新序 / 善謀第十
御史大夫曰:「不然。臣聞善戰者,以飽待飢,安行定舍,以待其勞,整治施徳,以待其亂,按兵奮衆,深入伐國墮城,故常坐而役敵國,此聖人之兵也。夫衝風之衰也,不能起毛羽;强弩之末力,不能入魯縞。盛之有衰也,猶朝之必暮也,今卷甲而輕舉,深入而長驅,難以為功。夫横行則中絶,從行則迫脅;徐則後利,疾則糧乏,不至千里,人馬絶飢,勞以遇敵,正遺人獲也。意者有他詭妙,可以擒之,則臣不知,不然未見深入之利也。臣故曰勿擊之便。」
新字:御史大夫曰:「不然。臣聞善戦者,以飽待飢,安行定舎,以待其労,整治施徳,以待其乱,按兵奮衆,深入伐国堕城,故常坐而役敵国,此聖人之兵也。夫衝風之衰也,不能起毛羽;強弩之末力,不能入魯縞。盛之有衰也,猶朝之必暮也,今巻甲而軽舉,深入而長駆,難以為功。夫横行則中絶,従行則迫脅;徐則後利,疾則糧乏,不至千里,人馬絶飢,労以遇敵,正遺人獲也。意者有他詭妙,可以擒之,則臣不知,不然未見深入之利也。臣故曰勿撃之便。」
書き下し
御史大夫曰く、然らず。臣聞く、善く戰う者は、飽を以て飢を待ち、安んじて行き定まりて舍り、以て其の勞を待ち、整治施德して、以て其の亂を待つ、と。兵を按じ衆を奮い、深く入りて國を伐ち城を墮す。故に常に坐して敵國を役す。此れ聖人の兵なり。夫れ衝風の衰うるや、毛羽を起こす能わず。强弩の末力、魯縞に入る能わず。盛んなるに衰うる有るは、猶お朝の必ず暮るるがごときなり。今甲を卷きて輕く舉げ、深く入りて長く驅る。以て功と爲し難し。夫れ横行すれば則ち中絶し、從行すれば則ち迫脅す。徐なれば則ち利に後れ、疾ければ則ち糧乏し。千里に至らずして、人馬絶えて飢う。勞して以て敵に遇うは、正に人に獲を遺すなり。意うに他の詭妙有りて、以て之を擒らう可くんば、則ち臣知らず。然らずんば未だ深く入るの利を見ざるなり。臣故に曰く、之を擊つ勿きの便なり、と。
現代語訳
御史大夫は言った。「そうではありません。臣はこう聞いております、よく戦う者は、飽きるほど食って飢えた敵を待ち、落ち着いて行き定まって宿り、敵の疲れを待ち、整えて徳を施し、敵の乱れを待つ、と。兵を抑えて士気を奮い立たせ、深く入って国を伐ち城を落とす。だから常に座ったまま敵国を働かせるのです。これが聖人の兵です。そもそも突風も衰えれば、羽毛さえ動かせません。強い弩も末の力では、魯の薄絹さえ貫けません。盛んなものに衰えがあるのは、朝が必ず暮れるようなものです。いま甲冑を巻いて身軽に発ち、深く入って長く駆ける。功とするのは難しい。そもそも横に行けば真ん中が切れ、縦に行けば脇から迫られる。ゆっくり行けば機を逃し、速く行けば糧が乏しい。千里に至らないうちに、人も馬も飢え切ります。疲れた状態で敵に遭うのは、まさに相手に獲物をくれてやることです。思うに何か別の巧妙な策があって、これを捕らえられるというなら、臣は存じません。そうでなければ、深く入る利は見出せません」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『新論』守禦所謂資糧を峙ふとは何ぞや。凡そ軍の需むる所、之を府庫に貯ふる者は、以て守城の用に備ふべくして、戦陣無窮の需を待つに足らず。之を市廛に資る者は、以て平居演習の用に供すべくして、一旦不虞の変に応ずるに足らず。故に硝黄・膠漆・皮革・枲麻、凡そ水土の産する所は、宜しく諸国をして多く之を生ぜしむべくして、之を遠境に仰ぐを容れざるなり。甲冑・干鹵、刀剣・槍槊、弓矢・銃礮、凡そ人工の作る所は、宜しく間暇に及びて多く之を繕ふべし。要は愈用ゐて愈竭きざるに在るなり。
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『甲陽軍鑑』品第四十三右之三人談合して、西は美濃岩村·同かんの大寺·三河野田足助·関東相摸·武蔵境·新田足利境·越後境·飛弾·越中·椎名が居舘迄通り筋に、ぬかわら出し置き、是れは御分国にて百貫の高に付、糠二十俵·藁二十把出させ、是れを置きて道通り町人·百姓に十分一をくれて、やすくうらする故、度々の陣にも諸侍糠·藁にことかく事なし、殊に糠·藁うつたる代物をば本の百姓へ返へすなり、上意なれ共如件、おしばかるは是れ以て信玄公御自利能人を召つかひ給ふ故なり一信虎公の御代には、
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孫子・作戦篇孫子曰く、凡そ兵を用うるの法は、馳車千駟、革車千乗、帯甲十万、千里に糧を饋る。則ち内外の費、賓客の用、膠漆の材、車甲の奉、日に千金を費やし、然る後に十万の師挙がるなり。
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史記 酈生陸賈列伝之に謝す。酈生因りて六国従横の時を言ふ。沛公喜び、酈生に食を賜ひ、問ひて曰く、「計将に安くにか出でん」と。酈生曰く、「足下糾合の衆を起こし、散乱の兵を収むるも、万人に満たず。以て径ちに彊秦に入らんと欲す、此れ所謂虎口を探る者なり。夫れ陳留は天下の衝、四通五達の郊なり。今其の城又多く粟を積む。臣其の令に善し、請ふ之に使ひして、足下に下らしめん。即し聴かずんば、足下兵を挙げて之を攻めよ、臣内応と為らん」と。是に於て酈生を遣はして行かしめ、沛公兵を引きて之に随ひ、遂に陳留を下す。酈食其を号して広野君と為す。酈生其の弟酈商を言ひ、数千人を将ゐて沛公に従ひ西南に地を略せしむ。酈生常に説客と為り、諸侯に馳使す。漢の三年秋、項羽漢を撃ち、滎陽を抜く。漢兵遁れて鞏・洛を保つ。楚人淮陰侯の趙を破り、彭越の数(しばしば)梁の地に反するを聞き、則ち兵を分かちて之を救ふ。淮陰方に東して斉を撃ち、漢王数滎陽・成皋に困しみ、成皋以東を捐てて、鞏・洛に屯して以て楚を拒がんと計欲す。酈生因りて曰く、
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史記 項羽本紀漢の軍皆走り、相随ひて穀・泗水に入り、漢の卒十余万人を殺す。漢の卒皆南のかた山に走る、楚又追撃して霊壁の東睢水の上に至る。漢の軍卻き、楚の擠す所と為り、多く殺さる、漢の卒十余万人皆睢水に入り、睢水之が為に流れず。漢王を囲むこと三匝。是に於て大風西北より起こり、木を折り屋を発し、沙石を揚げ、窈冥にして昼晦く、楚の軍に逢迎す。楚の軍大いに乱れ、壊散す、而して漢王乃ち数十騎と遁れ去るを得たり、沛を過ぎ、家室を収めて西せんと欲す。楚も亦人をして之を沛に追はしめ、漢王の家を取らんとす。家皆亡げ、漢王と相見えず。漢王道に孝恵・魯元に逢ひ得て、乃ち載せて行く。楚の騎漢王を追ふ、漢王急にして、孝恵・魯元を車下に推し墮す、滕公常に下りて収めて之を載す。是くの如き者三たび。曰く、「急なりと雖も以て駆るべからず、柰何ぞ之を棄てん。」と。是に於て遂に脱するを得たり。太公・呂后を求むるも相遇はず。審食其太公・呂后に従ひて間行し、漢王を求む、反りて楚の軍に遇ふ。楚の軍遂に与に帰り、項王に報ず、項王常に軍中に置く。是の時呂后の兄周呂侯漢の為に兵を将ゐて下邑に居る、漢王間かに往きて之に従ひ、稍稍其の士卒を収む。滎陽に至り、諸々の敗軍皆会す、蕭何も亦関中の老弱の未だ傅せざる者を発して悉く滎陽に詣らしめ、復た大いに振るふ。楚彭城より起こり、常に勝ちに乗じて北ぐるを逐ひ、漢と滎陽の南京・索の間に戦ふ、漢楚を敗る、楚故を以て滎陽を過ぎて西する能はず。項王の彭城を救ひ、漢王を追ひて滎陽に至る、田横も亦斉を収むるを得て、田栄の子広を立てて斉王と為す。漢王の彭城に敗るるや、諸侯皆復た楚に与して漢に背く。漢滎陽に軍し、甬道を築きて之を河に属し、以て敖倉の粟を取る。漢の三年、項王数(しばしば)漢の甬道を侵奪す、漢王食乏しく、恐れ、和を請ひ、滎陽以西を割きて漢と為さんとす。
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孫子・行軍篇奔走して兵を陳ぬる者は、期するなり。半ば進み半ば退く者は、誘うなり。

人生を、一行の式にしてみた。
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