新序 / 善謀第十
趙地亂,武臣、張耳、陳餘定趙地,立武臣為趙王,張耳為相,陳餘為將軍。趙王間出,為燕軍所得,燕囚之,欲與三分其地,乃歸王,使者至,燕輒殺之,以固求地。張耳、陳餘患之,有厮養卒謝其舍中人曰:「吾為公說燕,與趙王載歸。」舍中人皆笑之曰:「使者往十輩死,若何以能得王?」厮養卒曰:「非若所知。」
新字:趙地乱,武臣、張耳、陳余定趙地,立武臣為趙王,張耳為相,陳余為将軍。趙王間出,為燕軍所得,燕囚之,欲与三分其地,乃帰王,使者至,燕輒殺之,以固求地。張耳、陳余患之,有厮養卒謝其舎中人曰:「吾為公説燕,与趙王載帰。」舎中人皆笑之曰:「使者往十輩死,若何以能得王?」厮養卒曰:「非若所知。」
書き下し
趙地亂る。武臣・張耳・陳餘趙地を定め、武臣を立てて趙王と爲す。張耳を相と爲し、陳餘を將軍と爲す。趙王間ミ出でて、燕軍の得る所と爲る。燕之を囚え、與に其の地を三分せんと欲す。乃ち王を歸さん、と。使者至れば、燕輒ち之を殺し、以て固く地を求む。張耳・陳餘之を患う。厮養卒有り其の舍中の人に謝して曰く、吾公の爲に燕を說き、趙王と載せて歸らん、と。舍中の人皆な之を笑いて曰く、使者往くこと十輩にして死す。若何を以てか能く王を得ん、と。厮養卒曰く、若の知る所に非ず、と。
現代語訳
趙の地が乱れた。武臣・張耳・陳余が趙の地を平定し、武臣を立てて趙王とした。張耳を宰相とし、陳余を将軍とした。趙王が忍びで出て、燕の軍に捕らえられた。燕はこれを閉じ込め、その土地を三分しようとした。「そうすれば王を返す」と。使者が着くと、燕はそのつどこれを殺し、しつこく土地を求めた。張耳と陳余はこれを憂えた。下働きの兵が、同じ部屋の者たちに断って言った。「私はあなたがたのために燕を説き、趙王を乗せて帰ろう」。部屋の者はみなこれを笑って言った。「使者は十人行って死んだ。お前がどうして王を取り戻せるものか」。下働きの兵は言った。「お前たちの知るところではない」。
解説
使者が十人続けて殺された後の場面です。名乗り出たのが、いちばん下の下働きでした。笑われても、説明していません。お前たちの知るところではない。この一言だけで、次の章に移ります。なぜ十人の使者が殺されたのかを、この人だけが分かっていました。要求は土地の三分割で、断られ続けています。つまり、交渉の中身ではなく前提が間違っていたということです。
この章句が説くこと
趙王間ミ出でて燕軍の得る所と為る燕之を囚え与に其の地を三分せんと欲す使者至れば燕輒ち之を殺し以て固く地を求む使者往くこと十輩にして死す若何を以てか能く王を得ん交渉身分
関連する章句
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孟子・公孫丑章句下燕人畔く。王曰く、「吾甚だ孟子に慚づ。」陳賈曰く、「王患うること無かれ。王自ら以て周公と孰れか仁且つ智なりと為すか。」王曰く、「惡。是れ何の言ぞや。」曰く、「周公、管叔をして殷を監せしむ。管叔、殷を以て畔く。知りて之を使むれば、是れ不仁なり。知らずして之を使むれば、是れ不智なり。仁智は周公も未だ之れ盡くさざるなり。而るを況んや王に於いてをや。賈請う、見て之を解かん。」孟子を見て、問いて曰く、「周公は何人ぞや。」曰く、「古の聖人なり。」曰く、「管叔をして殷を監せしめしに、管叔、殷を以て畔く。諸れ有りや。」曰く、「然り。」曰く、「周公は其れ將に畔かんとするを知りて之に使むるか。」曰く、「知らざるなり。」「然らば則ち聖人すら且つ過つこと有るか。」曰く、「周公は弟なり。管叔は兄なり。周公の過つも、亦た宜ならずや。且つ古の君子は、過てば則ち之を改む。今の君子は、過てば則ち之に順う。古の君子は、其の過つや、日月の食するが如し。民皆之を見る。其の更むるに及んでや、民皆之を仰ぐ。今の君子は、豈に徒に之に順うのみならんや。又從って之が辭を為す。」
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