新序 / 義勇第八
佛肹以中牟叛,置鼎於庭,致士大夫曰:「與我者受邑,不吾與者烹。」大夫皆從之。至於田卑,田卑,中牟之邑人也。曰:「義死不避斧鉞之罪,義窮不受軒冕之服。無義而生,不仁而富,不如烹。」褰衣將就鼎,佛𦙝脱屨而生之。趙氏聞其叛也,攻而取之;聞田卑不肯與也,求而賞之。田卑曰:「不可也,一人舉而萬夫俛首,智者不為也。賞一人以慙萬夫,義者不取也。我受賞,使中牟之士,懷恥不義。」辭賞從處曰:「以行臨人,不道,吾去矣。」遂南之楚。
新字:仏肹以中牟叛,置鼎於庭,致士大夫曰:「与我者受邑,不吾与者烹。」大夫皆従之。至於田卑,田卑,中牟之邑人也。曰:「義死不避斧鉞之罪,義窮不受軒冕之服。無義而生,不仁而富,不如烹。」褰衣将就鼎,仏𦙝脱屨而生之。趙氏聞其叛也,攻而取之;聞田卑不肯与也,求而賞之。田卑曰:「不可也,一人舉而万夫俛首,智者不為也。賞一人以慙万夫,義者不取也。我受賞,使中牟之士,懐恥不義。」辞賞従処曰:「以行臨人,不道,吾去矣。」遂南之楚。
書き下し
佛肹中牟を以て叛く。鼎を庭に置き、士大夫を致して曰く、我に與する者は邑を受け、吾に與せざる者は烹らる、と。大夫皆な之に從う。田卑に至る。田卑は、中牟の邑人なり。曰く、義もて死せば斧鉞の罪を避けず。義窮すれば軒冕の服を受けず。義無くして生き、不仁にして富むは、烹らるるに如かず、と。衣を褰げて將に鼎に就かんとす。佛肹屨を脫して之を生かす。趙氏其の叛くを聞き、攻めて之を取る。田卑の肯えて與せざるを聞き、求めて之を賞す。田卑曰く、不可なり。一人舉げられて萬夫首を俛るるは、智者は爲さざるなり。一人を賞して以て萬夫に慙ぢしむるは、義者は取らざるなり。我賞を受くれば、中牟の士をして、恥を懷きて義ならざらしむ、と。賞を辭し處に從いて曰く、行を以て人に臨むは、道ならず。吾去らん、と。遂に南のかた楚に之く。
現代語訳
佛肹が中牟の地で叛いた。鼎を庭に据え、士大夫を集めて言った。「私に味方する者は邑を受け、私に味方しない者は釜ゆでだ」。大夫はみなこれに従った。田卑の番になった。田卑は中牟の邑の人である。「義のために死ぬなら斧鉞の刑を避けない。義が行き詰まれば車と冠の服は受けない。義がないまま生き、仁がないまま富むのは、釜ゆでにされるほうがましだ」。衣の裾を上げて鼎に入ろうとした。佛肹は履を脱いで駆け寄り、これを生かした。趙氏は佛肹が叛いたと聞き、攻めてこれを取った。田卑が味方しなかったと聞き、捜し出してこれを賞した。田卑は言った。「いけません。一人が持ち上げられて万人が首を垂れるようなことは、知者はしません。一人を賞して万人に恥を抱かせるのは、義者は取りません。私が賞を受ければ、中牟の士に恥を抱かせて、義から遠ざけることになります」。賞を辞して元の暮らしに戻り、こう言った。「自分の行いで人に臨むのは、道ではない。私は去る」。そのまま南の楚に行った。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
論語・衛霊公篇師冕見ゆ。階に及べば、子曰く、「階なり。」席に及べば、子曰く、「席なり。」皆坐すれば、子之に告げて曰く、「某は斯に在り、某は斯に在り。」師冕出づ。子張問いて曰く、「師と言うの道か。」子曰く、「然り、固より師を相くるの道なり。」
-
説苑・雜言孔子将に行かんとするに、蓋無し。弟子曰く、「子夏に蓋有り、以て行く可し」と。孔子曰く、「商の人と為りや、甚だ財に短し。吾聞く、人と交わる者は、其の長ずる所を推し、其の短なる所を違く、故に能く久長なりと」と。
-
司馬法・仁本その老幼を見ては、奉(ほう)じて帰し、傷つくる勿(な)かれ。壮者に遇うと雖も、校(きそ)わざれば敵とする勿れ。
-
司馬法・天子之義古者(いにしえ)は戍兵(じゅへい)を三年興さず、民の労を覩(み)ればなり。
-
孟子・盡心章句下孟子曰く、「布縷の征・粟米の征・力役の征有り。君子は其の一を用いて、其の二を緩くす。其の二を用うれば、民に殍有り。其の三を用うれば、父子離る。」
-
葉隠・聞書第二何某(なにがし)或る御方にて、笄(こうがい)失い候事を、何かと申し候を、同道の衆意見申し候て、追って盗み候人相知れ、仕置(しおき)これあり候。御亭主(ごていしゅ)に恥かかせ申す事を、行き当らず言出して見出し申さざる時は、伺々(うかがいうかがい)無興(ぶきょう)なり。刀の拵(こしら)え様、置き処(どころ)、兼々(かねがね)吟味(ぎんみ)仕るべき事の由。