新序 / 善謀第九
今王妬楚之不毁也,而忘毁楚之强韓、魏也,臣為王慮而不取也。詩曰:『大武逺宅而不涉。』從此觀之,楚國,援也;鄰國,敵也。詩曰:『躍躍毚兎遇犬獲之。他人有心,予忖度之。』今王中道而信韓、魏之善王也,此吳之親越也。臣聞之,敵不可假,時不可失。臣恐韓、魏卑辭除患,而實欺大國也。何則?王無重世之徳於韓、魏,而有累世之怨焉。夫韓、魏父子兄弟,接踵而死于秦者,將十世矣,本國殘,社稷壞,宗廟隳,刳腹絶腸,折顙摺頸,身首分離,暴骨草澤,頭顱僵仆相望于境,係臣束子為羣虜者,相及於路,鬼神潢洋無所食,民不聊生,族類離㪚流亡為僕妾者,盈海内矣,故韓、魏之不亡,秦社稷之憂也。今王齎之與攻楚,不亦過乎!
新字:今王妬楚之不毁也,而忘毁楚之强韓、魏也,臣為王慮而不取也。詩曰:『大武遠宅而不渉。』従此観之,楚国,援也;鄰国,敵也。詩曰:『躍躍毚兎遇犬獲之。他人有心,予忖度之。』今王中道而信韓、魏之善王也,此吳之親越也。臣聞之,敵不可仮,時不可失。臣恐韓、魏卑辞除患,而実欺大国也。何則?王無重世之徳於韓、魏,而有累世之怨焉。夫韓、魏父子兄弟,接踵而死于秦者,将十世矣,本国残,社稷壊,宗廟隳,刳腹絶腸,折顙摺頸,身首分離,暴骨草沢,頭顱僵仆相望于境,係臣束子為羣虜者,相及於路,鬼神潢洋無所食,民不聊生,族類離㪚流亡為僕妾者,盈海内矣,故韓、魏之不亡,秦社稷之憂也。今王齎之与攻楚,不亦過乎!
書き下し
今王楚の毀たれざるを妬みて、楚を毀たば韓・魏を强くするを忘る。臣王の爲に慮りて取らざるなり。詩に曰く、大武は宅を遠くして涉らず、と。此れより之を觀れば、楚國は、援なり。鄰國は、敵なり。詩に曰く、躍躍たる毚兎も犬に遇えば之を獲。他人心有り、予之を忖度す、と。今王中道にして韓・魏の王を善くするを信ずるは、此れ吳の越に親しむなり。臣之を聞く、敵は假す可からず、時は失う可からず、と。臣恐る、韓・魏辭を卑くして患を除き、而して實は大國を欺くならんことを。何となれば則ち、王は重世の德を韓・魏に無くして、累世の怨み有ればなり。夫れ韓・魏の父子兄弟、踵を接して秦に死する者、將に十世ならんとす。本國殘なわれ、社稷壞れ、宗廟隳れ、腹を刳り腸を絶ち、顙を折り頸を摺き、身首分離し、骨を草澤に暴し、頭顱僵仆して境に相い望み、臣を係ぎ子を束ねて羣虜と爲る者、路に相い及ぶ。鬼神潢洋として食らう所無く、民生を聊んぜず、族類離散して流亡し僕妾と爲る者、海内に盈つ。故に韓・魏の亡びざるは、秦の社稷の憂いなり。今王之に齎して與に楚を攻む。亦た過ちならずや。
現代語訳
「いま王は楚が壊れないことを妬んで、楚を壊せば韓と魏を強くすることを忘れておられます。臣は王のために考えて、取りません。『詩経』に『大いなる武は、遠い住みかまでは渡らない』とあります。ここから見れば、楚の国は、味方です。隣の国は、敵です。『詩経』に『飛び跳ねるすばしこい兎も犬に出会えば捕らえられる。他人に心があっても、私はこれを推し量る』とあります。いま王が途中で韓・魏が王に好意的だと信じられるのは、これは呉が越と親しんだのと同じです。臣はこう聞いております、敵に貸しを与えてはならず、時を失ってはならない、と。臣は恐れます、韓と魏が言葉を低くして目先の患いを除き、実は大国を欺いているのではないかと。なぜなら、王は代を重ねた恩を韓・魏に持たず、代を重ねた怨みを持っているからです。そもそも韓と魏の父子兄弟で、次々と秦に死んだ者は、十代になろうとしています。本国は損なわれ、社稷は壊れ、宗廟は崩れ、腹を裂かれ腸を断たれ、額を砕かれ首をへし折られ、胴と首は離れ、骨を野に晒し、しゃれこうべが倒れ伏して国境に見渡すかぎり並び、臣を縛り子を束ねて捕虜となる者が、道々続きました。死者の霊はさまよって食べる物もなく、民は生きる気力もなく、一族が離散して流れ落ち下男下女となる者が、国じゅうに満ちています。だから韓と魏が滅びないことは、秦の社稷にとっての憂いです。いま王はこれに与えてともに楚を攻めようとされている。過ちではありませんか」。
解説
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『新序』善謀第九且つ王楚を攻むるに、將に惡くより兵を出ださんとす。王將に路を仇讎の韓・魏に藉らんとするか。兵を出だすの日にして、王其の反らざるを憂うるなり。是れ王兵を以て仇讎の韓・魏に資するなり。王若し路を仇讎の韓・魏に借らずんば、必ず隨水の右壤を攻めん。此れ皆な廣川大水、山林谿谷の食らわざるの地なり。王之を有つと雖も、地を得たりと爲さず。是れ王に楚を毀つの名有りて、地を得るの實無きなり。且つ王楚を攻むるの日、四國必ず悉く兵を起こして以て王に應ぜん。秦楚の兵構えて離れず、韓・魏氏將に兵を出だして留・方・與・銍・胡陵・碭・蕭・相を攻めんとす。故の宋必ず盡きん。齊人南面し、泗北必ず舉がらん。此れ皆な平原四達膏腴の地なり。而して獨り攻めしむ。王楚を破りて以て韓・魏を中國に肥やして齊を勁くす。韓・魏の彊きは、以て秦に枝るに足る。齊は南のかた泗水を以て境と爲し、東は海に負い、北は河に倚りて後患無し。天下の國、齊・魏より彊きは莫し。齊・魏地を得利を保ちて詳りて下吏に事う。一年の後、帝と爲るは未だ能わざるも、其の王の帝と爲るを禁ずるに於いては餘り有らん。夫れ王の壤土の博きを以てし、人徒の衆きを以てし、兵革の彊きを以てして、一たび事を舉げて怨みを楚に樹つ。出でて韓・魏をして帝を歸し齊を重からしむ。是れ王の失計なり。
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戦国策・魏將與秦攻韓魏将(まさ)に秦と与(とも)に韓を攻めんとす、朱己魏王に謂いて曰く、「秦は戎・翟と俗を同じくし、虎狼の心有り、貪戾(たんれい)にして利を好みて信無く、礼義徳行を識らず。苟(いやし)くも利有れば、親戚兄弟を顧みず、禽獣の若きのみ。此れ天下の同じく知る所なり、厚く徳を積むを施す所に非ざるなり。故に太后は母なり、而れども以て憂いて死す。穰侯は舅(きゅう)なり、功之より大なるは莫し、而れども竟(つい)に之を逐(お)う。両弟罪無し、而れども再び其の国を奪う。此れ其の親戚兄弟に於いて此くの若し、而るを又況んや仇讎(きゅうしゅう)の敵国に於いてをや。今大王秦と与に韓を伐ちて益々秦に近づけば、臣甚だ之を或(うたが)う、而れども王識らざれば、則ち明ならず。群臣之を知りて、之を以て諫むる莫ければ、則ち忠ならず。今夫れ韓氏一女子を以て一弱主を承(う)け、内に大乱有り、外安んぞ能く強秦・魏の兵を支えんや、王以て破れずと為すか。韓亡べば、秦尽く鄭地を有し、大梁と鄰(とな)らん、王以て安しと為すか。王故地を得んと欲して、今強秦の禍を負う、王以て利と為すか。秦は無事の国に非ざるなり、韓亡びし後、必ず且に事を便(たよ)りにせんとし、事を便りにせば、必ず易きと利とに就かん、易きと利とに就かば、必ず楚と趙とを伐たざらん。是れ何ぞや。夫れ山を越え河を踰(こ)え、韓の上党を絶ちて強趙を攻むるは、則ち是れ復た閼与(あつよ)の事なり、秦必ず為さざるなり。若し河内を道(みち)とし、鄴・朝謌に倍(そむ)き、漳・滏の水を絶ちて、以て趙兵と邯鄲の郊に決勝せば、是れ智伯の禍を受くるなり、秦又敢えてせず。楚を伐つに、涉を道とし谷行すること三十里にして、危隘の塞を攻めば、行く所の者甚だ遠くして、攻むる所の者甚だ難し、秦又為さざるなり。若し河外を道とし、大梁に背き、上蔡・召陵を右にして、以て楚兵と陳の郊に決せば、秦又敢えてせざるなり。故に曰く、秦必ず楚と趙とを伐たず、又衛と齊とを攻めず、と。且つ夫れ韓を憎みて安陵氏を受けざるは可なり、夫れ秦の南国を愛せざるを患えざるは非(ひ)なり。異日には、秦乃ち河西に在り、晋国の梁を去ること、千里有余にして、河山以て之を蘭(さえぎ)り、周・韓有りて之を間(へだ)つ。林軍より以て今に至るまで、秦十たび魏を攻め、五たび国中に入り、辺城尽く抜かる。文台墮(やぶ)れ、垂都焚(や)かれ、林木伐られ、麋鹿(びろく)尽き、而して国継ぐに囲みを以てす。又長駆して梁の北にいたり、東は陶・衛の郊に至り、北は闞(かん)に至り、秦に亡う所の者、山北・河外・河内、大県数百、名都数十なり。秦乃ち河西に在り、晋国の大梁を去ること尚お千里にして、禍此くの若し。又況んや秦をして韓無くして鄭地を有たしめ、河山以て之を蘭る無く、周・韓以て之を間つる無く、大梁を去ること百里なれば、禍必ず此に百せんをや。異日には、従(しょう)成らずして、楚・魏疑い、韓約するを得可からざりき。今韓兵を受くること三年なり、秦之を撓(みだ)すに講を以てす、韓亡ぶるを知りて、猶お聴かず、質を趙に投じ、天下の為に雁行頓刃(がんこうとんじん)せんことを請う。臣の観る所を以てすれば、則ち楚・趙必ず之に与(くみ)して攻めん。此れ何ぞや。則ち皆秦の窮まり無きを知ればなり、尽く天下の兵を亡ぼし、海内の民を臣とするに非ざれば、必ず休まざるなり。是の故に臣願わくは以て王に従事せん、王速やかに楚・趙の約を受け、韓・魏の質を挟みて、韓を存するを務めと為し、因りて故地を韓に求めば、韓必ず之を効(いた)さん。此くの如くば則ち士民労せずして故地を得、其の功秦と共に韓を伐つより多くして、然れども強秦と鄰(とな)るの禍無し。夫れ韓を存し魏を安んじて天下を利するは、此れ亦た王の大時なり。韓の上党を共・莫に通じ、道をして已に通ぜしめ、因りて之に関し、出入する者之に賦せば、是れ魏重ねて韓を其の上党を以て質とするなり。共に其の賦有らば、以て国を富ますに足り、韓必ず魏に徳とし、魏を愛し、魏を重んじ、魏を畏れ、韓必ず敢えて魏に反せず。韓は是れ魏の県なり。魏韓を得て以て県と為せば、則ち衛・大梁・河外必ず安からん。今韓を存せざれば、則ち二周必ず危うく、安陵必ず易(か)わらん。楚・趙楚大いに破れ、衛・齊甚だ畏れ、天下の西のかた秦に馳(は)せ、入朝して臣と為るの日久しからざらん。」
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『新序』善謀第九楚黃歇を秦に使いせしむ。秦の昭王白起をして韓・魏を攻めしむ。韓・魏服して秦に事う。昭王方に白起をして韓・魏と共に楚を伐たしめんとす。黃歇適ミ至り、其の計を聞く。是の時秦已に白起をして楚を攻め數縣を取らしむ。楚の頃襄王東に徙る。黃歇書を秦の昭王に上る。秦をして遠く楚に交わりて韓・魏を攻めしめ、以て楚を解かんと欲す。其の書に曰く、天下秦・楚より强きは莫し。今王楚を伐たんと欲すと聞く。此れ猶お兩虎相い與に鬭うがごとし。兩虎相い與に鬭いて駑犬其の弊を受くるなり。楚を善くするに如かず。臣請う其の說を言わん。臣之を聞く、物至れば則ち反る、冬夏是れなり。高きを致せば則ち危うし、棊を累ぬる是れなり、と。今大國の地は天下に徧く、其の二垂を有つ。此れ生民より以來、萬乘の地、未だ嘗て有らざるなり。今王盛橋をして韓に守事せしむ。盛橋其の地を以て秦に入る。是れ王甲を用いず威を信べずして、百里の地を得るなり。王能くすと謂う可し。王又た甲を舉げて魏を攻め、大梁の門を杜ぎ、河内を舉げ、燕・酸棗・虚桃を攻め、邢に入る。魏の兵雲翔して敢えて救わず。王の功も亦た多し。王甲を休め衆を息わしめ、二年にして之を復す。滿・衍・首・垣を取り、以て仁・平丘・黃・濟陽・甄城に臨む有り。而して魏氏服す。王又た濮・歷の北を割き、之を秦齊の要に注ぎ、楚・趙の脊を絶つ。天下五たび合し六たび聚まるも敢えて相い救わず。王の威も亦た單くせり。
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『新序』善謀第九臣王の爲に慮るに、楚を善くするに若くは莫し。秦・楚合して一と爲りて以て韓に臨まば、韓必ず拱手せん。王之に施すに東山の險を以てし、帶ぶるに曲河の利を以てせば、韓必ず關内の侯と爲らん。是くの若くにして王十萬を以て鄭を伐たば、梁氏心を寒くし、許・鄢陵・嬰城し、而して上蔡・召陵往來せざるなり。此くの如くして魏も亦た關内の侯ならん。王一たび楚を善くして關内に兩萬乘の王あり。地を齊に注入せば、齊の右壤拱手して取る可きなり。王の地一たび兩海に桎り、天下を要約す。是れ燕・趙に齊・楚無く、齊・楚に燕・趙無し。然る後に燕・趙を危動し、直ちに齊・楚を揺るがす。此の四國は、痛みを待たずして服するなり、と。昭王曰く、善し、と。是に於いて乃ち白起を止め、韓・魏を謝し、使いを發して楚に賂い、約して與國と爲す。黃歇約を受けて楚に歸る。楚を弱むるの禍を解き、秦を彊むるの兵を全うす。黃歇の謀なり。
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戦国策・謂秦王秦王に謂ひて曰く、「臣竊かに王の齊を輕んじ楚を易んじて、韓を卑しみ畜ふを惑ふ。臣聞く、王者は兵勝ちて驕らず、伯主は約して忿らず、と。勝ちて驕らざれば、故に能く世を服せしめ、約して忿らざれば、故に能く鄰に從はしむ。今王、德を魏・趙に廣くして、齊を輕々しく失ふは驕なり。宜陽に戰ひ勝ちて、楚との交はりを恤へざるは忿なり。驕忿は伯主の業に非ざるなり。臣竊かに大王の為に之を慮りて取らざるなり。「詩に云ふ、『初有らざる靡く、克く終ふる有ること鮮し』と。故に先王の重んずる所の者は、唯だ始めと終はりとのみ。何を以て其の然るを知るや。昔智伯瑤、范・中行を殘し、晉陽を圍逼して、卒に三家の笑ひと為れり。吳王夫差、越を會稽に棲ましめ、齊に艾陵に勝ち、黃池の遇を爲し、宋に無禮にして、遂に勾踐と禽にせられ、干隧に死せり。梁君、楚を伐ちて齊に勝ち、趙・韓の兵を制し、十二諸侯を驅りて天子に孟津に朝せしめしも、後に子死して、身は布冠して秦に拘せらる。三者は功無きに非ざるなり、能く始めて能く終はらざるなり。「今王、宜陽を破り、三川を殘して、天下の士をして敢へて言はざらしめ、天下の國を雍ぎ、兩周の疆を徙して、世主をして敢へて陽侯の塞に交はらざらしめ、黃棘を取りて、韓・楚の兵をして敢へて進まざらしむ。王若し能く此の尾を為さば、則ち三王も四に足らず、五伯も六に足らず。王若し能く此の尾を為す能はずして、後患有らば、則ち臣恐らくは諸侯の君、河・濟の士、王を以て吳・智の事と為さんことを。「詩に云ふ、『百里を行く者は九十を半ばとす』と。此れ末路の難きを言ふなり。今大王皆な驕色有り、臣の心を以て之を觀るに、天下の事、世主の心に依らば、楚兵を受くるに非ざれば、必ず秦なり。何を以て其の然るを知るや。秦人は魏を援けて以て楚を拒み、楚人は韓を援けて以て秦を拒み、四國の兵敵して、未だ復た戰ふ能はざるなり。齊・宋は繩墨の外に在りて以て權を為す、故に曰く、先に齊・宋を得る者は秦を伐つ、と。秦先に齊・宋を得れば、則ち韓氏鑠け、韓氏鑠くれば、則ち楚孤にして兵を受く。楚先に齊を得れば、則ち魏氏鑠け、魏氏鑠くれば、則ち秦孤にして兵を受けん。若し此の計に隨ひて之を行はば、則ち兩國なる者必ず天下の笑ひと為らん。」
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戦国策・謂趙王曰三晉合而秦弱趙王に謂いて曰く、「三晉合すれば秦弱く、三晉離るれば秦强し、此れ天下の明らかにする所なり。秦の燕有りて趙を伐ち、趙有りて燕を伐つ、梁有りて趙を伐ち、趙有りて梁を伐つ、楚有りて韓を伐ち、韓有りて楚を伐つ、此れ天下の明らかに見る所なり。然るに山東其の路を易うる能わざるは、兵弱ければなり。弱くして相壹する能わず、是れ何ぞ楚の知にして、山東の愚かなるや。是れ臣の山東の爲に憂うる所なり。虎將に禽に即かんとするに、禽虎の己に即くを知らずして、相鬬いて兩つながら罷れ、其の死を虎に歸す。故に禽をして虎の己に即くを知らしめば、決して相鬬わじ。今山東の主秦の己に即くを知らずして、尚お相鬬いて兩つながら敝れ、其の國を秦に歸す、知禽に如かざること遠し。願わくは王熟ら之を慮れ。「今事急にす可き者有り、秦の韓・梁を伐たんと欲する、東のかた周室を闚うこと甚だし、惟だ寐ねても之を亡さんとす。今南のかた楚を攻むる者は、三晉の大いに合するを惡めばなり。今楚を攻めて休みて復た之にす、已に五年なり、地を攘うこと千餘里。今楚王に謂いて曰く、『苟くも來りて玉趾を舉げて寡人に見えば、必ず楚と兄弟の國と爲り、必ず楚の爲に韓・梁を攻め、楚の故地を反さん。』と。楚王秦の語を美とし、韓・梁の己を救わざるを怒り、必ず秦に入らん。謀有りて故に使いを趙に殺し、燕を以て趙に餌し、三晉を離す。今王秦の言を美とし、燕を攻めんと欲す、燕を攻むれば、食未だ飽かずして禍已に及ばん。楚王秦に入らば、秦・楚一と爲り、東面して韓を攻めん。韓南に楚無く、北に趙無く、韓伐たるるを待たず、馬兔を割挈して西走せん。秦韓と上交を爲さば、秦の禍安くにか梁に移らん。秦の彊を以て、楚・韓の用有らば、梁伐たるるを待たじ。馬兔を割挈して西走せば、秦梁と上交を爲さば、秦の禍案じて趙に攘らん。彊秦の韓・梁・楚を有つを以て、燕の怒りと與に、割くこと必ず深からん。國の此れを舉ぐる、臣の來たる所以なり。臣故に曰う、事急に爲す可き者有りと。「楚王の未だ入らざるに及びて、三晉相親しみ相堅くし、銳師を出だして以て韓・梁の西邊を戍らば、楚王之を聞き、必ず秦に入らじ、秦必ず怒りて循た楚を攻めん、是れ秦の禍楚を離れざるなり、三晉に便あり。若し楚王入らば、秦三晉の大いに合して堅きを見て、必ず楚王を出ださず、即ち多く割かん、是れ秦の禍楚を離れざるなり、三晉に利有り。願わくは王之を熟計すること急なれ。」趙王因りて兵を起こし南のかた韓・梁の西邊を戍る。秦三晉の堅きを見るや、果たして楚王卬を出ださずして、多く地を求む。