新序 / 雜事第五
宋玉因其友以見於楚襄王,襄王待之無以異。宋玉讓其友。其友曰:「夫薑桂因地而生,不因地而辛;婦人因媒而嫁,不因媒而親。子之事王未耳,何怨於我?」宋玉曰:「不然昔者,齊有良兎曰東郭㕙蓋一旦而走五百里,於是齊有良狗曰韓盧,亦一旦而走五百里,使之遥見而指屬,則雖韓盧不及衆兎之塵,若躡迹而縱緤,則雖東郭㕙亦不能離。今子之屬臣也,躡迹而縱緤與?遥見而指屬與?詩曰:『將安將樂,棄我如遺。』此之謂也。」其友人曰:「僕人有過,僕人有過。」
新字:宋玉因其友以見於楚襄王,襄王待之無以異。宋玉譲其友。其友曰:「夫薑桂因地而生,不因地而辛;婦人因媒而嫁,不因媒而親。子之事王未耳,何怨於我?」宋玉曰:「不然昔者,斉有良兎曰東郭㕙蓋一旦而走五百里,於是斉有良狗曰韓盧,亦一旦而走五百里,使之遥見而指属,則雖韓盧不及衆兎之塵,若躡迹而縦緤,則雖東郭㕙亦不能離。今子之属臣也,躡迹而縦緤与?遥見而指属与?詩曰:『将安将楽,棄我如遺。』此之謂也。」其友人曰:「僕人有過,僕人有過。」
書き下し
宋玉其の友に因りて以て楚の襄王に見ゆ。襄王之を待つに以て異なる無し。宋玉其の友を讓む。其の友曰く、夫れ薑桂は地に因りて生ずるも、地に因りて辛からず。婦人は媒に因りて嫁するも、媒に因りて親しからず。子の王に事うること未だしきのみ。何ぞ我を怨まん、と。宋玉曰く、然らず。昔者、齊に良兎有りて東郭㕙と曰う。蓋し一旦にして五百里を走る。是に於いて齊に良狗有りて韓盧と曰う。亦た一旦にして五百里を走る。之をして遙かに見て指し屬せしむれば、則ち韓盧と雖も衆兎の塵に及ばず。若し迹を躡みて緤を縱たば、則ち東郭㕙と雖も亦た離るる能わず。今子の臣に屬するや、迹を躡みて緤を縱つか、遙かに見て指し屬するか。詩に曰く、將た安んじ將た樂しみ、我を棄つること遺るるが如し、と。此の謂いなり、と。其の友人曰く、僕人に過ち有り、僕人に過ち有り、と。
現代語訳
宋玉が友人の伝手で楚の襄王に謁見した。襄王の扱いは、他と変わるところがなかった。宋玉はその友人を責めた。その友人は言った。「そもそも生姜や桂は土地によって生えるが、土地のおかげで辛いのではない。婦人は仲人によって嫁ぐが、仲人のおかげで親しくなるのではない。あなたが王に仕えるのがまだ足りないだけだ。どうして私を怨むのか」。宋玉は言った。「そうではない。昔、斉に良い兎がいて東郭㕙といった。一日に五百里を走った。そこで斉に良い犬がいて韓盧といった。これも一日に五百里を走った。これを遠くから見て指さして差し向けたなら、韓盧でさえ兎の巻き上げる土ぼこりにも追いつけない。もし足跡をたどらせて綱を放ったなら、東郭㕙でさえ振り切ることはできない。いまあなたが私を差し向けたのは、足跡をたどって綱を放ったのか、遠くから見て指さしたのか。『詩経』に『安らかに楽しんで、私を捨てること忘れ物のようだ』とある。これのことだ」。その友人は言った。「私に過ちがあった、私に過ちがあった」。
解説
この章句が説くこと
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『晏子春秋』諫上・景公從畋十八日不返國晏子諫景公、署梁に畋し、十有八日にして返らず。晏子、国より往きて公に見ゆ。至るに比び、衣冠正しからず。衣冠を革めず、遊を望みて馳す。公、晏子を望み見、車を下りて逆え労いて曰く、「夫子、何ぞ遽かなる。国家に故有ること無きか」と。晏子対えて曰く、「亦急ならずや。然りと雖も、嬰、復すること有らんことを願う。国人皆君を以て野に安んじて国に安んぜず、獣を好みて民を悪むと為す。乃ち不可ならざらんや」と。公曰く、「何ぞや。吾、夫婦の獄訟の正しからざるが為ならば、則ち泰士子牛存せり。社稷宗廟の享けざるが為ならば、則ち泰祝子遊存せり。諸侯賓客の之に応ずる莫きが為ならば、則ち行人子羽存せり。田野の辟かれず、倉庫の実たざるが為ならば、則ち申田存せり。国家の余り有り不足あるを聘うが為ならば、則ち吾が子存せり。寡人の五子有るは、猶お心の四支有るがごとし。心に四支有り、故に心は佚を得たり。今、寡人に五子有り、故に寡人は佚を得たり。豈に不可ならんや」と。晏子対えて曰く、「嬰之を聞く、君の言とは異なり。若し乃ち心に四支有りて、心は佚を得ば、則ち可なり。四支をして心無からしめて、十有八日、亦久しからずや」と。公、是に於いて畋を罷めて帰る。
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戦国策・謂公叔曰乘舟公叔に謂いて曰く、「舟に乘るに、舟漏れて塞がざれば、則ち舟沈まん。漏舟を塞ぎて、陽侯の波を輕んずれば、則ち舟覆らん。今公自ら薛公に辯ずるを以て秦を輕んずるは、是れ漏舟を塞ぎて陽侯の波を輕んずるなり、願わくは公之を察せよ。」
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史記 田敬仲完世家諸侯之を聞き、敢へて兵を斉に致すもの莫きこと二十余年。騶忌子琴を鼓するを以て威王に見ゆ。威王説びて之を右室に舎らしむ。須臾にして、王琴を鼓す。騶忌子戸を推して入りて曰く、「善いかな琴を鼓すること」と。王勃然として説ばず、琴を去りて剣を按じて曰く、「夫子容を見て未だ察せず。何を以てか其の善きを知る」と。騶忌子曰く、「夫れ大絃の濁りて以て春のごとく温かなるは、君なり。小絃の廉折にして以て清きは、相なり。之を攫むこと深く、之を醳つこと愉なるは、政令なり。鈞諧して以て鳴り、大小相益し、回邪して相害せざるは、四時なり。吾是を以て其の善きを知る」と。王曰く、「善く音を語る」と。騶忌子曰く、「何ぞ独り音を語るのみならん。夫れ国家を治めて人民を弭むること皆其の中に在り」と。王又勃然として説ばずして曰く、「夫の五音の紀を語るが若きは、信に未だ夫子の如き者有らざるなり。夫の国家を治めて人民を弭むるが若きは、又何為れぞ糸桐の閒に乎てせん」と。騶忌子曰く、「夫れ大絃の濁りて以て春のごとく温かなるは、君なり。小絃の廉折にして以て清きは、相なり。之を攫むこと深くして之を捨つること愉なるは、政令なり。鈞諧して以て鳴り、大小相益し、回邪して相害せざるは、四時なり。夫れ復して乱れざる者は、治昌なる所以なり。連なりて径なる者は、亡を存する所以なり。故に曰く琴音調ひて天下治まると。夫れ国家を治めて人民を弭むる者は、五音に若くは無し」と。王曰く、「善し」と。騶忌子見えて三月にして相印を受く。淳于髡之に見えて曰く、「善く説くかな。髡に愚志有り、願はくは諸を前に陳べん」と。騶忌子曰く、「謹んで教へを受けん」と。淳于髡曰く、「全きを得れば全く昌え、全きを失へば全く亡ぶ」と。騶忌子曰く、「謹んで令を受く。請ふ謹んで前を離るる毋からん」と。淳于髡曰く、「狶膏棘軸は、滑らかと為す所以なり。然れども方穿を運らすこと能はず」と。騶忌子曰く、「謹んで令を受く。請ふ謹んで左右に事へん」と。
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人物志・九徵猶ほ火日の外を照らして、內を見る能はず、金水の內に映じて、外に光る能はざるがごとし。
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史記 田敬仲完世家淳于髡曰く、「弓膠昔干は、合を為す所以なり。然れども疎罅を傅合すること能はず」と。騶忌子曰く、「謹んで令を受く。請ふ謹んで自ら万民に附かん」と。淳于髡曰く、「狐裘は敝ると雖も、補ふに黄狗の皮を以てすべからず」と。騶忌子曰く、「謹んで令を受く。請ふ謹んで君子を択び、小人を其の閒に雑ふる毋からん」と。淳于髡曰く、「大車も較せずんば、其の常任を載すること能はず。琴瑟も較せずんば、其の五音を成すこと能はず」と。騶忌子曰く、「謹んで令を受く。請ふ謹んで法律を修めて姦吏を督さん」と。淳于髡説き畢はり、趨りて出で、門に至りて、其の仆に面して曰く、「是の人は、吾之に微言五を語る。其の我に応ずること響の声に応ずるが若し。是の人必ず封ぜらるること久しからざらん」と。朞に居りて、封ずるに下邳を以てし、号して成侯と曰ふ。威王二十三年、趙王と平陸に会す。二十四年、魏王と郊に会して田す。
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