新序 / 節士第七
僚者,長子之庻兄也,自立為吳王,季子使而還,至則君事之。遏之子曰王子光,號曰闔閭。不恱曰:「先君之所為,不與子而與弟者,凡為季子也,將從先君之命,則國宜之季子也,如不從先君之命而與子,我宜當立者也,僚惡得為君?」於是使專諸刺僚,而致國乎季子。季子曰:「爾殺我君,吾受爾國,是吾與爾為亂也。爾殺我兄,吾又殺爾,是父子兄弟相殺,終身無已也。」去而之延陵,終身不入吳國,故號曰延陵季子。君子以其不受國為義,以其不殺為仁,是以春秋賢季子而尊貴之也。
新字:僚者,長子之庻兄也,自立為呉王,季子使而還,至則君事之。遏之子曰王子光,号曰闔閭。不恱曰:「先君之所為,不与子而与弟者,凡為季子也,将従先君之命,則国宜之季子也,如不従先君之命而与子,我宜当立者也,僚悪得為君?」於是使専諸刺僚,而致国乎季子。季子曰:「爾殺我君,吾受爾国,是吾与爾為乱也。爾殺我兄,吾又殺爾,是父子兄弟相殺,終身無已也。」去而之延陵,終身不入呉国,故号曰延陵季子。君子以其不受国為義,以其不殺為仁,是以春秋賢季子而尊貴之也。
書き下し
僚なる者は、長子の庶兄なり。自立して吳王と爲る。季子使いして還る。至れば則ち君として之に事う。遏の子を王子光と曰う。號して闔閭と曰う。悦ばずして曰く、先君の爲す所、子に與えずして弟に與うるは、凡そ季子の爲なり。將に先君の命に從わんとせば、則ち國は之を季子に宜しとす。如し先君の命に從わずして子に與うれば、我宜しく當に立つべき者なり。僚惡くんぞ君爲るを得んや、と。是に於いて專諸をして僚を刺さしめ、國を季子に致す。季子曰く、爾我が君を殺す。吾爾の國を受くれば、是れ吾爾と亂を爲すなり。爾我が兄を殺す。吾又た爾を殺さば、是れ父子兄弟相い殺し、身を終うるまで已む無きなり、と。去りて延陵に之き、身を終うるまで吳國に入らず。故に號して延陵季子と曰う。君子其の國を受けざるを以て義と爲し、其の殺さざるを以て仁と爲す。是を以て春秋季子を賢として之を尊貴するなり。
現代語訳
僚という者は、長子の腹違いの兄である。自ら立って呉王となった。季子は使いから帰った。着くと、これを君として仕えた。遏の子を王子光といい、闔閭と号した。不満に思って言った。「先君のなさったことは、子に与えずに弟に与えたのであって、すべて季子のためであった。先君の命に従うのであれば、国は季子に渡すのが筋である。もし先君の命に従わずに子に与えるのであれば、私こそ立つべき者である。僚がどうして君となれようか」。そこで専諸に僚を刺させ、国を季子に渡そうとした。季子は言った。「お前は私の君を殺した。私がお前の国を受ければ、それは私がお前とともに乱をなすことだ。お前は私の兄を殺した。私がまたお前を殺せば、それは父子兄弟が互いに殺し合い、生涯やむことがなくなる」。去って延陵に行き、生涯呉の国に入らなかった。だから延陵季子と号したのである。君子は、その国を受けなかったことを義とし、その殺さなかったことを仁とした。だから『春秋』は季子を賢者として尊び貴んだのである。
解説
この章句が説くこと
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説苑・至公呉王壽夢に四子有り、長を謁と曰い、次を餘祭と曰い、次を夷昧と曰い、次を季札と曰う、號して延陵季子と曰う。最も賢にして、三兄皆之を知る。是に於て王壽夢薨じ、謁位を以て季子に讓るも、季子終に肯えて當らず、謁乃ち約を為して曰く、「季子賢なれば、國をして季子に及ばしめば、則ち呉以て興るべし」と。乃ち兄弟相繼ぎ、飲食には必ず祝いて曰く、「吾をして早く死せしめ、國をして季子に及ばしめよ」と。謁死し、餘祭立つ。餘祭死し、夷昧立つ。夷昧死し、次いで季子に及ぶ。季子時に行きて在らず。庶兄僚曰く、「我も亦兄なり」と。乃ち自ら立ちて呉王と為る。季子使いより還り、復た故の如く事う。謁の子光曰く、「吾が父の意を以てすれば、則ち國當に季子に歸すべし、繼嗣の法を以てすれば、則ち我適なり、當に之に代わるべき君、僚何為れぞや」と。乃ち專諸をして僚を刺さしめて之を殺し、位を以て季子に讓る。季子曰く、「爾吾が君を殺す、吾爾の國を受くれば、則ち吾爾と共に篡を為すなり。爾吾が兄を殺し、吾又汝を殺せば、則ち是れ昆弟父子相殺して已む時無きなり」と。卒に之を去りて延陵に、終身呉に入らず。君子は其の殺さざるを以て仁と為し、其の國を取らざるを以て義と為す。夫れ國を以て身を私せず、千乘を捐てて恨まず、尊位を棄てて忿らず、以て庶幾かるべし。
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『新序』節士第七延陵季子なる者は、吳王の子なり。嫡同母の昆弟四人。長を遏と曰い、次を餘祭と曰い、次を夷昧と曰い、次を札と曰う。札は即ち季子なり。最も小にして賢なり。兄弟皆な之を愛す。既に喪を除き、將に季子を立てんとす。季子辭して曰く、曹の宣公の卒するや、諸侯と曹人と曹君を不義とし、將に子臧を立てんとす。子臧之を去り、遂に爲さざるなり。以て曹君を成す。君子曰く、能く節を守れり、と。君は義嗣なり。誰か敢えて君を干さん。國を有つは吾が節に非ざるなり。札は不才なりと雖も、願わくは子臧に附し、以て節を失う無からん、と。固く之を立つ。其の室を棄てて耕す。乃ち之を舍く。遏曰く、今是くの若く作して季子に與うれば、季子必ず受けざらん。請う、子に與うる無くして弟に與えん。弟兄迭ミ君と爲りて諸を季子に致さん、と。皆な曰く、諾、と。故に諸ミ其の君と爲る者は皆な死を輕んじて勇を爲す。飲食すれば必ず祝して曰く、天若し吾が國を有たば、必ず疾かに禍いを予が身に有らしめよ、と。故に遏や死し、餘祭立つ。餘祭死し、夷昧立つ。夷昧死し、而して國は之を季子に宜しとするなり。季子使いして未だ還らず。
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史記 呉太伯世家是に於て伍員、光に他志有るを知り、乃ち勇士専諸を求め、之を光に見えしむ。光喜び、乃ち伍子胥を客とす。子胥退きて野に耕し、以て専諸の事を待つ。十二年冬、楚の平王卒す。十三年春、呉、楚の喪に因りて之を伐たんと欲し、公子蓋余・燭庸をして兵を以て楚の六・灊を囲ましむ。季札を晋に使せしめ、以て諸侯の変を観しむ。楚、兵を発して呉の兵の後を絶ち、呉の兵還るを得ず。是に於て呉の公子光曰く、「此の時失ふ可からざるなり」と。専諸に告げて曰く、「索めずんば何をか獲ん。我は真の王の嗣なり、当に立つべし。吾之を求めんと欲す。季子至ると雖も、吾を廃せざるなり」と。専諸曰く、「王僚殺す可きなり。母老い子弱く、而して両公子は兵を将ゐて楚を攻め、楚其の路を絶つ。方今呉は外は楚に困しみ、而して内は空しくして骨鯁の臣無し。是れ我を奈何ともする無し」と。光曰く、「我が身は子の身なり」と。四月丙子、光、甲士を窟室に伏せ、而して王僚を謁して飲ましむ。王僚、兵をして道に陳せしむ。王宮より光の家に至るまで、門・階・戸・席、皆王僚の親なり。人ごとに夾みて鈹を持す。公子光詳りて足疾と為し、窟室に入り、専諸をして匕首を炙魚の中に置きて以て食を進めしむ。手づから匕首もて王僚を刺す。鈹、匈に交はり、遂に王僚を弑す。公子光竟に代りて立ちて王と為る。是れを呉王闔廬と為す。闔廬乃ち専諸の子を以て卿と為す。季子至りて曰く、「苟も先君に祀を廃する無く、民人に主を廃する無く、社稷に奉ずる有らば、乃ち吾が君なり。吾敢て誰をか怨まんや。死を哀しみ生に事へ、以て天命を待たん。我より乱を生ずるに非ず、立つ者には之に従ふは、先人の道なり」と。命を復し、僚の墓に哭し、位に復して待つ。呉の公子燭庸・蓋余の二人、兵を将ゐて楚に囲まるる者、公子光の王僚を弑して自立せるを聞き、乃ち其の兵を以て楚に降る。楚、之を舒に封ず。
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『春秋左氏伝』昭公二十七年 専諸、魚中に剣を寘く夏、四月、光、甲を堀室に伏せて王を享(きやう)す。王甲をして道に坐せしめ、其の門に及ぶ。門・階・戶・席、皆王の親なり。之を夾むに鈹(ひ)を以ってす。羞(しう)する者は體を獻じ服を門外に改め、羞を執る者は坐行して入る。鈹を執る者之を夾みて承け、體に及ぶを以って相授くるなり。光、足疾を偽りて、堀室に入る。鱄設諸、劍を魚中に寘きて以って進め、劍を抽きて王を刺す。鈹胸に交はる。遂に王を弒す。闔廬其の子を以って卿と為す。季子至りて曰く、「苟くも先君祀を廢する無く、民人主を廢する無く、社稷奉ずる有りて、國家傾く無くんば、乃ち吾が君なり。吾誰をか敢へて怨まん。死を哀しみ生に事へて、以って天命を待たん。我亂を生ずるに非ず。立つ者に之れ從ふは、先人の道なり」と。命を復して墓に哭し、位に復して待つ。吳の公子掩餘は徐に奔り、公子燭庸は鍾吾に奔る。楚の師、吳の亂るるを聞きて還る。
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史記 刺客列伝其の後百六十有七年にして呉に専諸の事有り。専諸は、呉の堂邑の人なり。伍子胥の楚を亡げて呉に如くや、専諸の能を知る。伍子胥既に呉王僚に見え、説くに楚を伐つの利を以てす。呉の公子光曰く、「彼の伍員は父兄皆楚に死して、員楚を伐つを言ふは、自ら私讎を報ぜんが為にせんと欲するなり。能く呉の為にするに非ず」と。呉王乃ち止む。伍子胥、公子光の呉王僚を殺さんと欲するを知り、乃ち曰く、「彼の光は将に内志有らんとす。未だ説くに外事を以てすべからず」と。乃ち専諸を公子光に進む。光の父を呉王諸樊と曰ふ。諸樊の弟三人、次を餘祭と曰ひ、次を夷眛と曰ひ、次を季子札と曰ふ。諸樊、季子札の賢なるを知りて太子を立てず、次を以て三弟に伝へ、卒に国を季子札に致さんと欲す。諸樊既に死し、餘祭に伝ふ。餘祭死し、夷眛に伝ふ。夷眛死し、当に季子札に伝ふべし。季子札逃げて立つを肯ぜず。呉人乃ち夷眛の子僚を立てて王と為す。公子光曰く、「兄弟の次を以てせしめば、季子当に立つべし。必ず子を以てせば、則ち光は真の適嗣なり、当に立つべし」と。故に嘗て陰かに謀臣を養ひて以て立たんことを求む。光既に専諸を得、善く客として之を待す。九年にして楚の平王死す。春、呉王僚、楚の喪に因りて、其の二弟公子蓋餘・属庸をして兵を将ゐて楚の灊を囲ましめ、延陵の季子をして晋に使ひせしめ、以て諸侯の変を観しむ。楚兵を発して呉将蓋餘・属庸の路を絶つ。呉兵還るを得ず。是に於て公子光専諸に謂ひて曰く、「此の時失ふべからず。求めずんば何をか獲ん。且つ光は真の王嗣なり、当に立つべし。季子来たると雖も、吾を廃せざるなり」と。専諸曰く、「王僚殺すべきなり。母老い子弱く、而して両弟兵を将ゐて楚を伐ち、楚其の後を絶つ。方今呉は外楚に困しみ、而して内空しくして骨鯁の臣無し。是れ我を如何ともする無し」と。
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史記 刺客列伝公子光頓首して曰く、「光の身は、子の身なり」と。四月丙子、光甲士を窟室の中に伏せ、而して酒を具へて王僚を請ふ。王僚兵をして陳ねしめ、宮より光の家に至る。門戸階陛の左右、皆王僚の親戚なり。夾みて立ちて侍り、皆長鈹を持つ。酒既に酣にして、公子光詳りて足疾を為し、窟室の中に入り、専諸をして匕首を魚炙の腹中に置きて之を進めしむ。既に王の前に至り、専諸魚を擘き、因りて匕首を以て王僚を刺す。王僚立ちどころに死す。左右亦専諸を殺す。王の人擾乱す。公子光其の伏甲を出だして以て王僚の徒を攻め、尽く之を滅ぼし、遂に自ら立ちて王と為る。是を闔閭と為す。闔閭乃ち専諸の子を封じて以て上卿と為す。其の後七十余年にして晋に豫譲の事有り。

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