新序 / 善謀第十
御史大夫臣安國稽首再拜曰:「不然。臣聞髙皇帝嘗圍於平城,匈奴至而投鞍髙於城者數所。平城之厄七日不食,天下歎之。及解圍反位,無忿怨之色,雖得天下,而不報平城之怨者,非以力不能也。夫聖人以天下為度者也,不以已之私怒,傷天下之公義,故遣劉敬結為和親,至今為五世利。孝文皇帝嘗一屯天下之精兵於嘗谿廣武,無尺寸之功。天下黔首,約要之民,無不憂者,孝文皇帝悟兵之不可宿也,乃為和親之約,至今為後世利。臣以為兩主之迹足以為効臣故曰勿擊便。」
新字:御史大夫臣安国稽首再拝曰:「不然。臣聞高皇帝嘗囲於平城,匈奴至而投鞍高於城者数所。平城之厄七日不食,天下嘆之。及解囲反位,無忿怨之色,雖得天下,而不報平城之怨者,非以力不能也。夫聖人以天下為度者也,不以已之私怒,傷天下之公義,故遣劉敬結為和親,至今為五世利。孝文皇帝嘗一屯天下之精兵於嘗谿広武,無尺寸之功。天下黔首,約要之民,無不憂者,孝文皇帝悟兵之不可宿也,乃為和親之約,至今為後世利。臣以為両主之迹足以為効臣故曰勿撃便。」
書き下し
御史大夫臣安國稽首再拜して曰く、然らず。臣聞く、高皇帝嘗て平城に圍まる。匈奴至りて鞍を投じて城より高き者數所なり、と。平城の厄、七日食らわず。天下之を歎ず。圍を解き位に反るに及び、忿怨の色無し。天下を得たりと雖も、平城の怨みに報いざる者は、力の能わざるを以てするに非ざるなり。夫れ聖人は天下を以て度と爲す者なり。已の私怒を以て、天下の公義を傷つけず。故に劉敬を遣りて結びて和親と爲し、今に至るまで五世の利と爲る。孝文皇帝嘗て一たび天下の精兵を嘗谿・廣武に屯す。尺寸の功無し。天下の黔首、約要の民、憂えざる者無し。孝文皇帝兵の宿す可からざるを悟る。乃ち和親の約を爲し、今に至るまで後世の利と爲る。臣以爲えらく兩主の迹以て効と爲すに足る、と。臣故に曰く、擊つ勿きが便なり、と。
現代語訳
御史大夫の安国は頭を地につけ二度拝んで言った。「そうではありません。臣はこう聞いております、高皇帝はかつて平城で囲まれた。匈奴が来て鞍を投げ積んだ山が城より高い所が数か所あった、と。平城の苦しみは、七日食べられませんでした。天下はこれを嘆きました。囲みを解いて位に戻られてからも、怒り恨む顔色がありませんでした。天下を得られても、平城の怨みに報いなかったのは、力が足りなかったからではありません。そもそも聖人は天下をもって物差しとする者です。自分の私憤によって、天下の公義を傷つけません。だから劉敬を遣わして和親を結び、いまに至るまで五代の利となっています。孝文皇帝はかつて一度、天下の精兵を嘗谿と広武に駐屯させました。わずかの功もありませんでした。天下の民、約束に縛られる民で、憂えない者はありませんでした。孝文皇帝は兵を長く置いてはならないと悟られた。そこで和親の約を結び、いまに至るまで後世の利となっています。臣は二人の主の跡が手本とするに足ると思います。だから臣は、撃たないのが得策だと申します」。
解説
この章句が説くこと
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『甲陽軍鑑』品第四十八扨また諸人の批判には、さいげんなき法花坊機にあがらん、又はあぶられんとのさた也、奉行衆も此以前岩村田法華坊主、何にても證拠なきさへ以て御分国をはらはるゝ、まして是は大方の御成敗にては有間敷、いそぎ改め出し、日記に付、言上申べしとて書立を以て申上る、
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『政談』諸役人職分支配を分つ事譬へは国境郷村の境山垂れ等分明ならす、度々所々の公事絶ゆることなし、是兼ねて其の所を支配する人明かに我か支配を知らぬ故なり、其の支配所を知りて事出つへき所は下より申し出てすとも、申し立てゝ御当家の御定めありたきことなり、御当家の御定め無きに遠国の事を在江戸の奉行之を捌かんとするとも詮方なし、これによりてかろきみのう撿使につかはせはかりもの格を取証拠無けれは捌かれぬ故小田原又は信玄又は信長公又は太閤なとのときの奉行の書物を証拠とす、これは先方の時分にて惣体の模様違ひたる時代を証拠に引くこと埓もなきことなり、或は室町家或は鎌倉或は往古の綸旨等を証拠に引くも年数遥かに隔りて埓もなきことは、是れ皆奉行をする面々兎角何ことも先例を引き付けたるくせにて引くましき先例を引く也、是れ皆御当家の御定めなき故也、
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『政談』戶籍の事当時も紀州水戸にては人かへしあり、肥前なとにては出家にても他国へゆき十年かへらねは親類みな刑せらると承はる、薩摩其外九州は多くは国中の民を外へは出たさす、当時これある例なれは地頭の威勢を以て呼ひかへさんにはたやすくなるへきことなり、当時諸国の民耕作を厭ひ、米の飯を喜ひ、百姓を棄て商人になる故に衰微したる村々多きこと度々承ることなり、されは地頭のためにも実は甚だよきことなれとも、いつれも文盲なる故この合点行かす、世界は斯の如く成り下りたるなり、
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尚書・周官古に學びて官に入り、事を議するに制を以てすれば、政乃ち迷わず。
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