新序 / 節士第七
延陵季子將西聘晉,帶寶劔以過徐君,徐君觀劍,不言而色欲之。延陵季子為有上國之使,未獻也,然其心許之矣,致使於晉,故反,則徐君死於楚,於是脫劍致之嗣君。從者止之曰:「此吳國之寶,非所以贈也。」延陵季子曰:「吾非贈之也,先日吾來,徐君觀吾劔不言而其色欲之,吾為有上國之使,未獻也。雖然,吾心許之矣。今死而不進,是欺心也。愛劔偽心,廉者不為也。」遂脫劔致之嗣君。嗣君曰:「先君無命,孤不敢受劔於是季子以劔帶徐君墓樹而去。徐人嘉而歌之曰:「延陵季子兮不忘故,脱千金之劔兮帶丘墓。」
新字:延陵季子将西聘晋,帯宝剣以過徐君,徐君観剣,不言而色欲之。延陵季子為有上国之使,未献也,然其心許之矣,致使於晋,故反,則徐君死於楚,於是脱剣致之嗣君。従者止之曰:「此呉国之宝,非所以贈也。」延陵季子曰:「吾非贈之也,先日吾来,徐君観吾剣不言而其色欲之,吾為有上国之使,未献也。雖然,吾心許之矣。今死而不進,是欺心也。愛剣偽心,廉者不為也。」遂脱剣致之嗣君。嗣君曰:「先君無命,孤不敢受剣於是季子以剣帯徐君墓樹而去。徐人嘉而歌之曰:「延陵季子兮不忘故,脱千金之剣兮帯丘墓。」
書き下し
延陵季子將に西のかた晉に聘せんとす。寶劍を帶して以て徐君に過る。徐君劍を觀て、言わずして色之を欲す。延陵季子上國の使い有るが爲に、未だ獻ぜざるなり。然れども其の心之を許せり。使いを晉に致して、故に反る。則ち徐君楚に死せり。是に於いて劍を脫して之を嗣君に致す。從者之を止めて曰く、此れ吳國の寶なり。贈る所以に非ざるなり、と。延陵季子曰く、吾之を贈るに非ざるなり。先日吾來たるとき、徐君吾が劍を觀て言わずして其の色之を欲す。吾上國の使い有るが爲に、未だ獻ぜざるなり。然りと雖も、吾が心之を許せり。今死して進めざるは、是れ心を欺くなり。劍を愛しみ心を偽るは、廉者は爲さざるなり、と。遂に劍を脫して之を嗣君に致す。嗣君曰く、先君に命無し。孤敢えて劍を受けず、と。是に於いて季子劍を以て徐君の墓樹に帶して去る。徐人嘉して之を歌いて曰く、延陵の季子や故きを忘れず、千金の劍を脫して丘墓に帶す、と。
現代語訳
延陵季子が西の晋に使いしようとしていた。宝剣を帯びて徐君のもとに立ち寄った。徐君は剣を見て、口には出さないが顔つきでそれを欲しがった。延陵季子は上国への使いがあるので、まだ献じなかった。しかし心の中ではそれを承知していた。使いを晋に果たして、帰ってきた。すると徐君は楚で死んでいた。そこで剣を外してこれを後継の君に差し出した。従者はこれを止めて言った。「これは呉国の宝です。贈るべきものではありません」。延陵季子は言った。「私はこれを贈るのではない。先日私が来たとき、徐君は私の剣を見て、口には出さないが顔つきでそれを欲しがった。私は上国への使いがあるので、まだ献じなかった。しかしながら、私の心はそれを承知していた。いま死んだからといって差し出さないのは、これは心を欺くことだ。剣を惜しんで心を偽るのは、廉直な者のすることではない」。そこで剣を外してこれを後継の君に差し出した。後継の君は言った。「先君に遺命はありません。私はあえて剣を受け取りません」。そこで季子は剣を徐君の墓の木に掛けて去った。徐の人はこれを称えて歌った。「延陵の季子は古いよしみを忘れない、千金の剣を外して墓に掛けた」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『大和俗訓』巻之五・言語一言をつつしみて、一言を出すにも、よく思案して物をいへば、言語はおのづから少なし。むりに口をとぢて言はざるにはあらず。一ことばをば必信にすべし。かりそめの少なる事にも、いつはるべからず。其事は少なりとも、心を害する咎は大なり。まことの道を失へばなり。故に万の事うるはしくとも、いつはりをいふは人にあらず。我が心の神は、則天地の神なり。おそるべし。心にいつはりと知らば言ふべからず。偽と知りてわが心をあざむくは、罪ふかし。
-
『慎思録』巻之四言は心の声なり。外に発して聞くべし。心は身の主なり。中に在りて見るべからず。故に人に接する時、人は唯だ吾が言を聞きて、吾が心を見ず。然らば則ち外に発する者は、只だ言のみ。言豈に慎まざるべけんや。
-
『弁名』忠信程子曰く、「己を尽くす之を忠と謂ひ、実を以てする之を信と謂ふ」と。此れ彼の「忠信を主とす」等の言を見て、徒らに人の為に謀り人と言ふ者を以て之を言ふは狭きに嫌ありと謂ふ。故に是の解を作す。亦た先王の道は民を安んずる為に之を設くるを知らずして、動もすれば諸を己に求むる故のみ。且つ己を尽くすは未だ以て忠の字の義を尽くすに足らず。今人の宋儒の学を為す者は、人の為に謀りて聴かれざれば、則ち多く皆舎て去りて、復た之を顧みず。我既に我が心を尽くせりと曰ふ。是れ忠の字に懇到周悉の意有るを知らざる故なり。実を以てするも亦た信の字の義に非ず。程子は動もすれば諸を心に求む、故に是の解を作すのみ。古は止だ言語の上に就きて之を言ふ。豈に必ずしも諸を心に求めんや。
-
『驢鞍橋』卷中同録に。古人云く。心は万境に随つて転ず。転ずる処実に能く幽なり。流れに随つて性を認得すれば、喜も無く亦憂も無し。一僧云ふ、随流認得性と云ふは、人我を打つとも、腹たつ道理なし。欲心起るも、他の物を取るへき道理なしと、急度其性を認得する義なりや。師云はく、其義に非す。随流認得性と云ふは、ほしければとり、はれははつたまでよ、如是随流働き、万境に転したか、何ん共なき境界也。是れ凡夫心の沙汰に非す、熟した心の沙汰也。今様の誵訛さへ知りめされすと也。
-
言志四録・言志録 第九十七条 心の来処は太虚目を挙ぐれば百物、皆来処有り。軀殻の父母より出づるも、亦来処なり。心に至りては則ち来処何くに在る。余曰く、軀殻は是れ地気の精英、父母に由りて之を聚む。心は則ち天なり。軀殻成りて天寓し、天寓して知覚生じ、天離れて知覚泯ぶ。心の来処は、乃ち太虚是れのみ。
-
言志四録・言志録 第百九十八条 吾が心は即ち天なり此の心霊昭不昧、衆理具はり、万事出づ。果たして何に従りて之を得たるか。吾が生の前、此の心何処にか放在せし。吾が歿の後、此の心何処にか帰宿せん。果たして生歿有りや、無きや。着想此に到れば、凛凛として自ら惕る。吾が心は即ち天なり。

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見る