新序 / 善謀第十
酈食其號酈生,說漢王臣聞之,知天之天者,王事可成;不知天之天者,王事不可成。王者以民為天,而民以食為天。夫敖倉,天下轉輸久矣,臣聞其下乃有藏粟甚多。楚人㧞滎陽,不堅守敖倉,乃引而東,令謫過卒分守成臯此乃天所以資漢。方今楚易取而漢反却,自奪其便,臣竊以為過矣。且兩雄不俱立,楚、漢久相持不决,百姓騷動,海内揺蕩農夫釋耒,工女下機,天下之心,未有所定也。願陛下急復進兵収取滎陽,據厫倉之粟,塞成臯之險,杜太行之路,距蜚狐之口,守白馬之津,以示諸侯形制之勢,則天下知所歸矣。」漢王曰:「善。」乃從其計畫,復守厫倉,卒粮食不盡,以擒項氏。其後呉楚反,將軍竇嬰,周亞夫復據厫倉,塞成臯如前,以破呉楚。皆酈生之謀也。
新字:酈食其号酈生,説漢王臣聞之,知天之天者,王事可成;不知天之天者,王事不可成。王者以民為天,而民以食為天。夫敖倉,天下転輸久矣,臣聞其下乃有蔵粟甚多。楚人抜滎陽,不堅守敖倉,乃引而東,令謫過卒分守成皋此乃天所以資漢。方今楚易取而漢反却,自奪其便,臣窃以為過矣。且両雄不倶立,楚、漢久相持不決,百姓騷動,海内揺蕩農夫釈耒,工女下機,天下之心,未有所定也。願陛下急復進兵収取滎陽,拠厫倉之粟,塞成皋之険,杜太行之路,距蜚狐之口,守白馬之津,以示諸侯形制之勢,則天下知所帰矣。」漢王曰:「善。」乃従其計画,復守厫倉,卒粮食不尽,以擒項氏。其後呉楚反,将軍竇嬰,周亜夫復拠厫倉,塞成皋如前,以破呉楚。皆酈生之謀也。
書き下し
酈食其號して酈生と曰う。漢王に說く。臣之を聞く、天の天たるを知る者は、王事成る可し。天の天たるを知らざる者は、王事成る可からず、と。王者は民を以て天と爲し、而して民は食を以て天と爲す。夫れ敖倉は、天下轉輸すること久し。臣聞く、其の下に乃ち藏粟有ること甚だ多し、と。楚人滎陽を拔き、敖倉を堅守せず、乃ち引きて東し、謫過の卒をして分かちて成皋を守らしむ。此れ乃ち天の漢に資する所以なり。方今楚取り易くして漢反って卻く。自ら其の便を奪う。臣竊かに以爲えらく過ちなり、と。且つ兩雄は俱には立たず。楚・漢久しく相い持して決せず。百姓騷動し、海内搖蕩す。農夫耒を釋て、工女機を下る。天下の心、未だ定まる所有らざるなり。願わくは陛下急ぎ復た兵を進めて滎陽を收取し、敖倉の粟に據り、成皋の險を塞ぎ、太行の路を杜ぎ、蜚狐の口を距ぎ、白馬の津を守り、以て諸侯に形制の勢を示さば、則ち天下歸する所を知らん、と。漢王曰く、善し、と。乃ち其の計畫に從い、復た敖倉を守る。卒に糧食盡きず、以て項氏を擒らう。其の後吳楚反す。將軍竇嬰・周亞夫復た敖倉に據り、成皋を塞ぐこと前の如くし、以て吳楚を破る。皆な酈生の謀なり。
現代語訳
酈食其は酈生と号した。漢王に説いた。「臣はこう聞いております、天にとっての天を知る者は、王の事業を成せる。天にとっての天を知らない者は、王の事業を成せない、と。王者は民を天とし、民は食を天とします。そもそも敖倉は、天下から物を運び入れて久しい。臣は、その下に蔵の粟が非常に多くあると聞いております。楚の人は滎陽を抜きながら、敖倉を堅く守らず、そのまま東に引き、罪に問われた兵に分けて成皋を守らせています。これこそ天が漢に与えているものです。いま楚は取りやすいのに漢はかえって退いている。自ら好機を捨てています。臣はひそかに過ちだと思います。そのうえ二人の雄は並び立ちません。楚と漢が長く睨み合って決しない。民は騒ぎ、国じゅうが揺れています。農夫は鋤を捨て、機織りの女は機を下りました。天下の心は、まだ定まるところがありません。どうか陛下、急いでまた兵を進めて滎陽を取り戻し、敖倉の粟を押さえ、成皋の険を塞ぎ、太行の路を閉じ、蜚狐の口を防ぎ、白馬の津を守り、諸侯に形勢を制する構えを示されれば、天下は帰するところを知るでしょう」。漢王は「よろしい」と言った。そこでその計画に従い、また敖倉を守った。ついに糧食が尽きず、それで項氏を捕らえた。その後、呉と楚が叛いた。将軍の竇嬰と周亜夫はまた敖倉を押さえ、成皋を塞ぐこと以前と同じにして、呉と楚を破った。みな酈生の謀である。
解説
この章句が説くこと
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史記 酈生陸賈列伝是に於て酈生乃ち夜陳留の令に見え、之に説きて曰く、「夫れ秦は無道を為して天下之に畔く。今足下天下と従はば則ち以て大功を成すべし。今独り亡秦の為に城を嬰(めぐ)らして堅守す、臣窃かに足下の為に之を危ぶむ」と。陳留の令曰く、「秦の法は至って重きなり、以て妄言すべからず、妄言する者は類無し。吾以て応ずべからず。先生の臣に教ふる所以の者は、臣の意に非ざるなり。願はくは復た道ふ勿かれ」と。酈生留まりて宿臥し、夜半の時陳留の令の首を斬り、城を踰えて下りて沛公に報ず。沛公兵を引きて城を攻め、令の首を長竿に県けて以て城上の人に示して曰く、「趣(すみ)やかに下れ。而(なんぢ)の令の頭已に断たれたり。今より後に下る者は必ず先づ之を斬らん」と。是に於て陳留の人令の已に死するを見て、遂に相率ゐて沛公に下る。沛公陳留の南城門の上に舎り、其の庫兵に因り、積粟を食み、留まりて出入すること三月、従兵万を以て数へ、遂に入りて秦を破る。
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史記 項羽本紀漢の軍皆走り、相随ひて穀・泗水に入り、漢の卒十余万人を殺す。漢の卒皆南のかた山に走る、楚又追撃して霊壁の東睢水の上に至る。漢の軍卻き、楚の擠す所と為り、多く殺さる、漢の卒十余万人皆睢水に入り、睢水之が為に流れず。漢王を囲むこと三匝。是に於て大風西北より起こり、木を折り屋を発し、沙石を揚げ、窈冥にして昼晦く、楚の軍に逢迎す。楚の軍大いに乱れ、壊散す、而して漢王乃ち数十騎と遁れ去るを得たり、沛を過ぎ、家室を収めて西せんと欲す。楚も亦人をして之を沛に追はしめ、漢王の家を取らんとす。家皆亡げ、漢王と相見えず。漢王道に孝恵・魯元に逢ひ得て、乃ち載せて行く。楚の騎漢王を追ふ、漢王急にして、孝恵・魯元を車下に推し墮す、滕公常に下りて収めて之を載す。是くの如き者三たび。曰く、「急なりと雖も以て駆るべからず、柰何ぞ之を棄てん。」と。是に於て遂に脱するを得たり。太公・呂后を求むるも相遇はず。審食其太公・呂后に従ひて間行し、漢王を求む、反りて楚の軍に遇ふ。楚の軍遂に与に帰り、項王に報ず、項王常に軍中に置く。是の時呂后の兄周呂侯漢の為に兵を将ゐて下邑に居る、漢王間かに往きて之に従ひ、稍稍其の士卒を収む。滎陽に至り、諸々の敗軍皆会す、蕭何も亦関中の老弱の未だ傅せざる者を発して悉く滎陽に詣らしめ、復た大いに振るふ。楚彭城より起こり、常に勝ちに乗じて北ぐるを逐ひ、漢と滎陽の南京・索の間に戦ふ、漢楚を敗る、楚故を以て滎陽を過ぎて西する能はず。項王の彭城を救ひ、漢王を追ひて滎陽に至る、田横も亦斉を収むるを得て、田栄の子広を立てて斉王と為す。漢王の彭城に敗るるや、諸侯皆復た楚に与して漢に背く。漢滎陽に軍し、甬道を築きて之を河に属し、以て敖倉の粟を取る。漢の三年、項王数(しばしば)漢の甬道を侵奪す、漢王食乏しく、恐れ、和を請ひ、滎陽以西を割きて漢と為さんとす。
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