新序 / 雜事第四
桓公田,至於麥丘,見麥丘邑人,問之:「子何為者也?」對曰:「麥丘邑人也。」公曰:「年幾何?」對曰:「八十有三矣。」公曰:「美哉壽乎!子其以子壽祝寡人。」麥丘邑人曰:「祝主君,使主君甚壽,金玉是賤,人為寶。」桓公曰:「善哉!至徳不孤,善言必再,吾子其復之。」麥丘邑人曰:「祝主君,使主君無羞學,無惡下問,賢者在傍,諫者得人。」桓公曰:「善哉!至徳不孤,善言必三,吾子其復之。」麥丘邑人曰:「祝主君,使主君無得罪於羣臣百姓。」桓公怫然作色曰:「吾聞之,子得罪於父,臣得罪於君,未嘗聞君得罪於臣者也,此一言者,非夫二言者之匹也,子更之。」麥丘邑人坐拜而起曰:「此一言者,夫二言之長也,子得罪於父,可以因姑姊叔父而解之,父能赦之。臣得罪於君,可以因便辟左右而謝之,君能赦之。昔桀得罪於湯,紂得罪於武王,此則君之得罪於其臣者也。莫為謝,至今不赦。」公曰:「善,賴國家之福,社稷之靈,使寡人得吾子於此。」扶而載之,自御以歸,禮之於朝,封之以麥丘,而斷政焉。
新字:桓公田,至於麦丘,見麦丘邑人,問之:「子何為者也?」対曰:「麦丘邑人也。」公曰:「年幾何?」対曰:「八十有三矣。」公曰:「美哉寿乎!子其以子寿祝寡人。」麦丘邑人曰:「祝主君,使主君甚寿,金玉是賤,人為宝。」桓公曰:「善哉!至徳不孤,善言必再,吾子其復之。」麦丘邑人曰:「祝主君,使主君無羞学,無悪下問,賢者在傍,諫者得人。」桓公曰:「善哉!至徳不孤,善言必三,吾子其復之。」麦丘邑人曰:「祝主君,使主君無得罪於羣臣百姓。」桓公怫然作色曰:「吾聞之,子得罪於父,臣得罪於君,未嘗聞君得罪於臣者也,此一言者,非夫二言者之匹也,子更之。」麦丘邑人坐拝而起曰:「此一言者,夫二言之長也,子得罪於父,可以因姑姊叔父而解之,父能赦之。臣得罪於君,可以因便辟左右而謝之,君能赦之。昔桀得罪於湯,紂得罪於武王,此則君之得罪於其臣者也。莫為謝,至今不赦。」公曰:「善,頼国家之福,社稷之霊,使寡人得吾子於此。」扶而載之,自御以帰,礼之於朝,封之以麦丘,而断政焉。
書き下し
桓公田す。麥丘に至り、麥丘の邑人を見る。之に問う、子は何を爲す者ぞ、と。對えて曰く、麥丘の邑人なり、と。公曰く、年幾何ぞ、と。對えて曰く、八十有三なり、と。公曰く、美なるかな壽や。子其れ子の壽を以て寡人を祝せ、と。麥丘の邑人曰く、主君を祝す。主君をして甚だ壽ならしめ、金玉是れ賤しく、人を寶と爲さしめん、と。桓公曰く、善いかな。至德は孤ならず、善言は必ず再びす。吾子其れ之を復せ、と。麥丘の邑人曰く、主君を祝す。主君をして學を羞ずる無く、下問を惡む無く、賢者傍らに在り、諫むる者人を得しめん、と。桓公曰く、善いかな。至德は孤ならず、善言は必ず三たびす。吾子其れ之を復せ、と。麥丘の邑人曰く、主君を祝す。主君をして罪を羣臣百姓に得る無からしめん、と。桓公怫然として色を作して曰く、吾之を聞く、子は罪を父に得、臣は罪を君に得、と。未だ嘗て君の罪を臣に得る者を聞かざるなり。此の一言なる者は、夫の二言なる者の匹に非ず。子之を更めよ、と。麥丘の邑人坐して拜して起ちて曰く、此の一言なる者は、夫の二言の長なり。子罪を父に得れば、姑・姊・叔父に因りて之を解く可し。父能く之を赦す。臣罪を君に得れば、便辟左右に因りて之を謝す可し。君能く之を赦す。昔桀罪を湯に得、紂罪を武王に得たり。此れ則ち君の罪を其の臣に得たる者なり。爲に謝する莫く、今に至るまで赦されず、と。公曰く、善し。國家の福、社稷の靈に賴りて、寡人をして吾子を此に得しむ、と。扶けて之を載せ、自ら御して以て歸り、之を朝に禮し、之を封ずるに麥丘を以てして、政を斷ぜしむ。
現代語訳
桓公が狩りをした。麦丘に至り、麦丘の里人を見た。これに問うた。「そなたは何をする者か」。答えた。「麦丘の里人です」。公は言った。「年はいくつか」。答えた。「八十三です」。公は言った。「めでたい長寿だな。そなたのその長寿をもって私を祝ってくれ」。麦丘の里人は言った。「主君を祝します。主君がたいそう長寿であられ、金や玉を賤しみ、人を宝となさいますように」。桓公は言った。「よいことを言う。至れる徳は孤立しない、よい言葉は必ず二度あるものだ。もう一度言ってくれ」。麦丘の里人は言った。「主君を祝します。主君が学ぶことを恥じず、目下に問うことを嫌わず、賢者がそばにあり、諫める者に人を得られますように」。桓公は言った。「よいことを言う。至れる徳は孤立しない、よい言葉は必ず三度あるものだ。もう一度言ってくれ」。麦丘の里人は言った。「主君を祝します。主君が群臣や民に罪を得ることがありませんように」。桓公はむっとして顔色を変えて言った。「私はこう聞いている、子は父に罪を得、臣は君に罪を得る、と。君が臣に罪を得るなどとは聞いたことがない。この一言は、あの二言に釣り合うものではない。言い直せ」。麦丘の里人は座って拝んでから立ち上がって言った。「この一言こそ、あの二言よりも上です。子が父に罪を得れば、おばや姉、おじを通じて解いてもらえます。父は赦すことができます。臣が君に罪を得れば、側近を通じて詫びることができます。君は赦すことができます。昔、桀は湯に罪を得、紂は武王に罪を得ました。これが君が臣に罪を得たということです。詫びてくれる者がなく、今に至るまで赦されておりません」。公は言った。「もっともだ。国家の福と社稷の霊に頼って、私はここでそなたを得た」。助け起こして車に乗せ、自ら手綱を取って帰り、朝廷でこれを礼遇し、麦丘に封じて、政を裁かせた。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『春秋左氏伝』僖公十五年 韓原の戦い壬戌、韓原に戰ふ。晉の戎馬濘に還りて止まる。公慶鄭を號ぶ。慶鄭曰く、「諫に愎り卜に違ふ、固より敗を是れ求む、又何ぞ逃れん」と。遂に之を去る。梁由靡韓簡を御し、虢射右と為り、秦伯を輅へ、將に之を止めんとす。鄭公を救ふを以て之を誤らしめ、遂に秦伯を失ふ。秦晉侯を獲て以て歸る。晉の大夫首を反し舍を拔きて、之に從ふ。秦伯使ひして辭せしめて曰く、「二三子何ぞ其れ慼へるや。寡人の君に從ひて西するや、亦た晉の妖夢を是れ踐むのみ、豈に敢へて以て至らんや」と。晉の大夫三拜稽首して曰く、「君は后土を履みて皇天を戴く。皇天后土、實に君の言を聞く、群臣敢へて下風に在らん」と。穆姬晉侯の將に至らんとするを聞き、大子罃・弘と女簡・璧とを以て、臺に登りて薪を履む。免服衰絰を以て逆へしめ、且つ告げしめて曰く、「上天災を降し、我が兩君をして玉帛を以て相見えずして、戎を興すを以てせしむ。若し晉君朝に以て入らば、則ち婢子夕べに以て死せん。夕べに以て入らば、則ち朝に以て死せん。唯だ君之を裁け」と。乃ち諸を靈臺に舍らしむ。
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葉隠・聞書第一諫言(かんげん)の道に、我(われ)其の位(くらい)にあらずば、其の位の人に言はせて、御誤(おあやまり)直(なお)る様にするが大忠(たいちゅう)なり。此の階(かい)の為に諸人(しょにん)と懇意(こんい)する所なり。我が為にすれば追従(ついしょう)なり。一方(いっぽう)は我等(われら)荷(にな)ひ申す心入(こころいれ)からなり。成程(なるほど)なるものなり。
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史記 宋微子世家微子開は、殷の帝乙の首子にして帝紂の庶兄なり。紂既に立ち、明らかならず、政に淫乱す。微子数々諫むるも、紂聴かず。祖伊周の西伯昌の徳を修め、黎国を滅ぼすを以て、禍の至らんことを懼れ、以て紂に告ぐるに及ぶ。紂曰く、「我が生は命天に在る有らずや。是れ何をか能く為さん」と。是に於て微子、紂の終に諫むべからざるを度り、之に死せんと欲し、及び去らんとするも、未だ自ら決すること能はず。乃ち太師・少師に問ひて曰く、「殷は治政有らず、四方を治めず。我が祖遂に上に陳ぶ。紂酒に沈湎し、婦人是れ用ひ、湯の徳を下に乱敗す。殷既に小大好んで草窃姦宄し、卿士師師度に非ず、皆罪辜有り、乃ち維れ獲ること无し。小民乃ち并び興り、相敵讎と為る。今殷其れ典喪へり。水を渉るに津涯无きが若し。殷遂に喪ひ、越に今に至る」と。曰く、「太師、少師、我其れ発して出で往かんか。吾が家喪に保たんか。今女故无くして予に告ぐ。顛躋(てんせい)せば、之を如何せん」と。太師若(かく)のごとく曰く、「王子、天篤く菑(わざはひ)を下して殷国を亡ぼす。乃ち畏るべきを畏れず、老長を用ひず。今殷の民乃ち神祇の祀を陋淫す。今誠に国を治むるを得ば、国治まりて身死すとも恨みず。死を為して、終に治むるを得ずんば、去るに如かず」と。遂に亡ぐ。箕子は、紂の親戚なり。紂始めて象箸を為る。箕子嘆じて曰く、「彼象箸を為らば、必ず玉桮を為らん。桮を為らば、則ち必ず遠方の珍怪の物を思ひて之を御せん。輿馬宮室の漸、此より始まり、振ふべからず」と。紂淫泆を為す。箕子諫むるも、聴かず。人或いは曰く、「以て去るべし」と。箕子曰く、「人臣為りて諫めて聴かれずして去るは、是れ君の悪を彰らかにして自ら民に説(よろこ)ばるるなり。吾為すに忍びざるなり」と。乃ち髪を被り詳狂して奴と為る。遂に隠れて琴を鼓きて以て自ら悲しむ。故に之を伝へて箕子操と曰ふ。王子比干は、亦た紂の親戚なり。
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史記 季布欒布列伝中郎将と為る。単于嘗て書を為りて呂后を嫚り、不遜なり、呂后大いに怒り、諸将を召して之を議す。上将軍樊噲曰く「臣願はくは十万の衆を得て、匈奴の中に横行せん」と。諸将皆呂后の意に阿り、「然り」と曰ふ。季布曰く「樊噲斬るべきなり。夫れ高帝兵四十余万の衆を将ゐて、平城に困しむ、今噲柰何ぞ十万の衆を以て匈奴の中に横行せんとするは、面欺なり。且つ秦胡に事とするを以て、陳勝等起こる。今に于て創痍未だ瘳えず、噲又面諛し、天下を揺動せんと欲す」と。是の時殿上皆恐れ、太后朝を罷め、遂に復た匈奴を撃つ事を議せず。
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史記 楽書上は朝廷より、下は人民に至るまで、以て歓喜を接し、殷勤を合するを得、此の和説に非ずんば通ぜず、解沢流れず、亦各々一世の化、時を度るの楽なり、何ぞ必ずしも華山の騄耳にして而る後に遠きを行かんや」と。二世之を然りとす。高祖、沛を過りて三侯の章を詩し、小児をして之を歌はしむ。高祖崩じ、沛をして四時に宗廟に歌舞するを得しむ。孝恵・孝文・孝景は増更する所無く、楽府に於いて常を習ひ旧を肄ふのみ。今上即位するに至り、十九章を作り、侍中李延年をして其の声を次序せしめ、拝して協律都尉と為す。一経に通ずるの士も独り其の辞を知る能はず、皆五経の家を集会し、相与に共に講習して之を読み、乃ち能く其の意を通知す、多く爾雅の文なり。漢家常に正月上辛を以て太一を甘泉に祠り、昏時を以て夜祠り、明に到りて終はる。常に流星の祠壇の上を経る有り。僮男僮女七十人をして俱に歌はしむ。春は青陽を歌ひ、夏は朱明を歌ひ、秋は西暤を歌ひ、冬は玄冥を歌ふ。世に多く有り、故に論ぜず。又嘗て神馬を渥洼の水中に得て、復た次して以て太一の歌と為す。歌曲に曰く、「太一貢ぎて天馬下る、赤汗に霑ひて沫赭を流す。騁せて容与として万里を跇ゆ、今安んぞ匹せん、龍を友と為す」と。後に大宛を伐ちて千里の馬を得、馬の名は蒲梢、次して作りて以て歌と為す。歌詩に曰く、「天馬来たる、西極よりす。万里を経て有徳に帰す。霊威を承けて外国を降し、流沙を渉りて四夷服す」と。中尉汲黯進みて曰く、「凡そ王者の楽を作るは、上は以て祖宗を承け、下は以て兆民を化す。今陛下馬を得て、詩して以て歌と為し、宗廟に協す、先帝百姓豈に能く其の音を知らんや」と。上黙然として説ばず。丞相公孫弘曰く、「黯は聖制を誹謗す、当に族すべし」と。凡そ音の起こるは、人心より生ずるなり。人心の動くは、物之をして然らしむるなり。
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『十善法語』巻第十・不邪見戒之上又喩ヘテ云ハ。賢君明主ハ忠臣ヲ信任シ。諫言ヲ用ル如クシヤ。漢ノ高祖カ諫ニ従フコト流ノ如ク。唐ノ太宗ノ魏徴カ苦諫ノ言ヲ用ヒアリシ類。ソノ如ク。正法ノ因縁アル者ハ必ス不邪見戒ニ随順スルシヤ。此ニ反シテ宿福ナキ者ハ。智者モ愚者モ。学者モ不学者モ仏アルコトヲ信セヌ。法アルコトヲ信セヌ。聖賢アルコトヲ信セヌ。神祇有コトヲ信セヌ。善悪報応有コトヲ信セヌシヤ。

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