新序 / 雜事第三
故女無美惡,入宫見妬士無賢不肖,入朝見嫉。昔司馬喜臏於宋,卒相中山;范睢拉脇折齒於魏,卒為應侯。此二人者,皆信必然之畫,捐朋黨之私,挾孤獨之交,故不能自免於嫉妬之人也。是以申徒狄蹈流之河,徐衍負石入海,不容於世,義不苟取,比周於朝,以移主上之心。故百里奚乞食於道路,繆公委之以政,寗戚飰牛車下,而桓公任之以國。此二人者,豈藉宦於朝,假譽於左右,然後二主用之哉!感於心,合於行,堅於膠漆,昆弟不能離,豈惑於衆口哉!
新字:故女無美悪,入宮見妬士無賢不肖,入朝見嫉。昔司馬喜臏於宋,卒相中山;范睢拉脇折歯於魏,卒為応侯。此二人者,皆信必然之画,捐朋党之私,挟孤独之交,故不能自免於嫉妬之人也。是以申徒狄蹈流之河,徐衍負石入海,不容於世,義不苟取,比周於朝,以移主上之心。故百里奚乞食於道路,繆公委之以政,寗戚飰牛車下,而桓公任之以国。此二人者,豈藉宦於朝,仮誉於左右,然後二主用之哉!感於心,合於行,堅於膠漆,昆弟不能離,豈惑於衆口哉!
書き下し
故に女は美惡と無く、宮に入れば妬まれ、士は賢不肖と無く、朝に入れば嫉まる。昔司馬喜宋に臏せらるるも、卒に中山に相たり。范睢魏に脇を拉かれ齒を折らるるも、卒に應侯と爲る。此の二人なる者は、皆な必然の畫を信じ、朋黨の私を捐て、孤獨の交わりを挾む。故に自ら嫉妬の人より免るる能わざるなり。是を以て申徒狄は流を蹈みて河に之き、徐衍は石を負いて海に入る。世に容れられず、義として苟くも取らず、朝に比周して以て主上の心を移さず。故に百里奚は食を道路に乞うも、繆公之に委ぬるに政を以てす。甯戚は牛に車下に飯するも、桓公之に任ずるに國を以てす。此の二人なる者、豈に朝に宦を藉り、譽を左右に假りて、然る後に二主之を用いんや。心に感じ、行いに合い、膠漆よりも堅く、昆弟も離す能わず。豈に衆口に惑わんや。
現代語訳
「だから女は美しいか醜いかを問わず、宮中に入れば妬まれ、士は賢いか愚かかを問わず、朝廷に入れば嫉まれます。昔、司馬喜は宋で膝の骨を削られましたが、ついに中山の宰相となりました。范雎は魏で脇を折られ歯を砕かれましたが、ついに応侯となりました。この二人は、いずれも必ずそうなるという見通しを信じ、徒党を組む私情を捨て、孤独な交わりを守りました。だから嫉妬する人から自分を守ることができなかったのです。だからこそ申徒狄は流れを踏んで黄河に身を投じ、徐衍は石を背負って海に入りました。世に容れられず、義として不正に取らず、朝廷で徒党を組んで君主の心を動かそうとはしなかったのです。だから百里奚は道で食を乞うていましたが、繆公は政をこれに委ねました。甯戚は車の下で牛に飼葉をやっていましたが、桓公は国をこれに任せました。この二人が、どうして朝廷の官職を借り、側近から評判を借りて、その後に二人の君主に用いられたでしょうか。心に感じ、行いに合い、膠や漆より堅く、兄弟でも引き離せない。どうして多くの口に惑わされましょうか」。
解説
この章句が説くこと
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