新序 / 雜事第二
齊桓公得管仲,有霸諸侯之榮;失管仲,而有危亂之辱。虞不用百里奚而亡,秦繆公用之而霸。楚不用伍子胥而破,吳闔廬用之而霸。夫差非徒不用子胥也,又殺之,而國卒以亡。燕昭王用樂毅,推弱燕之兵,破疆齊之讎,屠七十城,而而恵王廢樂毅,更代以騎刼兵立破,亡七十城。此父用之,子不用,其事可見也。故闔廬用子胥以興,夫差殺之而以亡;昭王用樂毅以勝,恵王逐之而敗,此的的然若白黒
新字:斉桓公得管仲,有覇諸侯之栄;失管仲,而有危乱之辱。虞不用百里奚而亡,秦繆公用之而覇。楚不用伍子胥而破,呉闔廬用之而覇。夫差非徒不用子胥也,又殺之,而国卒以亡。燕昭王用楽毅,推弱燕之兵,破疆斉之讎,屠七十城,而而恵王廃楽毅,更代以騎劫兵立破,亡七十城。此父用之,子不用,其事可見也。故闔廬用子胥以興,夫差殺之而以亡;昭王用楽毅以勝,恵王逐之而敗,此的的然若白黒
書き下し
齊の桓公管仲を得て、諸侯に霸たるの榮有り。管仲を失いて、危亂の辱め有り。虞は百里奚を用いずして亡び、秦の繆公之を用いて霸たり。楚は伍子胥を用いずして破れ、吳の闔廬之を用いて霸たり。夫差は徒だに子胥を用いざるのみに非ず、又た之を殺して、國卒に以て亡ぶ。燕の昭王樂毅を用い、弱燕の兵を推して、彊齊の讎を破り、七十城を屠る。而して惠王樂毅を廢し、更めて代うるに騎劫を以てし、兵立ちどころに破れ、七十城を亡う。此れ父之を用い、子用いず。其の事見る可きなり。故に闔廬子胥を用いて以て興り、夫差之を殺して以て亡ぶ。昭王樂毅を用いて以て勝ち、惠王之を逐いて敗る。此れ的的然として白黒の若し。
現代語訳
斉の桓公は管仲を得て、諸侯の覇者となる栄誉を得た。管仲を失って、危うく乱れる辱めを受けた。虞は百里奚を用いずに滅び、秦の繆公はこれを用いて覇者となった。楚は伍子胥を用いずに破れ、呉の闔廬はこれを用いて覇者となった。夫差はただ子胥を用いなかっただけでなく、これを殺して、国はついに滅んだ。燕の昭王は楽毅を用い、弱い燕の兵を押し進めて、強い斉という仇を破り、七十城を陥した。ところが恵王は楽毅を退け、代わりに騎劫を用いると、兵はたちまち破れ、七十城を失った。これは父が用い、子が用いなかったのである。その結果は見てのとおりだ。だから闔廬は子胥を用いて興り、夫差はこれを殺して滅んだ。昭王は楽毅を用いて勝ち、恵王はこれを追い出して敗れた。これははっきりと、白と黒のようである。
解説
この章句が説くこと
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