新序 / 雜事第二
楚人有獻魚楚王者曰:「今日漁獲,食之不盡,賣之不售,棄之又惜,故來獻也。」左右曰:「鄙哉!辭也。」楚王曰:「子不知漁者仁人也。蓋聞囷倉粟有餘者,國有餓民;後宫多幽女者,下民多曠夫;餘衍之蓄,聚於府庫者,境内多貧困之民;皆失君人之道。故庖有肥魚,廐有肥馬,民有餓色,是以亡國之君,藏於府庫,寡人聞之久矣,未能行也。漁者知之,其以此諭寡人也,且今行之。」於是乃遣使恤鰥寡而存孤獨,出倉粟,發幣帛而振不足,罷去後宫不御者,出以妻鰥夫。楚民欣欣大悦,鄰國歸之。故漁者壹獻餘魚,而楚國賴之,可謂仁智矣。
新字:楚人有献魚楚王者曰:「今日漁獲,食之不尽,売之不售,棄之又惜,故来献也。」左右曰:「鄙哉!辞也。」楚王曰:「子不知漁者仁人也。蓋聞囷倉粟有余者,国有餓民;後宮多幽女者,下民多曠夫;余衍之蓄,聚於府庫者,境内多貧困之民;皆失君人之道。故庖有肥魚,厩有肥馬,民有餓色,是以亡国之君,蔵於府庫,寡人聞之久矣,未能行也。漁者知之,其以此諭寡人也,且今行之。」於是乃遣使恤鰥寡而存孤独,出倉粟,発幣帛而振不足,罷去後宮不御者,出以妻鰥夫。楚民欣欣大悦,鄰国帰之。故漁者壱献余魚,而楚国頼之,可謂仁智矣。
書き下し
楚人に魚を楚王に獻ずる者有りて曰く、今日漁獲す。之を食らうも盡きず、之を賣るも售れず、之を棄つるも又た惜しむ。故に來たりて獻ずるなり、と。左右曰く、鄙なるかな、辭や、と。楚王曰く、子は漁者の仁人なるを知らざるなり。蓋し聞く、囷倉の粟餘り有る者は、國に餓民有り。後宮に幽女多き者は、下民に曠夫多し。餘衍の蓄え府庫に聚まる者は、境内に貧困の民多し、と。皆な人に君たるの道を失うなり。故に庖に肥魚有り、廐に肥馬有りて、民に餓色有るは、是を以て亡國の君は府庫に藏す、と。寡人之を聞くこと久し。未だ行う能わず。漁者之を知り、其れ此を以て寡人に諭すなり。且つ今之を行わん、と。是に於いて乃ち使いを遣わして鰥寡を恤み孤獨を存し、倉粟を出だし、幣帛を發して不足を振るい、後宮の御せざる者を罷め去り、出だして以て鰥夫に妻わす。楚民欣欣として大いに悦び、鄰國之に歸す。故に漁者壹たび餘魚を獻じて、楚國之に賴る。仁智と謂う可し。
現代語訳
楚の人で王に魚を献上する者があって言った。「今日漁で獲れました。食べても食べきれず、売っても売れず、捨てるのも惜しい。それで献上に参ったのです」。側近たちは言った。「無礼だな、その言い草は」。楚王は言った。「そなたたちは、この漁師が仁の人だと分かっていない。こう聞いている。倉の穀物が余っている者があれば、国には飢えた民がいる。後宮に閉じ込められた女が多ければ、民には妻を持てない男が多い。余った蓄えが国庫に集まっていれば、領内には貧しく困った民が多い、と。いずれも人の君たる道を失っているのだ。だから台所に肥えた魚があり、厩に肥えた馬がいて、民に飢えた顔色があるなら、そういうわけで滅びる国の君は国庫にため込むのだ、と。私はこれを聞いて久しい。まだ行えずにいた。漁師はそれを知っていて、これによって私を諭したのだ。よし、今すぐ行おう」。そこで使者を遣わしてやもめを憐れみ孤児を見舞い、倉の穀物を出し、幣帛を出して不足を補い、後宮で召されることのない者を退けて、やもめ男に嫁がせた。楚の民は喜び勇んで大いに悦び、隣国もこれに帰服した。だから漁師が一度余った魚を献上しただけで、楚の国はそれに助けられた。仁にして智と言うべきである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『十善法語』巻第十・不邪見戒之上又喩ヘテ云ハ。賢君明主ハ忠臣ヲ信任シ。諫言ヲ用ル如クシヤ。漢ノ高祖カ諫ニ従フコト流ノ如ク。唐ノ太宗ノ魏徴カ苦諫ノ言ヲ用ヒアリシ類。ソノ如ク。正法ノ因縁アル者ハ必ス不邪見戒ニ随順スルシヤ。此ニ反シテ宿福ナキ者ハ。智者モ愚者モ。学者モ不学者モ仏アルコトヲ信セヌ。法アルコトヲ信セヌ。聖賢アルコトヲ信セヌ。神祇有コトヲ信セヌ。善悪報応有コトヲ信セヌシヤ。
-
言志四録・言志録 第七十条 諫めは誠意に在り凡そ人を諫めんと欲するには、唯だ一団の誠意の言に溢るる有るのみ。苟くも一忿疾の心を挟まば、諫め決して入らず。
-
史記 季布欒布列伝中郎将と為る。単于嘗て書を為りて呂后を嫚り、不遜なり、呂后大いに怒り、諸将を召して之を議す。上将軍樊噲曰く「臣願はくは十万の衆を得て、匈奴の中に横行せん」と。諸将皆呂后の意に阿り、「然り」と曰ふ。季布曰く「樊噲斬るべきなり。夫れ高帝兵四十余万の衆を将ゐて、平城に困しむ、今噲柰何ぞ十万の衆を以て匈奴の中に横行せんとするは、面欺なり。且つ秦胡に事とするを以て、陳勝等起こる。今に于て創痍未だ瘳えず、噲又面諛し、天下を揺動せんと欲す」と。是の時殿上皆恐れ、太后朝を罷め、遂に復た匈奴を撃つ事を議せず。
-
『春秋左氏伝』僖公十五年 韓原の戦い壬戌、韓原に戰ふ。晉の戎馬濘に還りて止まる。公慶鄭を號ぶ。慶鄭曰く、「諫に愎り卜に違ふ、固より敗を是れ求む、又何ぞ逃れん」と。遂に之を去る。梁由靡韓簡を御し、虢射右と為り、秦伯を輅へ、將に之を止めんとす。鄭公を救ふを以て之を誤らしめ、遂に秦伯を失ふ。秦晉侯を獲て以て歸る。晉の大夫首を反し舍を拔きて、之に從ふ。秦伯使ひして辭せしめて曰く、「二三子何ぞ其れ慼へるや。寡人の君に從ひて西するや、亦た晉の妖夢を是れ踐むのみ、豈に敢へて以て至らんや」と。晉の大夫三拜稽首して曰く、「君は后土を履みて皇天を戴く。皇天后土、實に君の言を聞く、群臣敢へて下風に在らん」と。穆姬晉侯の將に至らんとするを聞き、大子罃・弘と女簡・璧とを以て、臺に登りて薪を履む。免服衰絰を以て逆へしめ、且つ告げしめて曰く、「上天災を降し、我が兩君をして玉帛を以て相見えずして、戎を興すを以てせしむ。若し晉君朝に以て入らば、則ち婢子夕べに以て死せん。夕べに以て入らば、則ち朝に以て死せん。唯だ君之を裁け」と。乃ち諸を靈臺に舍らしむ。
-
葉隠・聞書第一諫言(かんげん)の道に、我(われ)其の位(くらい)にあらずば、其の位の人に言はせて、御誤(おあやまり)直(なお)る様にするが大忠(たいちゅう)なり。此の階(かい)の為に諸人(しょにん)と懇意(こんい)する所なり。我が為にすれば追従(ついしょう)なり。一方(いっぽう)は我等(われら)荷(にな)ひ申す心入(こころいれ)からなり。成程(なるほど)なるものなり。
-
尚書・伊訓臣下匡(ただ)さずんば、其の刑は墨、具(つぶさ)に蒙士に訓(をし)ふ。嗚呼(ああ)、嗣王厥(そ)の身を祗(つつし)み、念へや。聖謨洋洋として、嘉言孔(はなは)だ彰(あき)らかなり。惟れ上帝は常ならず、

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見る