゆく城父を屠り、(何)劉賈・斉梁の諸侯に随ひて皆大いに垓下に会す。武王布を立てて淮南王と為す。五年、高祖諸侯の兵と共に楚の軍を撃ち、項羽と勝ちを垓下に決す。淮陰侯三十万を将ゐて自ら之に当たり、孔将軍左に居り、費将軍右に居り、皇帝後に在り、絳侯・柴将軍皇帝の後に在り。項羽の卒十万可り。淮陰先づ合し、利あらず、卻く。孔将軍・費将軍縦(はな)つ、楚の兵利あらず、淮陰侯復た之に乗じ、大いに垓下に敗る。項羽の卒漢軍の楚歌するを聞き、以為へらく漢尽く楚の地を得たりと、項羽乃ち敗れて走る、是を以て兵大いに敗る。騎将灌嬰をして項羽を東城に追殺せしめ、斬首八万、遂に楚の地を略定す。魯楚の為に堅守して下らず。漢王諸侯の兵を引きて北し、魯の父老に項羽の頭を示す、魯乃ち降る。遂に魯公の号を以て項羽を穀城に葬る。還りて定陶に至り、馳せて斉王の壁に入り、其の軍を奪ふ。正月、諸侯及び将相相与に共に漢王を尊びて皇帝と為さんことを請ふ。漢王曰く、「吾聞く帝は賢者之を有つと、空言虚語は、守る所に非ざるなり、吾敢へて帝位に当たらず。」と。
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『新序』善謀第十今大王誠に其の道に反し、天下の武勇に任ぜば、何ぞ誅せざらん。天下の城邑を以て功臣を封ぜば、何ぞ服せざらん。義兵を以て東歸を思うの士に從わば、何ぞ散ぜざらん。且つ三秦の王は秦の將と爲る。秦の弟子數歳、殺亡する所勝げて計う可からず。又た其の衆を欺きて諸侯に降り新安に至る。項王詐りて秦の降卒二十餘萬人を坑にす。唯だ獨り邯・欣・翳のみ脫る。秦の父兄此の三人を怨むこと、痛み骨髓に入る。今楚强いて威を以て此の三人を王とす。秦民愛する莫し。大王の武關に入るや、秋毫も害する所無く、秦の苛法を除き、秦と約し、法は三章のみ。且つ秦民大王を得て秦に王たらしめんと欲せざる無し。諸侯に於ける約、大王當に關中に王たるべし。民戸ミ之を知る。大王職を失いて蜀に之く。民恨まざる者無し。今大王舉げて東せば、三秦は檄を傳えて定む可きなり、と。是に於いて漢王喜び、自ら以爲えらく信を得ること晩し、と。遂に信の計を聽き、諸將の擊つ所を部署す。八月、漢王東出す。秦民漢に歸す。王遂に三秦を誅し、王として其の地を定む。諸侯の兵を收めて項王を討ち、帝業を定む。韓信の謀なり。
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史記 留侯世家良項王に説きて曰く、「漢王桟道を焼絶す、還る心無し」と。乃ち斉王田栄の反くを以て、項王に書告す。項王此を以て西に漢を憂ふる心無く、而して兵を発して北のかた斉を撃つ。項王竟に肯へて韓王を遣はさず、乃ち以て侯と為し、又之を彭城に殺す。良亡げ、間行して漢王に帰す、漢王も亦た已に還りて三秦を定む。復た良を以て成信侯と為し、従ひて東のかた楚を撃つ。彭城に至り、漢敗れて還る。下邑に至り、漢王馬を下り鞍に踞して問ひて曰く、「吾関以東を捐てて等しく之を棄てんと欲す、誰か与に功を共にすべき者ぞ」と。良進みて曰く、「九江王黥布は、楚の梟将なり、項王と郄有り。彭越は斉王田栄と梁の地に反く。此の両人急ぎ使ふべし。而して漢王の将は独り韓信のみ大事を属し、一面に当たらしむべし。即し之を捐てんと欲せば、之を此の三人に捐てよ、則ち楚破るべきなり」と。漢王乃ち隨何をして九江王布に説かしめ、而して人をして彭越に連ならしむ。魏王豹の反くに及び、韓信をして兵を将ゐて之を撃たしめ、因りて燕・代・斉・趙を挙ぐ。然れども卒に楚を破る者は、此の三人の力なり。張良多病にして、未だ嘗て特に将たらず、常に画策を為し、時時漢王に従ふ。漢三年、項羽急に漢王を滎陽に囲む、漢王恐憂し、酈食其と楚の権を橈めんことを謀る。食其曰く、「昔湯桀を伐ち、其の後を杞に封ず。武王紂を伐ち、其の後を宋に封ず。今秦徳を失ひ義を棄て、諸侯の社稷を侵伐し、六国の後を滅ぼし、錐を立つるの地無からしむ。陛下誠に能く復た六国の後世を立て、畢く已に印を受けしめば、此れ其の君臣百姓必ず皆陛下の徳を戴き、風に郷ひ義を慕ひ、臣妾と為らんことを願はざる莫からん。徳義已に行はれ、陛下南郷して霸を称せば、楚必ず衽を斂めて朝せん」と。漢王曰く、「善し。趣やかに印を刻せ、先生因りて行きて之を佩ばしめよ」と。食其未だ行かず、張良外より来たりて謁す。漢王方に食す、曰く、「子房前め。

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