新序 / 雜事第三
樂毅為昭王謀,必待諸侯兵,齊乃可伐也。於是乃使樂毅使諸侯,遂合連四國之兵以伐齊,大破之。閔王亡逃,僅以身脱匿莒,樂毅追之,遂屠七十餘城,臨淄盡降,唯莒即墨未下,盡復收燕寶器而歸,復易王之辱。樂毅謝罷諸侯之兵,而獨圍莒即墨,時田單為即墨令,患樂毅善用兵,田單不能詐也,欲去之,昭王又賢,不肯聽讒。會昭王死,恵王立,田單使人讒之恵王,恵王使騎劫代樂毅,樂毅去之趙不歸。燕騎劫既為將軍,田單大喜,設詐大破燕軍,殺騎劫,盡復收七十餘城。是時齊閔公已死,田單得太子於莒,立為齊襄王。而燕恵王大慙自悔易樂毅,以致此禍。
新字:楽毅為昭王謀,必待諸侯兵,斉乃可伐也。於是乃使楽毅使諸侯,遂合連四国之兵以伐斉,大破之。閔王亡逃,僅以身脱匿莒,楽毅追之,遂屠七十余城,臨淄尽降,唯莒即墨未下,尽復収燕宝器而帰,復易王之辱。楽毅謝罷諸侯之兵,而独囲莒即墨,時田単為即墨令,患楽毅善用兵,田単不能詐也,欲去之,昭王又賢,不肯聴讒。会昭王死,恵王立,田単使人讒之恵王,恵王使騎劫代楽毅,楽毅去之趙不帰。燕騎劫既為将軍,田単大喜,設詐大破燕軍,殺騎劫,尽復収七十余城。是時斉閔公已死,田単得太子於莒,立為斉襄王。而燕恵王大慙自悔易楽毅,以致此禍。
書き下し
樂毅昭王の爲に謀る。必ず諸侯の兵を待ちて、齊乃ち伐つ可きなり、と。是に於いて乃ち樂毅をして諸侯に使いせしめ、遂に四國の兵を合連して以て齊を伐ち、大いに之を破る。閔王亡逃し、僅かに身を以て脱れて莒に匿る。樂毅之を追い、遂に七十餘城を屠る。臨淄盡く降る。唯だ莒と即墨のみ未だ下らず。盡く燕の寶器を復收して歸り、易王の辱めを復す。樂毅諸侯の兵を謝罷して、獨り莒と即墨とを圍む。時に田單即墨の令爲り。樂毅の善く兵を用うるを患え、田單詐る能わざるなり。之を去らんと欲するも、昭王又た賢にして、肯えて讒を聽かず。會ミ昭王死し、惠王立つ。田單人をして之を惠王に讒せしむ。惠王騎劫をして樂毅に代わらしむ。樂毅去りて趙に之き歸らず。燕の騎劫既に將軍と爲る。田單大いに喜び、詐を設けて大いに燕軍を破り、騎劫を殺し、盡く七十餘城を復收す。是の時齊の閔公已に死す。田單太子を莒に得て、立てて齊の襄王と爲す。而して燕の惠王大いに慚じ、樂毅に易えて以て此の禍いを致せるを自ら悔ゆ。
現代語訳
楽毅は昭王のために謀った。「必ず諸侯の兵を待ってはじめて、斉は伐つことができます」。そこで楽毅を諸侯に使いさせ、ついに四国の兵を連合して斉を伐ち、大いにこれを破った。閔王は逃亡し、かろうじて身一つで脱れて莒に隠れた。楽毅はこれを追い、ついに七十余城を陥した。臨淄はことごとく降った。ただ莒と即墨だけが落ちなかった。燕の宝器をすべて取り戻して帰り、易王の恥をすすいだ。楽毅は諸侯の兵に礼を述べて解散させ、ひとり莒と即墨を囲んだ。当時、田単は即墨の長官であった。楽毅が兵をよく用いるのを憂え、田単は欺くことができなかった。これを除きたかったが、昭王もまた賢明で、讒言を聞き入れようとしなかった。ちょうど昭王が死に、恵王が立った。田単は人をやって恵王に讒言させた。恵王は騎劫を楽毅に代わらせた。楽毅は去って趙に行き、帰らなかった。燕の騎劫が将軍となった。田単は大いに喜び、計略を仕掛けて大いに燕軍を破り、騎劫を殺し、七十余城をすべて取り戻した。このとき斉の閔公はすでに死んでいた。田単は太子を莒で得て、立てて斉の襄王とした。そして燕の恵王は大いに恥じ、楽毅を代えてこの禍いを招いたことを自ら悔いた。
解説
この章句が説くこと
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