新序 / 雜事第二
鴻鵠猶其小者也,蔡侯之事故是也。蔡侯南遊乎髙陵,北徑乎巫山,逐麋麕麞鹿,彉谿子隨,時鳥嬉遊乎髙蔡之囿,溢滿無涯,不以國家為事,不知子發受令宣王,厄以淮水,填以巫山,庚子之朝,纓以朱絲,臣而奏之乎宣王也。蔡侯之事猶其小者也,今君王之事,遂以左州侯,右夏侯,從新安君與壽陵君,淫衍侈靡,康樂遊娛,馳騁乎雲夢之中,不以天下與國家為事,不知穰侯方與秦王謀,寘之以黽厄而投之乎黽塞之外。」襄王大懼,形體掉栗曰:「謹受令。」乃封莊辛為成陵君,而用計焉。與舉淮北之地十二諸侯。
新字:鴻鵠猶其小者也,蔡侯之事故是也。蔡侯南遊乎高陵,北径乎巫山,逐麋麕麞鹿,彉谿子随,時鳥嬉遊乎高蔡之囿,溢満無涯,不以国家為事,不知子発受令宣王,厄以淮水,填以巫山,庚子之朝,纓以朱糸,臣而奏之乎宣王也。蔡侯之事猶其小者也,今君王之事,遂以左州侯,右夏侯,従新安君与寿陵君,淫衍侈靡,康楽遊娛,馳騁乎雲夢之中,不以天下与国家為事,不知穰侯方与秦王謀,寘之以黽厄而投之乎黽塞之外。」襄王大懼,形体掉栗曰:「謹受令。」乃封荘辛為成陵君,而用計焉。与舉淮北之地十二諸侯。
書き下し
鴻鵠は猶お其の小なる者なり。蔡侯の事故に是れなり。蔡侯南のかた高陵に遊び、北のかた巫山を徑り、麋・麕・麞・鹿を逐い、谿子を彉きて隨い、時鳥高蔡の囿に嬉遊し、溢滿涯無く、國家を以て事と爲さず。知らず、子發宣王に令を受け、厄するに淮水を以てし、填つるに巫山を以てし、庚子の朝、纓するに朱絲を以てし、臣として之を宣王に奏せしを。蔡侯の事も猶お其の小なる者なり。今君王の事、遂に左に州侯、右に夏侯、新安君と壽陵君とを從え、淫衍侈靡、康樂遊娛して雲夢の中に馳騁し、天下と國家とを以て事と爲さず。知らず、穰侯方に秦王と謀り、之を黽厄に寘きて之を黽塞の外に投ぜんとするを、と。襄王大いに懼れ、形體掉栗して曰く、謹んで令を受けん、と。乃ち莊辛を封じて成陵君と爲し、計を用う。與に淮北の地十二諸侯を舉ぐ。
現代語訳
鴻鵠もまだ小さいほうである。蔡侯の事がまさにそれだ。蔡侯は南は高陵に遊び、北は巫山を通り、大鹿・のろじか・しか・鹿を追い、谿子の弓を引いて従え、季節の鳥とともに高蔡の園で遊び戯れ、あふれるばかりで限りがなく、国家のことを気にかけなかった。ところが知らなかったのだ。子発が宣王の命を受け、淮水で行く手をふさぎ、巫山で退路を埋め、庚子の朝に、赤い糸で首をくくり、臣下としてこれを宣王に差し出したことを。蔡侯の事もまだ小さいほうである。いま君王の事は、ついに左に州侯、右に夏侯、新安君と寿陵君を従え、放埒に贅を尽くし、遊び楽しんで雲夢の沢に馬を走らせ、天下と国家のことを気にかけておられない。ところがご存じないのです。穣侯がいままさに秦王と謀り、君を黽厄に置いて黽塞の外へ投げ出そうとしていることを。襄王は大いに恐れ、体を震わせて言った。「つつしんで教えを受けよう」。そこで荘辛を封じて成陵君とし、その計を用いた。ともに淮北の地の十二諸侯を取り戻した。
解説
この章句が説くこと
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葉隠・聞書第一或人(あるひと)覚悟の体(てい)覚書に、主君の身辺(しんぺん)勤むる者は別けて身持(みもち)覚悟慎むべきことなり。御側(おそば)の者の様子を見て、主人のたけを人が積(つも)るものなり。今は御機嫌悪し、序(つい)でになどと思うて居る内に、不図(ふと)御誤(おんあやまり)もあるべきことなり。又諫言(かんげん)は時を移さず申し上ぐべきことなり。仰せ出(いで)済みて後も、其の者に理を附け、少しづつもよき様に云いなせば、帰参(きさん)も早きものなり。又仕合せ(しあわせ)よき人には、無音(ぶいん)しても苦しからず、侍の義理なり。又科人(とがにん)をわろく云うは不義理の事なり。落ちぶれたる者には随分不憫(ふびん)を加え、何とぞ立ち直す様に致すべきこと、侍の義理なりと、これあり候。
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葉隠・聞書第一御縁組(ごえんぐみ)の時、何某(なにがし)一分(いちぶん)を申し達し候。この事、若き衆(しゅう)よく心得(こころえ)置くべき事なり。その身(み)気味(きみ)よく思うて、云(い)ふべき事を云うて腹切(はらき)りても本望(ほんもう)と思ふべし。よくよく了簡(りょうけん)候へ、何の益(えき)にも立たぬ事なり。我(われ)かやうの事を云うて腹切りても本望と思ふは、なるほど聞(きこ)えたり。曲者(くせもの)などと思ふは以(もっ)ての外(ほか)なる取違(とりちが)ひなり。まづ申し出でたる事その詮(せん)なく、我が身は引き取り、御養育(ごよういく)も仕(つかまつ)らず、追付(おっつ)け御死去(ごしきょ)なされ候に、御看病(ごかんびょう)も仕らず、残念千万(ざんねんせんばん)なり。気過(きす)ぎなる人は多分(たぶん)誤(あやま)る所なり。総(そう)じてその位(くらい)に至らずして諫言(かんげん)するは却(かえ)つて不忠(ふちゅう)なり。誠(まこと)の者ならば、我が存(ぞん)じ寄りたる事を似合(にあ)ひたる人に潜(ひそ)かに内談(ないだん)して、その人の思ひ寄りにさせて云へば、その事調(ととの)はるなり。これ忠節(ちゅうせつ)なり。もし、内談にてその人請(う)け合はずば、また外(ほか)の人にも内談し、とかく色々心遣(こころづか)ひをして、その事さへ調はるる様にすれば、大忠節(だいちゅうせつ)も知れぬ様にして居るものなり。幾人(いくにん)に内談しても、埒(らち)明かざる時は力に及ばず、その分(ぶん)にて打ち過ぎ、または起こし立て起こし立てすれば、多分叶(かな)ふものなり。我こそ曲者と云はるる名聞(みょうもん)ばかりにて、我が手柄(てがら)にするゆゑ調はざるなり。申し出でたる事益には立たず、人に難(なん)ぜられ、我が身を崩(くず)したる人数多(あまた)これあるなり。畢竟(ひっきょう)真(しん)の志(こころざし)なきゆゑなり。我が身を一向(いっこう)に捨て捨てて、主君の上(うえ)どうなりとも好き様にとさへ思へば、紛(まぎ)るる事はこれなく候なり。
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