新序 / 義勇第八
知伯囂之時,有士曰長兒子魚,絶知伯而去之。三年,將東之越,而道聞知伯囂之見殺也,謂御曰:「還車反,吾將死之。」御曰:「夫子絶知伯而去之三年矣,今反死之,是絶屬無别也。」長兒子魚曰:「不然,吾聞仁者無餘愛,忠臣無餘禄。吾聞知伯之死而動吾心,餘禄之加於我者,至今尚存,吾將往依之。」反而死。
新字:知伯囂之時,有士曰長児子魚,絶知伯而去之。三年,将東之越,而道聞知伯囂之見殺也,謂御曰:「還車反,吾将死之。」御曰:「夫子絶知伯而去之三年矣,今反死之,是絶属無別也。」長児子魚曰:「不然,吾聞仁者無余愛,忠臣無余禄。吾聞知伯之死而動吾心,余禄之加於我者,至今尚存,吾将往依之。」反而死。
書き下し
知伯囂の時、士有り長兒子魚と曰う。知伯を絶ちて之を去る。三年、將に東のかた越に之かんとす。而して道に知伯囂の殺さるるを聞く。御に謂いて曰く、車を還らして反れ。吾將に之に死せんとす、と。御曰く、夫子知伯を絶ちて之を去ること三年なり。今反りて之に死するは、是れ絶つと屬すると別無きなり、と。長兒子魚曰く、然らず。吾聞く、仁者は餘愛無く、忠臣は餘祿無し、と。吾知伯の死を聞きて吾が心を動かす。餘祿の我に加わる者、今に至るも尚お存す。吾將に往きて之に依らんとす、と。反りて死す。
現代語訳
知伯囂の時代に、長児子魚という士がいた。知伯と縁を切って去った。三年後、東の越に行こうとしていた。ところが道中で知伯囂が殺されたと聞いた。御者に言った。「車を回して戻れ。私は行ってこれに死のう」。御者は言った。「先生は知伯と縁を切って去ってから三年です。いま戻ってこれに死ぬのなら、それは縁を切るのと付き従うのとに区別がないことになります」。長児子魚は言った。「そうではない。私はこう聞いている、仁者には余った愛がなく、忠臣には余った禄がない、と。私は知伯の死を聞いて心が動いた。余った禄が私に加わっているものが、いまなお残っているのだ。私は行ってそれに寄り添おう」。戻って死んだ。
解説
三年前に縁を切った相手の死を聞いて、引き返しました。御者の指摘はもっともです。切ったのと従ったのとで、違いがなくなる、と。返答が独特でした。心が動いたことを、証拠として使っています。私は知伯の死を聞いて心が動いた。余った禄が私に加わっているものが、いまなお残っているのだ。清算しきれていない分がまだある、と読みました。感情を、未払いの残高として扱っています。
この章句が説くこと
知伯を絶ちて之を去る三年今反りて之に死するは是れ絶つと属すると別無きなり仁者は余愛無く忠臣は余禄無し吾知伯の死を聞きて吾が心を動かす余禄の我に加わる者今に至るも尚お存す絶縁恩
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