新序 / 雜事第四
梁大夫有宋就者,嘗為邊縣令,與楚隣界。梁之邊亭,與楚之邊亭,皆種𤓰,各有數。梁之邊亭人,劬力數灌其𤓰,𤓰美。楚人窳而稀灌其𤓰,𤓰惡。楚令因以梁𤓰之美,怒其亭𤓰之惡也。楚亭人心惡梁亭之賢己,因往夜竊搔梁亭之𤓰,皆有死焦者矣。梁亭覺之,因請其尉,亦欲竊往報搔楚亭之𤓰,尉以請宋就。就曰:「惡是何可搆怨禍之道也,人惡亦惡,何褊之甚也。若我教子必毎暮令人往竊為楚亭夜善灌其𤓰,勿令知也。」於是梁亭乃每暮夜竊灌楚亭之𤓰,楚亭旦而行𤓰,則又皆以灌矣,𤓰日以美,楚亭怪而察之,則乃梁亭也。楚令聞之大悦,因具以聞楚王,楚王聞之,惄然愧以意自閔也,告吏曰:「徴搔𤓰者,得無有他罪乎?此梁之隂讓也。」乃謝以重幣,而請交於梁王,楚王時稱則祝梁王以為信,故梁楚之歡,由宋就始。語曰:「轉敗而為功,因禍而為福。」老子曰:「報怨以徳。」此之謂也。夫人既不善,胡足効哉!
新字:梁大夫有宋就者,嘗為辺県令,与楚隣界。梁之辺亭,与楚之辺亭,皆種𤓰,各有数。梁之辺亭人,劬力数灌其𤓰,𤓰美。楚人窳而稀灌其𤓰,𤓰悪。楚令因以梁𤓰之美,怒其亭𤓰之悪也。楚亭人心悪梁亭之賢己,因往夜竊搔梁亭之𤓰,皆有死焦者矣。梁亭覚之,因請其尉,亦欲竊往報搔楚亭之𤓰,尉以請宋就。就曰:「悪是何可搆怨禍之道也,人悪亦悪,何褊之甚也。若我教子必毎暮令人往竊為楚亭夜善灌其𤓰,勿令知也。」於是梁亭乃毎暮夜竊灌楚亭之𤓰,楚亭旦而行𤓰,則又皆以灌矣,𤓰日以美,楚亭怪而察之,則乃梁亭也。楚令聞之大悦,因具以聞楚王,楚王聞之,惄然愧以意自閔也,告吏曰:「徴搔𤓰者,得無有他罪乎?此梁之陰譲也。」乃謝以重幣,而請交於梁王,楚王時称則祝梁王以為信,故梁楚之歓,由宋就始。語曰:「転敗而為功,因禍而為福。」老子曰:「報怨以徳。」此之謂也。夫人既不善,胡足効哉!
書き下し
梁の大夫に宋就なる者有り。嘗て邊縣の令と爲り、楚と隣を界す。梁の邊亭と、楚の邊亭と、皆な瓜を種う。各ミ數有り。梁の邊亭の人、劬力して數ミ其の瓜に灌ぐ。瓜美し。楚人は窳にして稀に其の瓜に灌ぐ。瓜惡し。楚の令因りて梁の瓜の美なるを以て、其の亭の瓜の惡しきを怒る。楚の亭の人心に梁亭の己より賢なるを惡み、因りて往きて夜竊かに梁亭の瓜を搔く。皆な死焦する者有り。梁亭之を覺り、因りて其の尉に請い、亦た竊かに往きて報いて楚亭の瓜を搔かんと欲す。尉以て宋就に請う。就曰く、惡、是れ何ぞ怨禍を搆うるの道なる可けんや。人惡しければ亦た惡しとするは、何ぞ褊なるの甚だしきや。若し我子に教えば、必ず每暮人をして往きて竊かに楚亭の爲に夜善く其の瓜に灌がしめよ。知らしむる勿かれ、と。是に於いて梁亭乃ち每暮夜竊かに楚亭の瓜に灌ぐ。楚亭旦にして瓜を行れば、則ち又た皆な以て灌がれたり。瓜日に以て美なり。楚亭怪しみて之を察すれば、則ち乃ち梁亭なり。楚の令之を聞きて大いに悦び、因りて具さに以て楚王に聞す。楚王之を聞き、惄然として愧じ、意を以て自ら閔れむなり。吏に告げて曰く、瓜を搔く者を徵するに、他罪有る無きを得んか。此れ梁の陰讓なり、と。乃ち謝するに重幣を以てし、而して交わりを梁王に請う。楚王時に稱すれば則ち梁王を祝して以て信と爲す。故に梁楚の歡は、宋就より始まる。語に曰く、敗を轉じて功と爲し、禍いに因りて福と爲す、と。老子曰く、怨みに報ゆるに德を以てす、と。此の謂いなり。夫れ人既に善からざるも、胡ぞ效うに足らんや。
現代語訳
梁の大夫に宋就という者がいた。かつて国境の県令となり、楚と境を接していた。梁の国境の駐屯所と、楚の国境の駐屯所と、どちらも瓜を植えていた。それぞれ数があった。梁の駐屯所の人は、精を出してたびたび瓜に水をやった。瓜はよくできた。楚の人は怠けて、たまにしか瓜に水をやらなかった。瓜は出来が悪かった。楚の県令は、梁の瓜がよくできているのを見て、自分の駐屯所の瓜の出来が悪いのを怒った。楚の駐屯所の人は、心の中で梁の駐屯所が自分たちよりまさっているのを憎み、そこで夜こっそり出かけて梁の瓜をひっかいた。みな枯れて焦げたものが出た。梁の駐屯所はこれに気づき、隊長に願い出て、やはりこっそり行って仕返しに楚の瓜をひっかこうとした。隊長はこれを宋就に伺い出た。宋就は言った。「いや、それがどうして怨みと禍いを作る道でよかろうか。人が悪くしたから自分も悪くするというのは、なんと狭量なことだろう。もし私があなたに教えるとすれば、必ず毎晩、人をやってこっそり楚の駐屯所のために、夜のうちにその瓜へ丁寧に水をやらせなさい。気づかれないようにしなさい」。そこで梁の駐屯所は毎晩、夜こっそり楚の瓜に水をやった。楚の駐屯所は朝に瓜を見回ると、またみな水がやられている。瓜は日に日によくなった。楚の駐屯所は不審に思って調べると、それは梁の駐屯所であった。楚の県令はこれを聞いて大いに悦び、詳しく楚王に申し上げた。楚王はこれを聞き、しょんぼりと恥じ入り、心の中で自分を情けなく思った。役人に告げて言った。「瓜をひっかいた者を調べるにあたって、他に罪があるのではないか。これは梁からのひそかな譲りである」。そこで重い贈り物で詫び、梁王と交わりを結ぶことを願った。楚王はことあるごとに梁王を称えて信の人とした。だから梁と楚の親交は、宋就から始まった。ことわざに「敗を転じて功とし、禍いによって福とする」とある。老子は「怨みに報いるに徳をもってする」と言った。これのことである。そもそも相手がすでによくないからといって、どうしてそれに倣う必要があろうか。
解説
この章句が説くこと
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戦国策・公輸般爲楚設機公輸般、楚の為に機を設け、将に以て宋を攻めんとす。墨子之を聞き、百舍重繭して、往きて公輸般に見え、之に謂いて曰く、「吾は宋自り子を聞けり。吾は子を藉りて王を殺さんと欲す」と。公輸般曰く、「吾が義は固より王を殺さず」と。墨子曰く、「公が雲梯を為り、将に以て宋を攻めんとすと聞く。宋に何の罪か之有らん。義として王を殺さずして国を攻む、是れ少を殺さずして衆を殺すなり。敢えて問う、宋を攻むるは何の義なるや」と。公輸般服す、之を王に見えんことを請う。墨子、楚王に見えて曰く、「今此に人有りて、其の文軒を舍てて、鄰に弊輿有りて之を竊まんと欲す。其の錦繡を舍てて、鄰に短褐有りて之を竊まんと欲す。其の梁肉を舍てて、鄰に糟糠有りて之を竊まんと欲す。此れ何若なる人と為すや」と。王曰く、「必ず竊疾有りと為さん」と。墨子曰く、「荊の地は方五千里、宋は方五百里、此れ猶お文軒の弊輿に与けるがごときなり。荊に雲夢有り、犀兕麋鹿之に盈ち、江・漢の魚鱉黿鼉は天下の饒と為る、宋は所謂雉兔鮒魚無き者なり、此れ猶お梁肉の糟糠に与けるがごときなり。荊に長松・文梓・楩・柟・豫樟有り、宋に長木無し、此れ猶お錦繡の短褐に与けるがごときなり。惡んぞ王吏の宋を攻むるを以て、此と類を同じくすと為さんや」と。王曰く、「善いかな。請う宋を攻むる無からん」と。
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