新序 / 刺奢第六
士尹池為荆使於宋,司城子罕止而觴之,南家之墻,擁於前而不直,西家之潦,經其宫而不止。士尹池問其故,司城子罕曰:「南家,工人也,為鞔者也,吾將徙之,其父曰:『吾恃為鞔,已食三世矣,今徙,是宋邦之求鞔者,不知吾處也,吾將不食,願相國之憂吾不食也。』為是故吾不徙。西家髙,吾宫卑,潦之經吾宫也利,為是故不禁也。」士尹池歸荆,適興兵欲攻宋,士尹池諫於王曰:「宋不可攻也,其主賢,其相仁。賢者得民,仁者能用人,攻之無功,為天下笑。」楚釋宋而攻鄭。孔子聞之曰:「夫修之於廟堂之上,而折衝於千里之外者,司城子罕之謂也」。
新字:士尹池為荆使於宋,司城子罕止而觴之,南家之墻,擁於前而不直,西家之潦,経其宮而不止。士尹池問其故,司城子罕曰:「南家,工人也,為鞔者也,吾将徙之,其父曰:『吾恃為鞔,已食三世矣,今徙,是宋邦之求鞔者,不知吾処也,吾将不食,願相国之憂吾不食也。』為是故吾不徙。西家高,吾宮卑,潦之経吾宮也利,為是故不禁也。」士尹池帰荆,適興兵欲攻宋,士尹池諫於王曰:「宋不可攻也,其主賢,其相仁。賢者得民,仁者能用人,攻之無功,為天下笑。」楚釈宋而攻鄭。孔子聞之曰:「夫修之於廟堂之上,而折衝於千里之外者,司城子罕之謂也」。
書き下し
士尹池荊の爲に宋に使いす。司城子罕止めて之に觴す。南家の墻、前に擁して直からず。西家の潦、其の宮を經て止まらず。士尹池其の故を問う。司城子罕曰く、南家は、工人なり。鞔を爲る者なり。吾將に之を徙さんとす。其の父曰く、吾鞔を爲るを恃みて、已に食すること三世なり。今徙らば、是れ宋邦の鞔を求むる者、吾が處を知らざらん。吾將に食せざらんとす。願わくは相國の吾が食せざるを憂えんことを、と。是が爲の故に吾徙さざるなり。西家は高く、吾が宮は卑し。潦の吾が宮を經るは利あり。是が爲の故に禁ぜざるなり、と。士尹池荊に歸る。適ミ兵を興して宋を攻めんと欲す。士尹池王に諫めて曰く、宋は攻む可からざるなり。其の主は賢、其の相は仁なり。賢者は民を得、仁者は能く人を用う。之を攻むるも功無く、天下の笑いと爲らん、と。楚宋を釋てて鄭を攻む。孔子之を聞きて曰く、夫れ之を廟堂の上に修めて、衝を千里の外に折く者は、司城子罕の謂いなり、と。
現代語訳
士尹池が楚のために宋に使いした。司城子罕が引き止めてもてなした。南隣の家の壁が前に張り出してまっすぐでなかった。西隣の家の雨水が、その屋敷を通って止まらなかった。士尹池はそのわけを問うた。司城子罕は言った。「南隣は職人です。靴を作る者です。私はそれを移そうとしました。その父が言いました。『私は靴を作ることを頼りに、すでに三代食べてまいりました。いま移れば、宋の国で靴を求める者は、私の居場所が分からなくなるでしょう。私は食べていけなくなります。どうか相国よ、私が食べていけなくなることを気にかけてください』と。そのために私は移さないのです。西隣は高く、わが屋敷は低い。雨水がわが屋敷を通るのは道理にかなっています。そのために禁じないのです」。士尹池は楚に帰った。ちょうど兵を興して宋を攻めようとしていた。士尹池は王に諫めて言った。「宋は攻めるべきではありません。その主は賢く、その宰相は仁です。賢者は民を得、仁者は人をよく用います。これを攻めても功はなく、天下の笑いものになりましょう」。楚は宋をやめて鄭を攻めた。孔子はこれを聞いて言った。「そもそもこれを朝廷の上で修めて、敵の攻撃を千里の外でくじく者とは、司城子罕のことである」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『五常訓』巻之一・総論一人に仁義あるは、天に陰陽あるが如し。天に陰陽なければ、造化の理ほろびて、四の時行はれず、万物生ぜずして、天地の道立たず。人に仁義なければ、心の徳ほろび、五倫の道行はれずして、人道立たず。禽獣と何ぞ異ならんや。故に易に曰、天の道を立てて陰と陽といふ。人の道を立てて、仁と義といふ。
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『五常訓』巻之二・仁之上一樊遅仁を問ふ、子曰く人を愛すと。仁は愛をつかさどる。故に仁を行ふの道は、人を愛するにあり。此人の字は、五倫をさして見るべし。人を愛するは、即人倫を愛する也。人の道は仁を行ふにあり。仁を行ふの道は人を愛するにあり。人を愛せんとならば、まづ心の私を去り、人我のへだて無くして、あはれみの心をおしひろむるにあり。愛人を以て仁を説き給ふ。誠に切実にして、近き教なり。
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司馬法・仁本正、意を獲ざれば則ち権(けん)す。権は戦より出で、仁より出でざるなり。是の故に人を殺して人を安んぜば、之を殺すも可なり。其の国を攻むるも、其の民を愛せば、之を攻むるも可なり。
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『武士道』第五章 仁・愛不忍の心・最も剛毅なる者は最も柔和なり『最も剛毅なる者は、最も柔和なり。最も愛ある者は、最も勇敢なり』とは、古今東西の通義なり。武士のなさけとは、人心に妙音を伝へて、高尚なる情感を覚醒するの語なりき。武夫の慈悲の質たる、他者の慈悲と其類を殊にするには非らず。されど仁の武士に於けるは、漠然たる感情より発するものに非らずして、其心に正義を忘れざるにあり。又た其仁は、ただに情緒の発現たるのみに非らずして、而も其後へには生殺与奪の権を有し、恩に兼ぬるに威を以てす。経済学者が、需要に有効無効の別ありと云ふが如く、武士の慈悲は即ち有効なるものと称すべくして、之を受くるものに対して、或は利益を生じ、或は損害を来たすの力を有せり。武士は獣力を栄とし、之を用ふるの特権に誇りたりと雖も、又た深く孟子が仁の力を説くに服するものなりき。
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『文武訓』文訓上之末一人の文字を見ば、よきことは褒め、さほどなきは、かげにてもそしるべからず。人のつとめて作れる文字を、一言にたやすくそしりおとさんもなさけなし。作れる人、そしりを聞かば、本意なく思ひうらみいかるべし。是をそしるは不仁無礼にて、道理にそむくのみならず、人のうらみを受けて悪しし。又あしき文詩を褒むるも、いつはりにて本意にあらず。只其よしあしを云はざらんには如かじ。

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