新序 / 善謀第十
齊悼惠王者,孝惠皇帝二年,悼惠王入朝,孝惠皇帝與悼惠王讌飲,乃行家人禮,同席。吕太后怒,乃進鴆酒,孝惠皇帝知,欲代飲之,乃止。悼惠王懼不得出城,上車太息,内史參乗怪問其故,悼惠王具以狀語内史,内史曰:「王寧亡十城邪將亡齊國也?」悼惠王曰:「得全身而已,何敢愛城哉!」内史曰:「魯元公主,太后之女,大王之弟也。大王封國七十餘城,而魯元公主湯沭邑少;大王誠獻十城為魯元公主湯沐邑,内有親親之恩,外有順太后之意,太后必大喜。是亡十城而得六十城也。」悼惠王曰:「善。」至邸上,奏獻十城為魯元公主湯沐邑,太后果大悦受邑,厚賜悼惠王而歸之,國遂安,齊内史之謀也。
新字:斉悼恵王者,孝恵皇帝二年,悼恵王入朝,孝恵皇帝与悼恵王讌飲,乃行家人礼,同席。呂太后怒,乃進鴆酒,孝恵皇帝知,欲代飲之,乃止。悼恵王懼不得出城,上車太息,内史参乗怪問其故,悼恵王具以状語内史,内史曰:「王寧亡十城邪将亡斉国也?」悼恵王曰:「得全身而已,何敢愛城哉!」内史曰:「魯元公主,太后之女,大王之弟也。大王封国七十余城,而魯元公主湯沭邑少;大王誠献十城為魯元公主湯沐邑,内有親親之恩,外有順太后之意,太后必大喜。是亡十城而得六十城也。」悼恵王曰:「善。」至邸上,奏献十城為魯元公主湯沐邑,太后果大悦受邑,厚賜悼恵王而帰之,国遂安,斉内史之謀也。
書き下し
齊の悼惠王なる者は、孝惠皇帝の二年、悼惠王入朝す。孝惠皇帝悼惠王と讌飲し、乃ち家人の禮を行い、席を同じくす。呂太后怒り、乃ち鴆酒を進む。孝惠皇帝知り、代わりて之を飲まんと欲す。乃ち止む。悼惠王懼れ城を出づるを得ず。車に上りて太息す。内史參乘怪しみて其の故を問う。悼惠王具に狀を以て内史に語る。内史曰く、王寧ろ十城を亡わんか、將た齊國を亡わんとするか、と。悼惠王曰く、身を全うするを得るのみ。何ぞ敢えて城を愛しまんや、と。内史曰く、魯元公主は、太后の女、大王の弟なり。大王封國七十餘城なり。而して魯元公主の湯沐邑少なし。大王誠に十城を獻じて魯元公主の湯沐邑と爲さば、内には親を親しむの恩有り、外には太后に順うの意有り。太后必ず大いに喜ばん。是れ十城を亡いて六十城を得るなり、と。悼惠王曰く、善し、と。邸上に至り、奏して十城を獻じて魯元公主の湯沐邑と爲す。太后果たして大いに悅びて邑を受け、厚く悼惠王に賜いて之を歸す。國遂に安し。齊の内史の謀なり。
現代語訳
斉の悼恵王は、孝恵皇帝の二年に入朝した。孝恵皇帝は悼恵王と宴を開き、身内の礼をとって、同じ席に着いた。呂太后は怒り、毒酒を差し出した。孝恵皇帝はそれと知り、代わりに飲もうとした。そこでやめた。悼恵王は恐れて都を出られなかった。車に乗ってため息をついた。内史が陪乗していて怪しみ、その理由を尋ねた。悼恵王はつぶさに事情を内史に語った。内史は言った。「王は十城を失われますか、それとも斉の国を失われますか」。悼恵王は言った。「身を全うできればよい。どうして城を惜しもうか」。内史は言った。「魯元公主は、太后の娘、大王の妹です。大王の封国は七十余城です。ところが魯元公主の化粧領は少ない。大王がまことに十城を献じて魯元公主の化粧領とされれば、内には親を親しむ恩があり、外には太后に従う意があります。太后は必ず大いに喜ばれます。これは十城を失って六十城を得るということです」。悼恵王は「よろしい」と言った。邸に着いて、奏上して十城を献じ、魯元公主の化粧領とした。太后は果たして大いに喜んで邑を受け取り、厚く悼恵王に賜って帰らせた。国はそのまま安らかであった。斉の内史の謀である。
解説
この章句が説くこと
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