新序 / 善謀第十
今陛下起豐擊沛,收卒三千人,以之徑往卷蜀漢,定三秦,與項羽大戰七十,小戰四十,使天下民肝腦塗地,父子暴骨中野,不可勝數,哭泣之聲未絶,傷夷者未起而欲北隆成康周公之時,臣竊以為不侔矣。且夫秦地被山帶河,四塞以為固,卒然有急,百萬之衆可具。因秦之故資甚美膏腴之地,此謂天府。陛下入闗而都,山東雖亂,秦故地可全而有也。夫與人鬭而不搤其亢,拊其背,未全勝也。」
新字:今陛下起豊撃沛,収卒三千人,以之径往巻蜀漢,定三秦,与項羽大戦七十,小戦四十,使天下民肝脳塗地,父子暴骨中野,不可勝数,哭泣之声未絶,傷夷者未起而欲北隆成康周公之時,臣窃以為不侔矣。且夫秦地被山帯河,四塞以為固,卒然有急,百万之衆可具。因秦之故資甚美膏腴之地,此謂天府。陛下入関而都,山東雖乱,秦故地可全而有也。夫与人闘而不搤其亢,拊其背,未全勝也。」
書き下し
今陛下豐に起こり沛を擊ち、卒三千人を收む。之を以て徑ちに往きて蜀漢を卷き、三秦を定む。項羽と大戰すること七十、小戰すること四十。天下の民をして肝腦地に塗れ、父子骨を中野に暴さしむること、勝げて數う可からず。哭泣の聲未だ絶えず、傷夷せる者未だ起きず。而るに北のかた成康周公の時よりも隆んならんと欲す。臣竊かに以爲えらく侔しからざるなり、と。且つ夫れ秦の地は山を被り河を帶び、四塞以て固と爲す。卒然として急有らば、百萬の衆具う可し。秦の故に因る。資甚だ美なり。膏腴の地、此れ天府と謂う。陛下關に入りて都せば、山東亂ると雖も、秦の故地全くして有つ可きなり。夫れ人と鬭いて其の亢を搤め、其の背を拊たずんば、未だ全く勝たざるなり、と。
現代語訳
「いま陛下は豊で身を起こし沛を撃ち、兵三千人を集めました。それでまっすぐ進んで蜀と漢を巻き取り、三秦を定めました。項羽と大きな戦いが七十、小さな戦いが四十。天下の民に肝や脳を地に塗らせ、父子が骨を野に晒したことは、数えきれません。泣き声はまだ絶えず、傷ついた者はまだ起き上がれません。それなのに成王・康王・周公の時代より盛んになろうとされている。臣はひそかに、釣り合わないと思います。そのうえ秦の地は山をまとい黄河を帯び、四方が塞がって固めとなっています。急に事があれば、百万の兵をそろえられます。秦の遺産をそのまま使えます。資源はきわめて豊かです。肥えた土地で、これを天の蔵といいます。陛下が関に入って都されれば、山東が乱れても、秦の旧領は丸ごと保てます。そもそも人と闘って喉を絞め、背を打たなければ、勝ちきったとはいえません」。
解説
この章句が説くこと
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