新序 / 雜事第二
昔者,燕相得罪於君,將出亡,召門下諸大夫曰:「有能從我出者乎?」三問,諸大夫莫對,燕相曰:「嘻!亦有士之不足養也。」大夫有進者曰:「亦有君之不能養士,安有士之不足養者?凶年饑嵗,士糟粕不厭,而君之犬馬,有餘榖粟;隆冬烈寒,士裋褐不完,四體不蔽,而君之臺觀,帷㡘錦繡,隨風飄飄而弊。財者,君之所輕;死者,士之所重也。君不能施君之所輕,而求得士之所重,不亦難乎?」燕相遂慙遁逃不復敢見。
新字:昔者,燕相得罪於君,将出亡,召門下諸大夫曰:「有能従我出者乎?」三問,諸大夫莫対,燕相曰:「嘻!亦有士之不足養也。」大夫有進者曰:「亦有君之不能養士,安有士之不足養者?凶年饑歳,士糟粕不厭,而君之犬馬,有余穀粟;隆冬烈寒,士裋褐不完,四体不蔽,而君之台観,帷㡘錦繍,随風飄飄而弊。財者,君之所軽;死者,士之所重也。君不能施君之所軽,而求得士之所重,不亦難乎?」燕相遂慚遁逃不復敢見。
書き下し
昔者、燕の相君に罪を得たり。將に出亡せんとす。門下の諸大夫を召して曰く、能く我に從いて出づる者有るか、と。三たび問うも、諸大夫對うる莫し。燕の相曰く、嘻、亦た士の養うに足らざる有るか、と。大夫に進む者有りて曰く、亦た君の士を養う能わざる有り。安んぞ士の養うに足らざる者有らんや。凶年饑歲には、士は糟粕すら厭かず。而るに君の犬馬は、榖粟餘り有り。隆冬烈寒には、士は裋褐すら完からず、四體蔽われず。而るに君の臺觀は、帷幕錦繡、風に隨いて飄飄として弊る。財は君の輕んずる所なり。死は士の重んずる所なり。君は君の輕んずる所を施す能わずして、士の重んずる所を得んことを求む。亦た難からずや、と。燕の相遂に慙じて遁逃し、復た敢えて見えず。
現代語訳
昔、燕の宰相が君の怒りに触れた。まさに亡命しようとしていた。門下の大夫たちを召して言った。「私に従って出てくれる者はいるか」。三度問うたが、大夫たちは誰も答えなかった。燕の宰相は言った。「ああ、士というのは養うに値しないものだな」。大夫のなかに進み出る者があって言った。「君のほうに士を養えなかったということがあるのです。どうして士のほうが養うに値しないなどということがありましょう。凶作で飢えた年には、士は酒かすさえ腹いっぱいに食べられません。それなのに君の犬や馬には、穀物が余っています。真冬の厳しい寒さには、士は粗末な短い着物すら満足でなく、手足も覆えません。それなのに君の高殿には、幕や錦の帳が、風に吹かれてひらひらと破れるまで掛かっています。財は君が軽んじるものです。死は士が重んじるものです。君は自分が軽んじるものを施すこともできずに、士が重んじるものを得ようとする。難しいことではありませんか」。燕の宰相はそこで恥じ入って逃げ去り、二度と人前に出ようとしなかった。
解説
この章句が説くこと
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