新序 / 善謀第十
孝武皇帝時,中大夫主父偃為䇿曰:「古諸侯不過百里,强弱之形易制也。今諸侯或連城數十,地方千里,緩則驕,易為淫亂;急則阻其强而合從,謀以逆京師,今以法割之,即逆節萌起,前日晁錯是也。今諸侯子弟或十數,而適嗣代立,餘雖骨内無尺地之封,則仁孝之道不宣,願陛下令諸侯得推恩,分子弟以地侯之,彼人人喜得所願,上以徳施,實封其國,而稍自消弱矣。」於是上從其計,因闗馬及弩不得出,絶遊說之路,重附益諸侯之法,急詿誤其君之罪,諸侯王遂以弱,而合從之事絶矣,主父偃之謀也。
新字:孝武皇帝時,中大夫主父偃為策曰:「古諸侯不過百里,強弱之形易制也。今諸侯或連城数十,地方千里,緩則驕,易為淫乱;急則阻其強而合従,謀以逆京師,今以法割之,即逆節萌起,前日晁錯是也。今諸侯子弟或十数,而適嗣代立,余雖骨内無尺地之封,則仁孝之道不宣,願陛下令諸侯得推恩,分子弟以地侯之,彼人人喜得所願,上以徳施,実封其国,而稍自消弱矣。」於是上従其計,因関馬及弩不得出,絶遊説之路,重附益諸侯之法,急詿誤其君之罪,諸侯王遂以弱,而合従之事絶矣,主父偃之謀也。
書き下し
孝武皇帝の時、中大夫主父偃策を爲して曰く、古の諸侯は百里に過ぎず。强弱の形制し易きなり。今諸侯或いは城を連ぬること數十、地方千里なり。緩やかなれば則ち驕り、淫亂を爲し易し。急なれば則ち其の强きに阻りて合從し、謀りて以て京師に逆らう。今法を以て之を割かば、即ち逆節萌起せん。前日の晁錯是れなり。今諸侯の子弟或いは十數なり。而して適嗣代わりて立つ。餘は骨肉なりと雖も尺地の封無し。則ち仁孝の道宣べられず。願わくは陛下諸侯をして推恩を得しめ、子弟に分かつに地を以てして之を侯とせよ。彼れ人人願う所を得たるを喜ばん。上は德を以て施し、實は其の國を封ず。而して稍ミ自ら消弱せん、と。是に於いて上其の計に從い、因りて馬及び弩を關して出づるを得ざらしめ、遊說の路を絶ち、諸侯に附益するの法を重くし、其の君を詿誤するの罪を急にす。諸侯王遂に以て弱く、而して合從の事絶えたり。主父偃の謀なり。
現代語訳
孝武皇帝のとき、中大夫の主父偃が策を立てて言った。「古の諸侯は百里を超えませんでした。強弱の形が制しやすかったのです。いま諸侯は城を数十連ね、土地は四方千里です。緩やかにすれば驕り、淫らに乱れやすい。厳しくすればその強さを頼んで合従し、謀って都に逆らいます。いま法によってこれを削れば、叛く動きが芽生えます。先日の晁錯のときがそれです。いま諸侯の子弟は十数人いることもあります。ところが正妻の嫡子が代わって立つ。残りは血を分けた子でありながら一尺の封地もありません。それでは仁と孝の道が広がりません。どうか陛下は諸侯に恩を推し及ぼさせ、子弟に土地を分けてこれを侯としてください。彼らは一人ひとり願いが叶ったことを喜びます。上は徳として施し、実際にはその国を分割する。そうして次第に自ら弱まっていきます」。そこで上はその計に従い、そのうえで馬と弩に関所を設けて持ち出せないようにし、遊説の道を絶ち、諸侯に加担する法を重くし、その君を誤らせる罪を厳しくした。諸侯王はそのまま弱くなり、合従の企ては絶えた。主父偃の謀である。
解説
この章句が説くこと
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