新序 / 雜事第五
遂以自賢,驕盈不止閔王亡走衛,衛君避宫舍之,稱臣而供具,閔王不遜,衛人侵之,閔王去走鄒、魯,有驕色,鄒、魯不納,遂走莒,楚使淖齒將兵救齊,因相閔王,淖齒擢閔王之筋,而懸之廟梁,宿昔而殺之,而與燕共分齊地。悲夫閔公臨大齊之國,地方數千里,然而兵敗於諸侯,地奪於燕昭,宗廟䘮亡,社稷不祀,宫室空虚身亡逃竄,甚於徒𨽻尚不知所以亡,甚可痛也,猶自以為賢,豈不哀哉!公玉丹徒𨽻之中,而道之謟佞,甚矣!閔王不覺,追而善之,以辱為榮,以憂為樂,其亡晚矣,而卒見殺。
新字:遂以自賢,驕盈不止閔王亡走衛,衛君避宫舎之,称臣而供具,閔王不遜,衛人侵之,閔王去走鄒、魯,有驕色,鄒、魯不納,遂走莒,楚使淖齒将兵救斉,因相閔王,淖齒擢閔王之筋,而懸之廟梁,宿昔而殺之,而与燕共分斉地。悲夫閔公臨大斉之国,地方数千里,然而兵敗於諸侯,地奪於燕昭,宗廟喪亡,社稷不祀,宫室空虚身亡逃竄,甚於徒𨽻尚不知所以亡,甚可痛也,猶自以為賢,豈不哀哉!公玉丹徒𨽻之中,而道之謟佞,甚矣!閔王不覚,追而善之,以辱為栄,以憂為楽,其亡晩矣,而卒見殺。
書き下し
遂に以て自ら賢とし、驕盈して止まず。閔王亡げて衞に走る。衞君宮を避けて之を舍らしめ、臣と稱して供具す。閔王遜らず。衞人之を侵す。閔王去りて鄒・魯に走る。驕色有り。鄒・魯納れず。遂に莒に走る。楚淖齒をして兵を將いて齊を救わしむ。因りて閔王に相たり。淖齒閔王の筋を擢きて、之を廟梁に懸け、宿昔にして之を殺し、燕と共に齊の地を分かつ。悲しいかな、閔公は大齊の國に臨み、地は方數千里。然り而して兵は諸侯に敗れ、地は燕昭に奪われ、宗廟喪亡し、社稷祀られず、宮室空虛にして、身は亡げ逃竄すること徒隸よりも甚だし。尚お亡ぶる所以を知らず。甚だ痛む可きなり。猶お自ら以て賢と爲す。豈に哀しからずや。公玉丹は徒隸の中にして、之を道くに謟佞を以てす。甚だしいかな。閔王覺らず、追いて之を善しとし、辱を以て榮と爲し、憂いを以て樂と爲す。其の亡ぶること晩し。而して卒に殺さる。
現代語訳
そのまま自分を賢いと思い込み、驕り高ぶって止まらなかった。閔王は逃げて衛へ走った。衛君は宮殿を空けてそこに泊まらせ、臣と称して食事を供した。閔王はへりくだらなかった。衛の人はこれを攻めた。閔王は去って鄒・魯へ走った。驕った顔つきをしていた。鄒と魯は受け入れなかった。ついに莒へ走った。楚は淖歯に兵を率いて斉を救わせた。そこで閔王の宰相となった。淖歯は閔王の筋を引き抜いて、廟の梁に吊るし、一晩おいてこれを殺し、燕とともに斉の地を分けた。悲しいことだ。閔公は大国斉に君臨し、領地は数千里四方であった。それなのに兵は諸侯に敗れ、地は燕の昭王に奪われ、宗廟は失われ、国家は祀られず、宮殿は空になり、身は逃げ隠れることが下働きよりもひどかった。それでも滅んだ理由を知らなかった。まことに痛ましいことである。それでもなお自分を賢いと思っていた。哀しいことではないか。公玉丹は下働きの身でありながら、これを導くのにへつらいをもってした。ひどいことである。閔王は気づかず、後になってそれをよしとし、辱めを栄誉とし、憂いを楽しみとした。その滅びは遅すぎたくらいである。そしてついに殺された。
解説
この章句が説くこと
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『新序』雜事第五齊の閔王亡げて衞に居る。晝日步り走る。公玉丹に謂いて曰く、我已に亡げたり。而して其の故を知らず。吾の亡ぶる所以の者は、其れ何ぞや、と。公玉丹對えて曰く、臣王を以て已に之を知れりと爲す。王故に尚お未だ之を知らざるか。王の亡ぶる所以の者は、賢なるを以てなり。天下の主皆な不肖なるを以て、王の賢なるを惡む。因りて相い與に兵を合わせて王を攻む。此れ王の亡ぶる所以なり、と。閔王慨然として太息して曰く、賢は固より是くの若く其れ苦なるか、と。丹又た閔王に謂いて曰く、古人に辭有り、天下憂色無き者、臣其の聲を聞けり。王に於いて其の實を見る。王は名は東帝と稱し、實は天下を有つ。國を去りて衞に居るも、容貌充盈し、顏色發揚し、國を重んずるの意無し、と。王曰く、甚だ善し。丹は寡人の國を去りてより衞に居るや、帶三たび益せるを知れり、と。
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呂氏春秋・審己④齊の湣王、亡げて衛に居る。晝日歩足し、公玉丹に謂いて曰く、「我已に亡せり、而れども其の故を知らず。吾が亡せる所以は、果して何の故ぞや。我當に已むべし。」公玉丹答えて曰く、「臣、王を以て已に之を知れりと為す。王故ぞ尚ほ未だ之を知らざるや。王の亡せし所以は、賢を以てなり。天下の王は皆不肖にして、王の賢なるを惡むや、因りて相與に兵を合せて王を攻む。此れ王の亡せし所以なり。」湣王慨焉として太息して曰く、「賢は固より是くの若く其れ苦しきか。」此も亦た其の所以を知らざるなり。此れ公玉丹の過つ所以なり。
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『新序』雜事第五是より先、靖郭君其の百姓を殘賊し、其の羣臣を害傷す。國人將に背叛して共に之を逐わんとす。其の御之を知り、豫め齎食を裝う。亂の作るに及び、靖郭君出亡す。野に至りて饑う。其の御裝う所の食を出だして之を進む。靖郭君曰く、何を以て之を知りて食を齎せる、と。對えて曰く、君の暴虐なる、其の臣下の謀ること久しきなり、と。靖郭君怒りて、食らわず。曰く、吾が賢を以て至りて聞こゆるなり。何ぞ暴虐と謂わんや、と。其の御懼れて曰く、臣の言過てり。君は實に賢なり。唯だ羣臣不肖にして共に賢を害せるのみ、と。然る後に靖郭君悦び、然る後に食らう。故に齊の閔王・靖郭君は、死亡に至ると雖も、終身諭らざる者なり。悲しいかな。
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戦国策・齊負郭之民有孤狐咺者齊の負郭の民に孤狐咺という者有り、閔王を正議するに、之を檀衢に斮り、百姓附かず。齊の孫室子陳挙直言するに、之を東閭に殺し、宗族心を離す。司馬穰苴は政を為す者なるも、之を殺し、大臣親しまず。故を以て燕兵を挙げ、昌国君をして将として之を撃たしむ。齊は向子をして将として之に応ぜしむ。齊軍破れ、向子は輿一乘を以て亡ぐ。達子余卒を収め、復た振るい、燕と戦い、償う所以を求むるも、閔王与うるを肯ぜず、軍破れて走る。王莒に奔り、淖歯之を数えて曰く、「夫れ千乘・博昌の間、方数百里、血雨りて衣を沾す、王之を知るか」と。王曰く、「知らず」と。「嬴・博の間、地坼けて泉に至る、王之を知るか」と。王曰く、「知らず」と。「人有り闕に当りて哭する者、之を求むれば則ち得ず、之を去れば則ち其の声を聞く、王之を知るか」と。王曰く、「知らず」と。淖歯曰く、「天の血雨りて衣を沾す者は、天以て告ぐるなり。地の坼けて泉に至る者は、地以て告ぐるなり。人有り闕に当りて哭する者は、人以て告ぐるなり。天地人皆以て告げたるに、王戒むるを知らず、何ぞ誅無きを得んや」と。是に於て閔王を鼓里に殺す。太子乃ち衣を解き服を免れ、太史の家に逃れて園に溉ぐ。君王后は、太史氏の女なり、其の貴人なるを知り、善く之に事う。田単即墨の城を以て、破亡の余卒もて、燕兵を破り、騎劫を紿き、遂に以て齊を復し、遽かに太子を莒に迎え、之を立てて王と為す。襄王位に即くや、君王后以て后と為し、齊王建を生む。
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『新序』雜事第三先王臣に命じて曰く、我齊に積怨深怒有り。輕弱を量らず、齊を以て事と爲さんと欲す、と。臣對えて曰く、夫れ齊は霸王の餘業、戰勝の遺事なり。兵革に閑い、戰攻に習う。王若し之を攻めんと欲さば、必ず天下と之を圖れ。之を圖るは徑ちに趙と結ぶに若くは莫し。且つ淮北・宋の地は、楚・魏の願う所なり。趙若し許さば、楚・魏と約して力を盡くさん。四國之を攻めば、齊大いに破る可きなり、と。王曰く、善し、と。臣乃ち命を受け符節を具えて南のかた趙に使いす。顧り反りて、兵を起こして齊を攻む。天の道、先王の靈を以て、河北の地は、先王に隨いて之を舉げ、濟上の兵は、命を受けて之に勝つ。輕卒鋭兵、長驅して齊に至る。齊王遁逃して莒に走り、僅かに身を以て免る。珠玉貨寶、車甲珍器、皆な收めて燕に入る。大呂は元英に陳ね、故鼎は歷室に反り、齊器は寧臺に設け、薊丘の植は、汶篁に植う。五伯以來、功業の盛んなること、未だ先王に及ぶ者有らず。
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