新序 / 義勇第八
卞莊子好勇,養母,戰而三北,交遊非之,國君辱之,及母死三年,冬與魯戰,卞莊子請從,見於魯將軍曰:「初與母處,是以三北,今母死,請塞責而神有所歸。」遂赴敵,獲一甲首而獻之。曰:「此塞一北。」又入,獲一甲首而獻之。曰:「此塞再北。」又入,獲一甲首而獻之。曰:「此塞三北。」將軍曰:「毋没爾家,宜止之,請為兄弟。」莊子曰:「三北以養母也,是子道也,今士節小具而塞責矣。吾聞之節士不以辱生。」遂反敵殺十人而死。君子曰:「三北又塞責,滅世斷家於孝不終也。」
新字:卞荘子好勇,養母,戦而三北,交遊非之,国君辱之,及母死三年,冬与魯戦,卞荘子請従,見於魯将軍曰:「初与母処,是以三北,今母死,請塞責而神有所帰。」遂赴敵,獲一甲首而献之。曰:「此塞一北。」又入,獲一甲首而献之。曰:「此塞再北。」又入,獲一甲首而献之。曰:「此塞三北。」将軍曰:「毋没爾家,宜止之,請為兄弟。」荘子曰:「三北以養母也,是子道也,今士節小具而塞責矣。吾聞之節士不以辱生。」遂反敵殺十人而死。君子曰:「三北又塞責,滅世断家於孝不終也。」
書き下し
卞莊子勇を好み、母を養う。戰いて三たび北ぐ。交遊之を非とし、國君之を辱しむ。母死して三年に及び、冬魯と戰う。卞莊子從わんことを請う。魯の將軍に見えて曰く、初め母と處る。是を以て三たび北ぐ。今母死せり。請う責を塞ぎて神歸する所有らしめん、と。遂に敵に赴き、一甲首を獲て之を獻ず。曰く、此れ一北を塞ぐ、と。又た入り、一甲首を獲て之を獻ず。曰く、此れ再北を塞ぐ、と。又た入り、一甲首を獲て之を獻ず。曰く、此れ三北を塞ぐ、と。將軍曰く、爾の家を没する毋かれ。宜しく之を止むべし。請う兄弟と爲らん、と。莊子曰く、三北は以て母を養うなり。是れ子の道なり。今士の節小しく具わりて責を塞げり。吾之を聞く、節士は辱を以て生きず、と。遂に敵に反りて十人を殺して死す。君子曰く、三北して又た責を塞ぐ。世を滅し家を斷つは、孝に終わらざるなり、と。
現代語訳
卞荘子は勇を好み、母を養っていた。戦って三度逃げた。友人はこれを非難し、国君はこれを辱めた。母が死んで三年たち、冬に魯と戦った。卞荘子は従軍を願い出た。魯の将軍に会って言った。「はじめは母と暮らしていました。だから三度逃げました。いま母は死にました。どうか責めを埋め合わせて、魂に帰る場所を得させてください」。そのまま敵に向かい、敵将の首を一つ取ってこれを献じた。「これで一度目の敗走を埋めた」。また入り、首を一つ取って献じた。「これで二度目を埋めた」。また入り、首を一つ取って献じた。「これで三度目を埋めた」。将軍は言った。「あなたの家を絶やしてはならない。ここで止めるべきだ。どうか兄弟になろう」。荘子は言った。「三度逃げたのは母を養うためです。それは子の道です。いま士の節が少しは備わって、責めを埋めました。私はこう聞いている、節ある士は辱めを受けたまま生きない、と」。そのまま敵に引き返し、十人を殺して死んだ。君子は言った。「三度逃げて、そのうえ責めを埋めた。家系を絶やすのは、孝を全うしないことである」。
解説
この章句が説くこと
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老子 第9章持ちて之を盈たすは、其の已るに如かず。揣(き)りてその鋭を為すは、長く保つ可からず。金玉満堂、之を能く守る者莫し。富貴して驕れば、自ら其の咎を遺す。功を成して身を退く、天の道なり。
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人物志・八觀直の失や訐、剛の失や厲、和の失や懦、介の失や拘。
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論語・先進篇子貢問う、「師と商とは孰れか賢れる。」子曰く、「師や過ぎたり、商や及ばず。」曰く、「然らば則ち師愈れるか。」子曰く、「過ぎたるは猶お及ばざるがごとし。」
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呂氏春秋・侈樂①人は其の生を以て生きざるは莫し、而れども其の生くる所以を知らず。人は其の知を以て知らざるは莫し、而れども其の知る所以を知らず。其の知る所以を知る、之を道を知ると謂う。其の知る所以を知らざる、之を寶を棄つと謂う。寶を棄つる者は必ず其の咎に離る。世の人主は、多く珠玉戈劍を以て寶と為し、愈々多くして民愈々怨み、國人愈々危うく、身愈々危累す。則ち寶の情を失うなり。亂世の樂は此と同じ。木革の聲を為せば則ち雷の若く、金石の聲を為せば則ち霆の若く、絲竹歌舞の聲を為せば則ち譟の若し。此を以て心気を駭かし、耳目を動かし、生を搖蕩せんとすれば則ち可なるも、此を以て樂と為せば則ち樂しからず。故に樂は愈々侈にして、民は愈々鬱し、國は愈々亂れ、主は愈々卑し。則ち亦た樂の情を失うなり。
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呂氏春秋・適音③夫れ音も亦た適有り。太だ鉅なれば則ち志蕩す。蕩するを以て鉅を聽けば則ち耳容れず、容れざれば則ち橫塞す。橫塞すれば則ち振く。太だ小なれば則ち志嫌す。嫌を以て小を聽けば則ち耳充たず。充たざれば則ち詹らず。詹らざれば則ち窕す。太だ清なれば則ち志危うし。危うきを以て清を聽けば則ち耳谿極す。谿極すれば則ち鑒せず、鑒せざれば則ち竭く。太だ濁なれば則ち志下る。下れるを以て濁を聽けば則ち耳收まらず。收まらざれば則ち摶ならず。摶ならざれば則ち怒る。故に太だ鉅なると、太だ小なると、太だ清なると、太だ濁なるとは、皆適に非ざるなり。
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『新序』節士第七趙武冠して成人と爲る。程嬰乃ち大夫を辭し、趙武に謂いて曰く、昔下宮の難、皆な能く死せり。我死する能わざるに非ず。趙氏の後を立てんことを思えばなり。今子既に立ちて成人と爲り、趙宗故に復す。我將に下りて趙孟と公孫杵臼とに報ぜんとす、と。趙武號泣し、固く請いて曰く、武願わくは筋骨を苦しめて以て子に報い死に至らん。而るに子我を棄てて死するに忍びんや、と。程嬰曰く、不可なり。彼れ我を以て能く事を成すと爲すが故に、皆な我に先んじて死せり。今我下りて之に報ぜずんば、是れ我が事を以て成らずと爲すなり、と。遂に自殺す。趙武衰を服すること三年。祭邑を爲り、春秋に之を祠り、世ミ絶えず。君子曰く、程嬰・公孫杵臼は、交わりに信あり厚き士と謂う可し。嬰の自殺して下に報ずるは亦た過ぎたり、と。